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読書「新版画作品集 懐かしい風景への旅」西山純子

江戸時代の浮世絵、明治維新以後の光線画など、木版画の歴史をさかのぼってきました。
個人的な興味をそそられているのは、美人画、風俗画ではなく、なんといっても風景画です。
当然、その後の大正昭和期の木版画の盛衰も大いに気になるところ。
写真でもなく、絵画でもなく、どうして木版画の感触になんでこれほど惹かれるのか。
とにかく良いものは良いというしかなく、これは説明のしようがありません。
個人的に、うすうすと思っている事は、これが日本が世界に誇るアニメ文化の源流になっているのでないかという予想です。

そこで今回はこの本を図書館で見つけてきました。

大正昭和期の木版画は、特に新版画と呼ばれ、国際的にも認められている日本固有の文化ジャンルにもなっているそうです。
この分野は、明治生まれの一人の版元の登場から始まるんですね。

明治の末から大正期のはじめにかけて、ひとりの版元が、近代以降衰退した浮世絵版画の再興を夢見ていました。その名を渡邊庄三郎といいます。
同時代の絵師・彫師・摺師と組み、木版本来の美質に立ち返った新作を構想し、試行錯誤の果てに、新しく画期的な造形の開拓に成功しました。
以来、伊東深水や川瀬巴水らと組んで数多くの作品を世に送り、それらは国内外で高く評価され、愛好されて行くようになります。
ちなみに、伊東深水の娘にあたるのが朝丘雪路です。

大正期の末以降は他の版元も参入し、「新版画」と呼ばれる新しい木版画のジャンルが確立されていきます。
筆風は画家それぞれですが、いずれもみずみずしく、光や湿度の限りないニュアンスとともに当時の景色を伝えてくれます。
個人的には、明治時代の光線画よりも、描写が繊細かつ表現力が豊かになった印象です。

江戸時代の、浮世絵は、富士山や遊女、役者など、多様な日本の象徴を描いています。
北斎や広重などの絵師だけでなく、彫師や摺師、版元も含めた分業システムによって、これらの作品が生み出されました。
「新版画」は、この伝統的な浮世絵版画を現代に再現したものといえます。

渡邊庄三郎は、新しい下絵を木版化することで、浮世絵のタッチを取り戻そうとしました。
その中でも、特に風景画は新版画で最も多く制作されたジャンルです。

そんな中で、伊藤や川瀬の他にもたくさんの画家が登場しました。
高橋松亭、フリッツ・カペラリ、チャールズ・バートレット、吉田博、笠松紫浪、橋口五葉などが新版画の発展に大きく貢献しています。

新版画は、近代的な視覚が確立された時代に始まっています。
近代的な視覚情報とはつまりカメラのことです。
写真の台頭により、浮世絵には、情報源としての役割は失われていきました。
大衆が木版画に求めたのは、純粋な「絵」としての鑑賞に耐えられる芸術性でした。
新版画は、西洋の新しい芸術の影響も受け、多様な表現が駆使出来るようになります。

新版画では、微妙な時間や季節、天候を表現し、見る人に既視感やノスタルジーを感じさせる作品を生み出されていきます。
しかし、この時期の東京は、近代化に伴う都市化が急ピッチで進んだり、大震災などもあり、風景の変化が著しく、郷愁を誘う風景が激減していき、新版画の対象を狭めていきました。

大正時代になると、画家が彫刻や摺刷に関与することで、次第に従来の浮世絵とは異なる作品が登場するようになります。
これらの作品は、特にアメリカでその人気を確立していきました。

浮世絵版画が国外で高く評価されたように、新版画もまた主に海外市場を対象としていました。
渡邊庄三郎氏が新版画を始める前には、新作を軽井沢で外国人観光客に試しに販売し、その反響を肌で感じています。
現在、アメリカやヨーロッパの美術館には多くの新版画が収蔵されており、展示も頻繁に行われています。
日本国内の作品も次第に国外へと流出している状況です。

昭和16年、新版画は太平洋戦争の開戦により大打撃を受けました。
渡邊版画店も例外ではなく、制作は滞りました。
しかし、終戦後、版画は再び注目を集めます。
進駐軍関係者が競って新版画を購入したためです。
これ以上の日本の土産ものはないということだったのでしょう。
特に川瀬巴水と吉田博の作品が人気でした。
しかし、ほどなく職人の高齢化と後継者不足により、新版画の時代は終わりを告げました。
風景版画は、急速に変化する風景に追いつけず、昔ながらの風景は、瞬く間に東京から姿を消しました。

昭和32年に巴水が亡くなり、その5年後に渡邊も亡くなり、個人的には残念と言うほかはありませんが、新版画は実質的に終焉を迎えてしまいます。

しかし、新版画に新たな関心も寄せられているようです。

巴水や博の作品は、古き良き日本を懐かしむ世代だけでなく、若い世代からも注目されて来るようになりました。
実は僕が個人的に木版画に興味を抱いたのは、川瀬巴水の作品と出会ってからです。
新版画の風景は、現代のアニメーションをどうしても連想させます。
これが、僕のようなコテコテの漫画世代を惹きつける大きな理由だろうと推察しています。

僕は、漫画家のわたせせいぞうの大ファンで、彼の作品はほぼ所有していますが、全編オールカラーの彼の作品の心地よさを、この新版画にも感じています。
スタジオジブリの作品にはあまり詳しくありませんが、宮崎アニメの風景の原点もここにあるような気がしています。
渡邊庄三郎が創始した和紙と水性顔料の芸術は、西洋絵画や写真とは一線を画す日本固有の文化として、もっと認められて欲しいとは思いますね。

たくさんの新版画の作品群の中で、なんといっても、個人的なお気に入りは、東京の街のさりげない風景を描いた作品です。
田舎の風景ももちろん良いですが、まだ田舎にはこの時代と同じ風景が残っている可能性があります。
しかし、お江戸東京の場合は、大正から昭和初期の景色がそのまま残っているところはほぼ皆無です。
江戸時代や明治時代となればなおさらでしょう。
そして、僕自身がダウンタウン東京都大田区大森出身ですので、かすかに新版画に描かれた時代の名残が残っている東京の景色を体感していることも大きいかもしれません。

東(吾妻)錦絵という呼称が物語るように、錦絵は江戸生まれ、江戸育ちの美しい浮世絵版画です。
魅力的な新興都市・江戸の息吹を伝える土産としても珍重されたため、画題にも江戸がよく選ばれました。

明治時代に入ると、開化期の東京を光と闇の交錯するなかに描いた小林清親が登場します。
そしてその弟子にあたる井上安治の作品は、本ブログ別項で紹介した通り。
新版画でも東京は人気のモチーフであり、人が憧れ、集まり、暮らし、娯楽を享受し、産業の先端が集中する東京は多種多様な風物で溢れ、素材は尽きることがありませんでした。
新版画では、名所絵の定型を脱した近代的な視点で、見直され、多くの作品に結実しています。
「東京」を冠したシリーズは、新版画には実に多いのです。

浅草観音堂大提灯 笠松紫浪

亀井戸 東京拾ニ選 吉田博

雨の新橋 笠松紫浪


とはいえ明治以降の東京は、めまぐるしく転変する存在でもあります。
近代化により街はかつてない早さで姿を変え、今日確かにあっても、明日も存在するとは限りません。
そのため、移りゆくことを前提に江戸の面影を探し、江戸と変わらぬ東京の風景が描かれることになりました。


さて、暦は3月になっているのですが、昨夜は夜半から雪が降って外は雪景色になっています。
そこで、最後は、新版画の中のお気に入りの雪景色を紹介しておくことにします。

いいんですよ。これが。

歌川広重の「東海道五拾三次蒲原 夜之雪」を例に挙げるまでもなく、雪景色は浮世絵が得意としてきた画題です。
もちろんその伝統は新版画にも確実に引き継がれています。
その風情が愛されたことはもちろんですが、和紙の地色と質感が雪にふさわしく、そのまま生かせることも雪景色を多く描かせた理由でしょう。
特に積もった雪のこんもりとした、ふっくらとした感じは、浮世絵にしか出来ない表現です。
新版画でもこの技術は継承されており、たとえば伊東深水の「近江八景の内 堅田浮御堂」のような雪粒を不規則な四角で表す作品や、ざらざらと雪の舞う様子を表すものなどがあり、やはり表現の技法は増しています。
いずれも画家が描いたその場所は、おそらく身にしみる寒さだったはずですが、木と紙の温もりゆえか、それを感じさせません。

昨夜の雪のスナップ写真が、たくさんSNSに寄せられていますが、やはりそこに写っているのは都会の雪と言う「事件」であって、「風情」ではなさそうです。

堅田浮御堂 近江八景 伊東深水

雪の増上寺 東京二十景 川瀬巴水

中里之の雪 東京拾二題 吉田博

尾州半田新川端 東海道風景選集 川瀬巴水

京都三條大橋 橋口五葉

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