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地下ワンダーランドを「作る」人 ー『チェコに学ぶ「作る」の魔力』 先読みvol.3

前回はこちらから。

しかし私はここで、とんでもない事実を知る。

「でもね、このお店の地下にこんな場所があるなんて、町の人もほとんど知らないのよ」と、シャールカがあっさり言った。
「VIPしかここには入れないからな」、ガハハ、とお父さんも笑う。
「えっ!?」と私はのけぞった。

村の人に見せるためでもない……? 思えば仕事は農業高校の先生だと言っていたし、少なくともいまは仕事で作っているわけではない……とすれば、なぜ、お父さんはこれを作っているのだろうか……?

少しお店の歴史も聞いてみた。先先代がこの敷地で創始したお店は、共産党政権下で、多くの民間企業が国有化された例外にもれず、1968年から1989年まで敷地を使うことができなかった。1989年のビロード革命の後、あらためて家族でこの土地をどう使っていくかを考えたとき、誰もこの先どうなるかが見えなかった時代に、お父さんはなにかの商売をはじめる可能性を見据えた。そして、ワイン職人の叔父さんはワインを作り、お父さんは敷地を改修し、何年もかけて大規模な工事を行った末、自家製ワインを振る舞うレストランができた。さらに、この地下には17世紀に作られた井戸があり、レストランのお客さんにその珍しい井戸を見せられるようにと、客席から見やすいような改装も施した。その後、親戚が作り遺していた石像を囲うように池を掘っていく……家に代々遺されていたものを生かすこと、そしてお客さんへのサービス精神が、この地下通路の原点のようだ。

2018年まで営業していたレストラン時代にも、特別な日には地下のワインセラーに数名を招待することがあった。とりわけキリスト教の聖人の祝日である聖マルティンの日(11月11日)は特別で、フランスでいうボージョレーヌーヴォー解禁日のように、祝杯としてワインボトルを開けるために集まるのだという。いまでもときおりセラーに人を呼ぶことはあるが、それはあくまでワインの貯蔵庫が目的であり、お父さんの作ったワンダーランドのツアーをするような機会は滅多にないらしい。

「どうして来た人にツアーをしないんですか?」と私が聞くと、「パーティーで2、30名が集まるときにからくりや物語の説明をしたって、ワイン目的のお客さんはおしゃべりするし、話を聞かずに飲んでばかりいるだろう? 静かに聞く人なら4時間くらいかけてガイドしてもいいけど、聞かない人たちにわざわざ説明する暇はないからね」とお父さんはいう。

「このワンダーランドはまだ作成中のようですが、どんなときに作業するんですか?」
「気分が乗ったとき、時間があるとき、インスピレーションがあったとき……そういうタイミングがあればこの地下にこもるね。天気のいい日はバイクや自転車で走りまわるほうが好きで、トルコ・ギリシャ・アルバニア……などさまざまな国に行くこともあるんだけどね」
 なるほど、たしかにアウトドアと対極にあるこの地下があれば、どんな天気でも彼が退屈することはなさそうだ。
「自分の頭のなかにあるストーリーを具現化することが楽しいんだ。それから、この地下にあるすべての仕掛けや、石の積み方、配管、電気工事、木工、石の彫刻……すべてが、数学的・物理的な計算をして細かく設計したうえで、パズルのように組み合わせなければ成立しない。それがおもしろい」

小鳥のダンジョン

私が質問攻めにしたせいもあって、ツアーは3時間近くに及んだ。たどり着いた最終地点はまだ作りかけで、そこには1本のツルハシが立てかけてあった。

「次来るときは1ヶ月くらい滞在して、1コーナー作っていってね」
 お父さんの冗談を受け、岩を掘り進める自分の姿をほんの少し想像してみたがはんこは彫れても、地下道を掘れる気はしないなあ……と苦笑してしまった。だけどお父さんのむき出しの情熱、あるいは狂気みたいなものは、私の心に深く刻み込まれた。

お父さんに「また来ます」と告げて別れた後、シャールカと2人になった。「お父さんも、サクヤがみてくれて嬉しそうだったわ」と言い、思い出したように続けた。
「そういえば何年も前に、お父さんはなんでこれを作ってるの? と聞いたことがあるの。そのときは、自分がここにいたという痕跡、記念碑のようなものを残したい。自分がいなくなっても、家族や誰かが思い出してくれるための場所。そういうものを残したい、って言ってたわ」

自分がここにいたという痕跡。300メートルにも及ぶその痕跡はずいぶんと膨大だけど、もしもお父さんがいなくなっても、彼女がこの地下に立てば必ずお父さんを感じることはできるだろうな。あるいはそのとき、彼女もツルハシを持って、掘りはじめたりするのだろうか?

作業小屋には、道具がぎっしりと几帳面に並ぶ
ワインショップの地下ワンダーランド
地下ワンダーランドを作ったひと
Ctirad Botur(ツティラド・ボトゥル)

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