「すみません」から「ありがとう」と言えるように

先日、自分で商品を取るスタイルの某ドーナツ屋さんにて、僕の前に親子が並んでいました。
お父さんと二歳くらいの娘さんで、娘さんはトングを手にしお父さんに抱っこしてもらってドーナツを取っていました。
しかし、娘さん、まだ二歳くらいですから、ドーナツをうまくトレーに乗せられず落としてしまったんです。お父さんも両手で娘さんを抱っこしてたので、どうにもできない状態です。
なので僕はとりあえずそのドーナツを拾い、どうしましょうかといった感じでいると、お父さんは「いいです、そこ(トレー)に置いてください」と言うので、落としたドーナツだとわかるように端に置きました。
するとお父さんの口から「すみません」とお詫びの言葉が出たのです。
いや、お父さんも娘さんも、謝ることなんてなにもしてないじゃん!と、僕はなんだか悲しくなりました。だって僕はただ落ちたドーナツを拾っただけなのです。そのお父さんが僕に対して申し訳ない気持ちになることなんて、ひとつもないじゃないですか。

そんな気持ちになったのには、もうひとつのエピソードと重なったからだと思います。

スーパーで買い物中、少し離れた場所から何かがひっくり返ったと思しき音が聞こえてきたので、僕は買い物の手を止めて振り返りました。
そこでもまた、二歳くらいの息子さんを抱いたお父さんがいて、カートの下段に置いたであろうカゴがひっくり返っていたのです。
ちなみに僕とその親子の間には、ほかに二人の客がいましたが、まるで蝋人形かと思うほど無反応でした。
僕は親子の元に近づき散乱している買い物カゴの中身を拾い、カゴに戻しました。お父さんも子どもを抱きかかえながら拾っています。
「いや、お父さん、危ないからしゃがむんじゃあない!」
と思いながら拾い終え、その場を立ち去ろうとしました。
その時もお父さんに「すみません」と言われたのです。

別にお礼をいってもらいたいってことじゃないんです。
僕がしたことも全然たいしたことじゃないです。
なのに、親御さんがそれに対し申し訳ない気持ちになってしまう世の中に悲しくなったんです。
だいたいにして、謝られるほど僕は迷惑だなんて思っていません。たぶん同じことをほかの人がしても、迷惑だと思う人は少ないと思います。
それなのに、些細な手助けを受けた親御さんに「迷惑をかけた」「申し訳ない」と思わせてしまうような世の中の雰囲気が、「すみません」と言わせてるのではないかと思うのです。


核家族化が大半を占める中で、もう両親が揃っていても家庭だけで子育てをするのは無理だと僕は思っています。
だからといって、近所の人や遠くに住む祖父母や親せきが介入するのも、なかなか難しいです。特に近所の人なんて他人ですし、防犯の面でも抵抗があるでしょう。
だから手助けと言っても、半日預かるとかそういうことではなく、偶然通りかかった人がベビーカーを持って駅の階段を上るだとか、電車で泣いている子どもがいても「迷惑じゃないよ」と伝える手段を持ったり、とにかくその場でできることをしてあげられる世の中になったら、親御さんたちも「申し訳ない」という気持ちにならずにすむのではないかと考えるのです。

そうやって気軽に助けてあげられる社会なら、親御さんの方も気軽に助けを求められるようになるのではないか。
家族はなにも、住民票に記載されている人たちだけを指すのではなく、その時その時で、誰もが一時的な「家族」になれるのが、これからの家族の理想のスタイルなのではないかと思うのです。

#これからの家族のかたち

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