自由と不自由
この前まで長袖着てたのに、いきなり暑くなってきました笑
今日は、先日アロマの先生から頂いたハーブティーをアイスにして飲みました♪
バタフライピーのハーブティです。
バラフライピーのお茶ってこんなキレイな色になるんですよね。見てるだけで気持ちが少し変わります♪
そして、エイジング効果が期待出るそうです
(調べる前は知らなかったから急に期待をしだす私です笑)
さてさて、今日のお題「自由と不自由」
私の知り合いで数秘?をやってる人がいて、前に見てもらったときに私は「自由」を求める人生を歩む人?らしいです(あんまり深くは覚えてないのですがそんな感じだった笑)
もともとは自由じゃない性質があるから、人生の中でそれを見つけるみたいなかんじなのかな。よくわかりませんが(かなりあいまい笑)
私の人生において、これまで、そんなことを考えたこともなかったし、そういう自覚は全くなかったのです(顕在意識ってやつかな)でも、最近の私の目の前に現れている状況とか、周りから投げかけられるもの(自然と向かってくるものですね)がそれを受け取れと言わんばかりに伝えてくる雰囲気、流れをものすごく感じています。
ヨガの座学の学びにしてもそうです。
潜在的にそういうモノやコトに数年前から私が惹かれていたのだなと今は思います。
だから「自由」を自分で感じて、受け取って、そこから行動を選ぶということを考えさせられる今日この頃です。
(人間には自由意志が与えられている)
私の言う自由というのは、ちなみに物理的なものではないです。住む場所とか環境とか、仕事とか、お金、とかそういうものじゃないですね。精神的な自由という部分がとても大きいです。
私の先生は自由の中に不自由があるし、不自由の中に自由があるっていうのを昔から言ってた。最初の頃は意味が分からなかったのですが、この意味も今はわかるのです。
私自身、今は生きていて、自由の中にある不自由さを感じることが多いです。以前は逆だった。
皆さんはこの言葉をどんなふうに受け取りますか?
昨日は、私の先生たちが開催したヨガイベントに参加してきました。
テーマは「こころを遊ぶ」でした。
先生たちの中ではそれ以外は何も決めずにヨガのクラスをしたとのことです。2時間もあるのに笑
きっとそうすることで、その空間に遊びが生まれる(自由が生まれる)ということなんだと、実際にその空間にいて、わたしは感じました。
作りこむことにだって、もちろんメリットはある、でも、型にはめようと作りこむ意識が強くなりすぎるとそこには窮屈さが生まれる。
自由になると、それはそれで不安もでてくる。これで大丈夫なんだろうか?もっと何かしたほうがいいのでは?型にはめた方が楽だから。それはそれで自由の中に不自由を感じる。
どっちがいいとか悪いとかではなくて、どちらの中にもその要素があって、それをわかっていることで生まれてくるものが必ずあって、そこをどうしていくかどうしていきたいかみたいなところなのかなとおもう。おもった。
私の場合はそこの部分の選択は、
調和
しかないんですけれど。
自分の生きる上での役割だったり、私が関わっている周りいる人たち(大切な人)や環境とのバランスだったり、自分の中での調和ももちろんありますね。
そこがどこなのかを私の意志でその瞬間瞬間で選んでいくということですね。そこに自分を大切にする意識はいつも忘れてはいません。
皆さんはこの自由と不自由にどんなことを思いますか?
昨日、先生たちのイベントに参加して、私はヨガを始めた頃に、ケンハラクマ先生の本で読んだ「鳥カゴ」の話を思い出しました
鳥かごに入っている鳥がもし自分だったなら、そのカゴに鍵がかかっているかどうか…
鍵がかかっているようにみえてかかってないかもしれないし、ちょっとだけ押したら開くかもしれない。
鍵がかかっているのなら、そのときはその場で少しでも心地よく過ごせるかが重要だよと…
たまに鍵を開けてもらいバランスをとる方法もあるよ。
みたいなことが書いてあった。
状況を把握できない時間が『不自由』だと書いてありました。
当時の私はこれを見てどんな風に思ったかは覚えてないけどおぼえているということは何か感じることがその時からあったのでしょうね。
ケンハラクマ先生は私の師匠の洋二先生とユキさんのお師匠さまなのです。私の大先生にあたる方です。
ヨガにはグルパランパラという言葉があって、先生から生徒さんへ受け継がれていくのがヨガなんです。
そんなハラクマ先生にも先生がいて、その先生にも先生がいるのがヨガです。
ハラクマ先生の本を読むと、いつも先生達から伝えられている大切なコトたくさん書いてあります。
もし機会があれば読んでみてください♪
それでは、また♪
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?