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読書「十角館の殺人」綾辻行人

ミステリー紹介の読書系YouTuberのチャンネルを見ていると、とにかく、とにかく誰の動画にも登場しまくるのが本作です。
皆さんもう大絶賛。ケチをつけようなどという人は皆無です。
作者は綾辻行人。本作がデビュー作です。
今の若い人たちの心をどれだけ掴んでいるんだと感心したのですが、本作が発表されたのはなんと1987年。
今からもう37年も前の作品なんですね。
驚きました。
そんな長きにわたって、ミステリー・ファンを魅了し続けてきた本作は、現在までの累計売上が670万部といいますから恐るべし。
今でもまだ、ファンを獲得し続けている作品だといえます。

貧乏年金生活者ですから、読む本は通常図書館で仕入れてくるのですが、この本だけは、図書館の在庫リストにはあるものの、棚に並んでいた試しなし。
予約しようと思ったらなんと62人の先約がいました。
こりゃ回ってこないとあきらめて、久しぶりにデジタル版を購入。
本作の累計売上に貢献させていただきました。

綾辻氏の「館シリーズ」は、現在までに10作品が発表されています。
中には、図書館で借りられるものもあったのですが、やはり最高傑作の誉れ高い1作目は、どうしても気になるところ。
購入したのは、昨夜でしたが、台風模様の本日一日で、ポテチを食べながら一気に読み切ってしまいました。
文庫本ですと、あとがきまで入れて480ページなのだそうですが、(ちなみに電子版では280ページ)、なんのなんの、読み終えてみればあっという間。

なるほどこれが、読んだもののミステリー心を掴んで離さない綾辻マジックの正体かと余韻に浸っています。

とにかく、どちら様もおっしゃるのが、ストーリーをすべて根底からひっくり返す衝撃の一行の存在。
もちろん、皆さまミステリーのルールにのっとって、ネタバレなしで、その驚き具合だけをアピールしてくれるので、こちらとしては、モヤモヤしっぱなしでした。

なんだよ。その衝撃の一行って。

さて、読了してみると、
その一行は確かにありましたね。
「これかあ」と唸ってしまいました。
いつくるかいつくるかと構えていたのですが、それでも、衝撃は変わらず。

「え?どういうこと」

一瞬頭が真っ白になった後は、おもわずはじめから読み直したい衝動にかられました。
密室トリックや、アリバイ・トリックとは違って、叙述トリックは、名探偵も犯人もすっ飛ばして、作者が直接読者に仕掛けてくるトリックです。
そして、映像では成立不可能な、小説に特化したかなり特殊なトリックです。
下手をやれば読者に見透かされて、鼻で笑われてしまうので、職業小説家としてはまさに腕の見せ所。
そのリスキーな「大仕掛け」を、当時まだ27歳という新人ミステリー作家が、そのデビュー作で堂々と披露してきたわけですから、当時のミステリー界は、上へ下への大騒ぎだったでしょう。

綾辻行人が、京都大学のミステリー研究会出身というのはもう有名な話です。
とにかく、作者が海外の古典ミステリーを読み込んでいることは、文章の端々からヒシヒシと伝わってきます。
過去にいわくつきの事件があったという孤島の館に、好奇心を触発された大学のミステリー研究会のメンバーが合宿に行くという設定が、まずもって本格ミステリーの王道中の王道。

特にアガサ・クリスティの「そして誰もいなくなった」へのリスペクトぶりは、ヒシヒシと感じました。
プロローグとエピローグは、完全に「アガサ・クリスティの大傑作に捧ぐ」とでもいっているようなエピソードになっています。
読んでいない方は、まずは先達の傑作を先に読んでから本作を読むことをお勧めします。
ミステリーの先達へのオマージュが、より染みわたるはずです。

もちろん「そして誰もいなくなった」だけではないでしょうね。
もしかしたら、僕が未読の古典傑作へのオマージュも、もっとふんだんに仕込まれていたかもしれません。
とにかく、ミス研のメンバーたちにつけられていたニックネームが、エラリイ、ポウ、ヴァン・ダイン、アガサ、カー(あれ?あともう一人誰だっけ?)とくれば、僕のようなクラシックなファンは、もうそれだけでニンマリです。
その他、江南君や、守須君も登場。もうネタ元は想像ついてしまいます。
しかし、これを単なるお遊びと受け取ってしまうと、もうすでに作者の術中にハマっているのでご用心。
これがちゃんと、どんでん返しの伏線になっているのですから、この作者は油断も隙もあったものではありません。

本作は、孤島に乗り込んだミス研メンバーが、殺人鬼によって一人一人殺されていくパートと、本土で、過去の謎を追いかける元ミス研メンバーたちのパートが、交互に描かれていきます。
双方には情報交換手段は一切なく、全く別々のパートとして描かれていきますが、この構成そのものが、これもまたどんでん返しの鮮やかな伏線になっています。
叙述トリックの伏線は、どこに何が仕掛けられてるかがわかりませんので、こちらも気が抜けません。

作者が本作の肝である「衝撃の一行」の衝撃を演出するために、どれだけ入念に伏線を張り巡らし、プロットを練っていたかは想像に難くありません。

面白かったのは、作者が、いわゆる「本格派」と呼ばれている、ミステリー黎明期の傑作に対する思い入れの深さを、冒頭のエラリイとカーのやりとりでさりげなく表現しているところ。

「一時期日本でもてはやされた『社会派”式のリアリズム云々は、もうまっぴらなわけさ。
ミステリにふさわしいのは、時代遅れと云われようが何だろうがやっぱりね、名探偵、大邸宅、怪しげな住人たち、血みどろ の惨劇、不可能犯罪、破天荒な大トリック・・・・・・絵空事で大いにけっこう。要はその世界の中で楽しめればいいのさ。ただし、あくまで知的に、ね」

松本清張や鮎川哲也が聞いたら噴飯ものですが、これこそまさに古典ミステリーを愛してやまない作者の気概を代弁している気がします。
社会派ミステリーも、青年期には愛読してきた世代としては複雑な思いですが、ミステリーは魅力的な謎かすべてで、メッセージ性などは必要ないという筆者のスタンスもわからないでもありません。

綾辻行人の登場で、1990年代以降、いわゆる新本格派と呼ばれる新世代のミステリー作家が続々登場してくるようになった流れを考えると、本作の日本ミステリー界における作者の貢献度は計り知れないものがあります。

海外古典ミステリーも相変わらず好きで、今でも読んでいますが、総じて傑作といわれるミステリーには古さを感じさせない魅力があるものです。
本格派には特にそれが顕著。
有り得ないことを承知の上で、知的ゲームとして楽しむというマニアックさが、根強いファンの心を離さないのかもしれません。

本作が書かれた1987年といえば、まだインターネットは一般的ではありませんでしたし、携帯電話も浸透していません。
今時は、若者たちのコミュニケーションとして、携帯は当たり前すぎるくらい当たり前ですが、本ミステリーは、よほど設定をいじらない限り、みんなが携帯を持っている令和の時代にはそもそもミステリーとして成り立たないはずなのに、いまだに若い読者を獲得し続けているわけですから、魅力的なミステリーに時代は関係ないということなのでしょう。

1987年当時はまだノートパソコンもなく、本作に登場するのはワープロです。
僕も個人的には、早い時期から使っていいました。
これからはもう筆跡鑑定による捜査はなくなるなんて考えていた口ですね。
当時流行のオフロード・バイクだったヤマハTX250が本作には登場しますが、これも当時の友人で乗り回していたやつがいましたのでこれも懐かしい限り。
よくよく考えてみれば、本作は、自分の若かりし時代の物語なんだなぁと気づかされます。

本作においては、大学生たちが、女子も男子も平気で喫煙するような描写が当たり前に登場しますが、これも今のモノサシで考えたらアウトかもしれません。
あの頃は、女子大生も、大学の学食でメンソール系のタバコを当たり前に吸っていました。
今回購入したのは、「新装改訂版」で、細かい描写がかなり現代風にアレンジされているようなのですが、初版の頃は、けっこうグロい描写もあったそうで、正直当時の風俗や文化を知る世代としては、改訂前のバージョンも興味は湧くところです。
当時は、横溝正史などを読み漁っていましたから、あまり品の良い読書ではありませんでした。

本作は多くの海外ミステリーに敬意を込めた作品ではありますが、気が付けば本作に敬意を込めた後輩作家たちの傑作も目白押し。
先日読んだ市川憂人氏の「ジェリー・フィッシュは凍らない」の基本プロットには、本作の影響が感じられます。
テイストこそ違いますが、乾くるみの「イニシエーション・ラブ」も、歌野晶午の「葉桜の季節に君を想うということ」も、叙述トリックの傑作ミステリーでした。

新しい時代の新しい感覚のミステリーが、僕のような老人のミステリー心を心地よく刺激してくれるのはなんとも嬉しい限り。

本作は間違いなく日本ミステリー界の金字塔。この金字塔ははどうやら、内角が等しく144度の十角形をしているようです。



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