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なんで勉強するの?させるの?

・教員採用試験一次試験を終えて

お疲れ様です。先日教員採用試験の1次試験が無事終了いたしました。結果はわかりませんが,できたともできなかったとも言えない感じですが結果を待つのみです。皆さん受験した方はどうだったでしょうか。

さて,本題に入りたいと思うのですが,私は大学受験に合格したときにこれで猛勉強とはおさらばだと考えていましたが,結局教員採用試験において”受験勉強”をしていました。周りの友達だったり,知人などから聞く言葉から私は疑問が一つ生まれました。「こんなのやる意味ないじゃん」「こんなのいつ使うの?」という言葉でした。私は受験勉強は好きではありませんが,知識を蓄えること,学ぶことは好きでした。これらの言葉を聞いて感じたことは「じゃあ先生になったとき子どもたちにそれをさせようとしていないか?」ということです。また,子どもたちに「なんで勉強しなきゃいけないの?」と聞かれたときにこたえられないのではと感じました。少しここについて掘り下げたいですね。

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・私の勉強に対する考え方

私は先にも述べたように勉強することは嫌いではありませんでした。どちらかというと好きでした。なぜ好きなのかについて考えてみると「知識が身についていくことが楽しいから」というのが一番大きいですかね。私はこの高校受験,大学受験,教員採用試験の筆記試験の中でどのような意識で向かっていたかについて語りたいと思います。

まず,勉強する上で一番大事と考えていることがあります。「その勉強に意味を見出す(無理やりでもいいです)こと」です。「何言ってんだ,当たり前だろ」と思うかもしれませんが,大事にしています。上にあるアンケート結果における「やらないといけない」「認められる」「いい成績を、、、」これらもおそらく大切ですが私の「意味を見出す」とは少し異なります。

・社会科を例にすると

では「意味を見出す」とは何でしょう。例えば「社会科」を例にあげましょう。松下村塾と言われたら何を思い浮かべますか。おそらく吉田松陰という人物が浮かび上がるでしょう。ではどのような人物でどのような思想だったのでしょう。歴史的にひも解いてみると,門下生には伊藤博文,山形有朋,高杉晋作,木戸孝允,井上馨などがいらっしゃったようです。共通点は何でしょうまず「攘夷派」であることなどがわかります。次に面々を見てみてください。これからの明治維新を担っていく先人の方々が連なっています。そのように見ると,安政の大獄で「吉田松陰が処罰されたこと」についての意味を見出せます。例えば「幕府は当時外国と仲良くしようと,開国をしようとしていました」ですが,吉田らの攘夷派思想は「外国を排除し,日本国として強い国となること」を主としています。そうすると,幕府から見ると目の上のたん瘤のようなもので排除されるのは至極全うです。ですがその当時,幕府の力は衰弱してきています。そうすることで攘夷派を初圧したことで同胞は反感を覚え,幕府の版籍奉還を謳うと捉えることができるでしょう。

松下村塾

・勉強観のシフト

このように一つの「松下村塾」という単語からも意味を見出し,歴史の一つの物語が完成します。私は社会科の真正な学びは「時代背景や人物像から事象を物語として読み取り,社会を視る視点を養うこと」つまり「シティズンシップの育成」であると捉えています。
ですが,実際の勉強はどうでしょう。言葉を単語として取り扱いただ覚えるだけになっていると思います。実際私も高校受験の際はそのように勉強していました。ですが,高校になると大学受験に向かうタイミングに大きく考えがシフトしました。私は日本史の勉強をしている際にやはり「一問一答」的な勉強をしていました。ですが,とある友達は一問一答を見ずただ,教科書をぼやーっと呼んでいるだけの子がいました。ですがその子は90点以上ましてや満点を取る子でした。「どうやって勉強してんの?」と聞いてみたら,「歴史なんて一つの物語のつながったものやよ」「単語を覚えたりするより,こいつ何考えとるんやろとか考えてった方が人とかつながってくからおもろいで」と言っていました。そこで「勉強は覚えるだけだとダメなんだ」と感じました。そこから私も授業で習ったら,復習で人物像,社会背景に迫るということを徹底しました。そうすることで点数は著しく向上しました。

・教員採用試験の勉強について

たしかに,一見役には立たないようにも見えますが,先の社会の例から「物語的に把握する」ということは現代の社会の流れを同様に見取る力につながっているように思えませんか?私は度の勉強についても同様に思えます。算数を勉強していた際にも,平行線と三角形の相似比の問題など見ていても「1:2」を使う時と「1:4(2の二乗)」として使う時の区別は暗記でしたが,実際に見てみると高さが異なるときと一緒の時で異なるなども実際に図形を動かしたりしてようやく理解できました。

・何を学んでいる?‐「学び方を学んでいる」

私の挙げた例がすべて正しいということは決してありません。ですが,「なぜ勉強するのか」という問いに対して一つ考えていることは「学び方を学んでいるんだよ」ということです。各教科それぞれに分かれているのは「数学的に思考する学び方」「社会的な視点を学ぶ学び方」だったり,それらを覚えることが勉強ではないと思っております。また,「勉強」という言葉も嫌いで私は「学ぶ」ということを使いたいと思います。学校現場でも「今から算数の勉強を始めます」ではなく「今からみんなで算数を学んでいきましょう」と伝えたい。

・学校現場ではどうだろう

実際「大学受験が控えてるからそんなこと言ってられない」と思うかもしれませんが,対処療法的に考えていません。どちらかというと小中学校つまり義務教育において考えたい。ここでどう学ぶのかを習慣化ができないと結局「覚える」勉強へとつながってしまう。そのためには宿題の在り方や家庭教育の在り方,授業観の転換が必要になるでしょう。今おそらく社会に出て,「最近の若い子は動かない」ということが言われます。ですが教育したのは昔の教育です。その子たちにも比もありますが,社会的,教育的な問題でもあるように思います。「動かない,使えない」のは「その会社における課題に対しての向かい方,つまり学び方が見つけられないのでしょう」。そのようにならないためにも子どもたちの教育についての考え方の転換が必要になるのではないかと思います。

・最後に

少し過激な文面もあったとは思います。お心を悪くした方もいらっしゃったかもしれません。申し訳ありません。ですが,これらの「意味を見出す」ことがまさに学びなのではないかと私は考えております。
例で挙げた社会科については憶測なども含まれるので鵜吞みにしないでくださいね(笑)。
長々とお付き合いありがとうございます。これらからの教育が少しでもよくなれるように私も精力的に学んでいきます。


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