宮崎勤『夢の中~連続幼女殺害事件被告の告白』世間に理解されない罪
概要
事件から既に10年…逮捕後初めて宮崎被告が胸のうちを語った!
宮崎勤被告自身の口から彼が起こした事件の事、そしてこの世界、この社会について思う事、感じている事を話して欲しかった。
世間は彼をオタク、ロリコン、精神異常者として理解し納得する事でしかこの事件を捉える事が出来なかった。
またそうする事でしか安心する事が出来なかった。
世間はメディアが報じる彼のパブリックイメージが真実で全てだと思いたいはず。
そして彼は死刑になった。
幼い命を複数殺めてしまったのだから当然だ。
世間がそれで納得するのは別に構わない。
なんとなく釈然としない僕みたいな人間のために本書はあると思う。
拘置所内での宮崎被告は自分に起こった事、自分が起こした事について過度の感情を交えず、至って冷静に淡々と話している。
事件に関する供述については一部記憶が曖昧だったり、検察や警察の思い描く事実に沿って話を合わせたりしていたようだけど、彼に対する率直な印象は純粋で素直。
本書が彼の告白を忠実に再現しているのであれば、彼は自分自身について嘘偽りなく誠実に話している。
本当に彼が殺したのだろうか?
彼が言うように、本当にネズミのような複数の怖い人間が現れて犯行を起こしたのではないだろうか?
本書を読むとそんな事すら思う。
到底世間には理解し難い心情と世界観。
幼女を殺めてしまった事よりも、その事自体が彼の罪なのかもしれない。
自分の見た事、聞いた事、体験した事。
これが確かに本当の事で紛れもない事実である事を知っているのは自分だけだ。
それを証明する手段はない。
他人はそんな自分を客観的に見ているけど、その他人もまた主観的な世界を生きている。
他人がいかなる状況証拠や物的証拠を提示しても、自分にとっては自分が体験した事だけが全てであり、それは容易には揺るがない。
「それはあなたの幻覚だ、妄想だ」
と、誰かに説得されたところで、相手も同じ穴の貉なのだから完全に納得は出来ないはずだ。
他人に説得され、弱気になって渋々納得させられた事柄を担保に、客観的事実のようなものが浮かび上がって来るだけだ。
彼の告白が全て事実として受け入れられる事は決してない。
自分の見た事、聞いた事、そして体験した事が全てである事を、他人は決して受け入れてはくれないのだ。
みんなそれが分かっているから、他人から見た自分、他人に見せたい自分(ペルソナ)を演じて生きている。
ほとんど無意識にやっているから演じている事すらわからない人もいるだろう。
宮崎被告も僕と同じく、自分の中にもう一人の自分がいると主張する。
ビデオテープの大量万引きの際、そのもう一人の自分が前方に現れて万引きをし、本来の自分は「どっきんどっきん」しながら見ている二重身体験があり、本事件の各犯行時にも頻繁に二重身体験をしていたようだ。
本当の自分を隠して生きている以上、人は誰しも多重人格であると僕は思う。
そしてその人格たちを自分ではっきり意識して管理出来ている人はあまりいない。
自分の人生の手綱をどの人格が握るか?
おそらくそこが問題で、核になる本当の自分を知り、その自分が人生の手綱を握っていないといけないのだろう。
それが出来ないと、偽りの自分に人生を自動操縦されて、本当の自分が望まない苦渋の人生を歩むことになってしまう。
「全て夢の中で起こったような気がしている」
他人と認識している世界が違い、確信が持てなければそこは夢の中と変わらない。
本当の自分を見失った宮崎被告には、寝ても覚めてもこの世界、自分の人生が怖かっただろう。
これは誰にでも起こり得る事だ。
だから世間は彼を否定する。
彼はメディアの病理が生んだ特別な人間で、自分たちとは無関係な人間だと。
本当の自分を世間に理解してもらえない孤独は多くの人が感じていると思う。
でも僕は本当の自分は誰にも理解してもらえないのが当然であって、理解されなくてもいいと、ある時から腹を括っている。
その事に寂しさや罪悪感などは持たなくていい。
本当の自分はもうこの世界、人間について全て知っている。
本当の自分が言う事はほとんど間違っていない。
本当の自分に聞けば、どうすればいいか全て教えてくれるのに、人は演じた自分が本当の自分であると信じ続けている。
自分を信用せず、他人が認識している世界を無理やり受け入れて安心している。
その結果起こる不具合を全て他人に押し付けて。