映画『怒り』同情や共感をしてはいけない人
あらすじ
八王子で起きた凄惨(せいさん)な殺人事件の現場には「怒」の血文字が残され、事件から1年が経過しても未解決のままだった。洋平(渡辺謙)と娘の愛子(宮崎あおい)が暮らす千葉の漁港で田代(松山ケンイチ)と名乗る青年が働き始め、やがて彼は愛子と恋仲になる。洋平は娘の幸せを願うも前歴不詳の田代の素性に不安を抱いていた折り、ニュースで報じられる八王子の殺人事件の続報に目が留まり……。
監督:李相日
原作:吉田修一
キャスト:渡辺謙 宮崎あおい 妻夫木聡 森山未來 松山ケンイチ 綾野剛
アマゾンprimeで再視聴した。
一度目は諏訪之瀬島へ行くフェリーを待つ間、鹿児島の映画館で観た。
千葉、東京、沖縄にいる素性の分からない三人の男。
この中の誰が八王子殺人事件の犯人「山神」なのか?
映画の予告の段階で、僕は沖縄にいる田中が犯人だと、思った。
映画を観ている僕自身が、その時世間的には素性の分からないバックパッカーだった。
バックパッカーと言えば、自由を謳歌している旅人みたいで聞こえはいいけど、内実は世間が煩わしくてドロップアウトしているだけだったりする。
諏訪之瀬島は田中が潜伏していたような無人島ではなく、必要最低限の慎ましい暮らしがある静かな島で、世間の煩わしさから距離を置くのに都合の良い島だった。
この島にはかつてヒッピーのコミューンがあったらしく、国内外からヒッピーたちが集まる聖地になっていたようだ。
僕はその名残のようなものを求めて、あわよくばこの島で自給自足の生活をしたいと、思っていた。
ナッツが入った缶詰とペットボトルの水だけを持って、島のキャンプ場にテントを張り、2週間くらい生活した。
瞑想と読書以外ほとんど何もせず、ただ孤独な時間を過ごした。
僕は誰にも理解してもらえないような事をしている時、なぜか心が喜々として来る。
そして自分を高尚な人間だと思い込んで、文明社会に依存しないと生きていけないような人たちを心底見下している。
文明社会に依存して生活している時、僕の心の中には文明社会に見下されているような怒りが常にある。
感情には順序があって、怒りの前に恐怖がある。
文明社会に見下されているような怒りは、文明社会に見捨てられる恐怖を撥ね退けるために必要な感情なんだと思う。
怒りを覚える事で強がり、逆に文明社会を見下す事でなんとかメンタルのバランスを保っている感じ。
僕がドロップアウトした行動原理には、そういう怒りの感情がある。
田中が他人を見下したり、犯罪に手を染めてしまうような行動原理にも僕以上の「怒り」があったんだと思う。
千葉、東京、沖縄の三人の中で、唯一田中だけが誰にも理解されず救われなかった。
誰にも理解されなくていい、救われなくていい。
そう覚悟を決めた人間に寄せる同情や共感ほど、辛辣で侮辱的なものはないのかもしれない。
自分に対するあらゆる好意的な感情を全て諦めないと生きていけない人間がこの世にはいる。
本当は喉から手が出るくらい欲しいものだけど、求めて得られなければ渇きが増す。
母親に愛されない原罪を背負い、世界から祝福されなかった者がずっと封印している願望。
そうなってしまった田中の生い立ちや経緯は一切語られない。
孤独なアパートの荒れた暮らしぶりと、彼を知る同僚の僅かな証言だけがある。
でも千葉と東京の二人が抱えていた秘密が、田中の事情を代弁しているような気もした。
女性が殺され、女性が風俗堕ちして、女性がレイプされ、女性が病死するシーンの過酷な描写は、母親に愛されない男性の復讐心の暗喩でもあるようで、動機はわからないけど、田中は殺した女性を本気で生き返らせようとしていた。
封印していた願望を切実に求めてしまったのかもしれない。
劇場ですすり泣く観客たちの気持ちのほとんどは映画で不幸な目に遭った者、被害に遭った者たちに寄せられていた。
田中の「怒り」に同情したり共感する人は誰一人いなかったと思う。
最低な人間なのだから居ていいはずがない。
僕はそんな田中の「怒り」に同情したり共感するのが怖かったから、田中が犯人でない事を祈った。