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映画 第12作「男はつらいよ 私の寅さん」1973年松竹

さて、第12作です。

まず、これは言っておかないといけないでしょう。
「男はつらいよ 寅さん読本」によれば、シリーズ全50作品の中で、観客動員数でトップという記録を保持しているのが本作です。
ちなみに、観客動員数54万人でスタートした本シリーズは、右肩上がりで記録を更新し続け、本作ではなんと動員数241万人。5倍近くにまで膨らんでいます。
観客動員数が100万人の大台に乗ったのが第8作目でしたが、それ以来、最終作まで、本シリーズの観客動員数が、100万人を下回る事はありませんでした。
渥美清の遺作となった第48作目の「寅次郎紅の花」の時でも、観客動員数は、170万人でしたから、いかに寅さんが、長きに渡って、映画ファンに愛され続けたかということでしょう。

さて、本作のマドンナは岸惠子。
1932年生まれの彼女は、本作公開時で41歳。
1951年から映画出演をしている彼女ですが、そのキャリアで光るのは、なんと言っても、1953年から54年にかけての「君の名は」三部作。
僕は、大ヒットしたアニメの「君の名は。」は、この作品のアニメ版リメイクだとずっと思っていましたね。
この映画の中で、岸恵子演じる真智子がショールを頭からかぶり端を首に巻くスタイルは、「真知子巻き」と言われて、当時の女性達の間で大流行しています。
我が母親の若き日の写真にも、「真知子巻き」はしっかりと登場しているほどですから、その人気の程が伺えます。
しかし、僕らの世代での彼女の映画体験といえば、やはり金田一耕助シリーズの「悪魔の手毬唄」や「女王蜂」でしょうか。
その後の作品で、彼女の出演を覚えているのは、「たそがれ清兵衛」くらいです。
テレビでは、AGFの「マリム」のコマーシャルをよく覚えていますが、個人的に印象深いのは、彼女の執筆したエッセイです。
1983年に出版された「巴里の空はあかね色」は、面白く読ませてもらいました。
当時は、新卒で入った会社を辞めて、実家の本屋でモラトリアムを決め込んでいた頃で、その頃のベストセラーだった本は、片っ端からタダ読みしていました。
大女優なのに、文才もなかなかのものだと感心した記憶です。
後に、同じ昭和の大女優高峰秀子のエッセイにハマっていったのも、彼女の本が影響していたと思います。
岸恵子演じる女流画家柳りつ子の兄を演じたのは前田武彦。
この人は、僕らの世代では「かわうそ」オジサンとして、「夜のヒットスタジオ」や「巨泉前武ゲバゲバ90分」の司会で有名だった人。
テレビの黄金時代を支えた功労者で「放送作家」という職業の存在は、この人の活躍で知りましたね。
本作では、テレビドラマの脚本家の役です。
大御所枠としては、ワンシーンだけですが、りつ子の恩師役で出演しているのが河原崎國太郎。
そして、これもまたワンシーンだけの登場ですが、りつ子にに言い寄るいけすかない画商を演じるのが、まだ色男だった頃の津川雅彦。
シリーズ12作目として、守らなければいけないテンプレートはしっかりと踏まえつつ、それでもマンネリにならないように、共同脚本家朝間義隆と山田洋次監督が、様々な新機軸を構築しようとする努力が伺える作品になっていますね。

さて、映画冒頭アバン・タイトルの夢のシーンですが、今回は明治か大正の頃の飢饉にあえぐ葛飾郡柴又村。
だあ様と呼ばれる悪徳商人(吉田義男)が、子分の梅太郎(タコ社長)と源公、それに綺麗どころを引き連れてにぎやかに歩いてきます。
このキャスティングは、夢のシーンの定番になってきました。
梅太郎が、だあ様が日本中の菜種油を「買い占め」たといっていますね。
「買い占め」といえば、本作が作られた1973年は、オイルショックのあった年です。
日本各地で、トイレット・ペーパーの買い占めがあったのはまだ記憶に鮮明。
こういった巷の話題が、上手に盛り込まれているあたり、本シリーズが「時代を映す鏡」でもあったことが伺えます。
ちなみに、「だあ様」というのは、古典落語でちょいちょい耳にする名前。これは「旦那様」を崩した言い方です。
さて、今回の寅は、世直しのため、政府に謀反を起こした国賊車寅次郎。
だあ様たちに、謀反者の妹としていじめられている娘(さくら)の前に颯爽と登場。
「この面体。よもや見忘れではなかろう。飢えに苦しむ柴又の民衆に代わって、天罰を与える!」



悪党をピストルで一網打尽にすると、狂喜した村人たちが、寅次郎の活躍を崇めて集まってきます。
ちなみに、前作では見かけなかった「谷よしの」が、本作ではこの村人たちの中にいました。
ノンクレジットでしたので、まったく気がつきませんでしたが、鑑賞後、Wiki を読んでその名前を見つけて再確認。
いましたいました。寅次郎に手を合わせていましたね。
寅次郎が目を覚ましたのは、とある連絡船の船着場。
寅が自分のカバンと間違えて、女子高生のカバンを持って下船してしまうところから映画はスタート。

タイトル後は、里帰りした寅が、レギュラー陣と一悶着を起こすのが本シリーズ鉄板のテンプレートですが、今回は一工夫。
なんと、とらや一行が九州旅行をする間、ちょうど帰ってきた寅が留守番をするという展開です。
さくらが旅行のための買い物から帰ってきて、お店を広げています。
買物の紙袋は、見覚えがあります。あれは三越デパートの紙袋ですね。
さしあたり、日本橋三越本店か、銀座三越のどちらかでしょう。
旅行出発前日だというのに、おいちゃんが一人冴えない顔をしているのは、帝釈天のおみくじで「凶」を引いたから。
おばちゃんは、「あたしゃ、箱根より西へ行くのは初めてなんだからね」などと言っていますが、ちょっと待った。
確か、第3作目では、おいちゃんと一緒に三重県の湯の山温泉に行って、寅とバッタリ遭遇していますね。
ちなみに、とらやで待っていた満男が、さくらに「おかえりなさい」というセリフがあります。
これたぶん、ちゃんと台本に書かれた満男の初めてのセリフではなかろうか。
第1作のラストで誕生した満男(中村はやと)は、そのまま本シリーズの時の流れを体現するキャラクターでしたから、この時はもう4歳。
本作では、このシーン以外にも、ぼちぼちと満男のセリフが登場してきます。
さあ、そんなところに限って帰ってくるのが、我らが寅次郎のいつものパターン。
さくらたちは、旅行のことを寅に言い出しかねていますが、そんなところに御前様が餞別を持って登場して事が発覚。
面白くない寅は、さくらたちに子供みたいにすねたり、当たり散らしたりしますが、やはりここで寅をビシッと諌めるのはさくらの一言です。

「今度の旅行は、博さんが気持ちよく賛成してくれたから出来たんだけど、本当はね。私とお兄ちゃんでしなくちゃいけない事だったのよ。」


たちまち神妙になる寅。一言も返せない寅は、観念して留守番を承諾します。
とらや一行は、全日空機で空路大分空港へ。
ホバークラフトで、大分港へ渡り、向かったのが高崎山自然公園のサル山。
さくらが博に「キャメラ、キャメラ」と騒ぐのですが、これって普通「カメラ」といいませんかね。
但し、映画界周辺の人たちに限っては、よく「キャメラ」と言っているのは聞きますので、その辺りの習慣が脚本には出ていたかもしれません。
まあどうでもいい話ですが。
「のけものにされているサルは人相が悪い」などと係員が説明かると、思わず顔を見合わせるおいちゃんとさくら。
一方とらやでは、留守番の寅が、サルと同じ顔をして不機嫌そうにしています。
旅行初日の一行の宿は、熊本県阿蘇郡小国町の杖立温泉。
旅のよもやま話で盛り上がって、留守番の寅に電話をするのを忘れていたさくら。
あわてて電話しますが、一人きりの留守番が寂しくてしょうがない寅は、酒も回っていて、なかなか電話を切ろうとしません。
おいちゃんが隠し忘れたジョニ赤も、すっかりカラ。
ちなみに、今の携帯電話ではピンときませんが、当時の黒電話は、距離が離れていればいるほど通話料金が高くなる料金体系でした。
北海道や沖縄の文通相手との遠距離電話は経験がありますので、結構気を使ったのを覚えています。
ちなみに、初日の電話料金が「2800円もかかった」と、おいちゃんが言っていましたね。
さて、旅行二日目、一行は阿蘇山に向かいます。
「浅間山だよ」「阿蘇よ」「あっそ」
高校の修学旅行のバスの中で、さんざん連発して、まるで受けなかった定番ギャグですが、これをおばちゃんが言うとなぜか可笑しくて不思議です。
僕の覚えている限り、本シリーズにおける、おばちゃんの唯一のギャグだったかもしれません。
二泊目は南阿蘇村の栃木温泉。
川魚を釣り上げる博たちを、目を細めて旅館から見下ろすおいちゃんとおばちゃん。
その夜も、タコ社長の相手に酒を飲んで、目の下を真っ赤にしながら、電話のベルが鳴るのをいまかいまかと待っている寅。
しかし、その寂しさが暴走して、電話口でおいちゃんと大ゲンカになってしまいます。
いつもなら「それをいっちゃあ、おしめえよ」と啖呵を切って出て行く展開ですが、それを引き止めるさくらはいません。
鼻をすすりながら二階へ上がっていく寅に、タコ社長が、
「哀れだねえ。」
翌日一行は、熊本城を訪れていますが、おいちやんとおばちゃんは完全に意気消沈。
昨夜の寅との一件で、せっかくの旅行を楽しめるモードではありません。


博とさくらは結局、三泊目をキャンセルして、一日早く旅行を切り上げることにします。
しかし、それを聞いた寅は、自分のせいで、一行が予定よりも早く帰ってくる事になったことなど露知らず、俄然張り切りだします。
旅から帰って来るとらやの面々を、暖かく迎えるべく完全に「おもてなし」モード。
部屋の中は綺麗に片付け、茶漬けやお新香の用意も万全。お風呂の用意もぬかりありません。
いつもとは完全に逆パターンです。
お勝手には、タコ社長のエプロン姿も見えます。

「長旅をしてきた人は、優しく迎えてやんなきゃいけない。」

目を細めてそう言う今回の寅さんは、いつもと違って、まことにけなげで殊勝です。
しかし、さくらたちが大きな土産物袋を抱えて帰ってくると、嬉しいはずの寅は、なぜか一行から逃げるように風呂場へ。
さくらが寅を見つけて、声をかけても、寅は風呂の湯をかきませながら、顔を上げようとしません。
肉親のありがたみを身にしみて感じた寅は、その涙をさくらたちに見られたくなかったようです。
本シリーズを、ここまで見てきて、初めて見る寅の姿でした。


その改心の思いを、おいちゃんたちには口に出来なくても、御前様にはポロリと漏らす寅。
そんな寅の噂は、たちまち柴又中の噂になります。
ちょっと話は脱線しますが、おばちゃんがそんな話題を聞く八百屋のシーン。
ぶら下がっている秤に、玉ねぎを乗せて量り売りしているのが懐かしかったなあ。
今の野菜のほとんどは、スーパーの棚に綺麗に陳列されて売られていますが、昔は全部アレでした。
買う側は、店の人にグラム数を伝えて、売ってもらっていました。
ですから形もサイズもバラバラな野菜が当たり前に売られていました。
百姓を始めた今だから、改めて新鮮に映る下町の光景です。
洋裁の内職をしているアパートの部屋で、さくらがそんな寅の近所の評判を微妙な顔で報告すると、博が言います。

「喧嘩も、恋愛もしない兄さんなんて、兄さんらしくないって言いたいんだろ。」

苦笑いのさくら。

「でも、大丈夫だよ。そのうちきっとなにか始まるさ。」

つまり、今回は、今までとは違う、そんな「寅さんさんらしくない」寅さんも描いておこうということだったのでしょう。
しかし、そんな寅さんも、やっぱり寅さんなんですね。
思い出すのは、第8作目で、とらやを出て行こうとする寅が、さくらに「こんな兄ちゃんの暮らしが羨ましいと思ったことがあるかい」と聞くシーンです。
さくらは寅にこう答えていました。
「あるわ。一度はお兄ちゃんと交代して、私のことを心配させてやりたいわ。」
今回のここまでの展開では、寅がまさに普段のさくらたちの想いを、身をもって体験したわけですね。
本シリーズも12作目まで作られて、ここらでいつもとは違う寅の姿を披露しようという脚本チーム(山田洋次と朝間義隆)の練りに練ったアイデアだったのでしょう
もちろん、喧嘩も失恋もしない寅は、当然ながら柴又を去ることもないのですが・・・

さて、江戸川の堤で、居眠りをしている不審な男。
土手の上から、満男を連れて歩いていくさくらの歌声が聞こえると、男はガバッと起き上がります。
そのままさくら達を追って、とらやまでやってくる男。
寅が出てきて、男を羽交い締めにすると、不審者はあわてて名乗ります。

「僕だよ。寅次郎くん、わからないのかい。」


不審者は、寅の小学校時代の同級生柳文彦でした。あだ名は「デベソ」
たちまち旧交を復活させ、意気投合する二人。
二人は二階にあがって昔話で盛り上がりますが、階下ではおいちゃん達が神妙な顔で話し合っています。
柳文彦は、柳病院の御曹司で、今は三流テレビドラマの脚本家。
柳病院の院長は界隈でも有名な人格者でしかも文化人だった人。
しかし、終戦直後の良心的すぎる病院経営で、病院はつぶれ、今は屋敷だけが残り、そこには娘(文彦の妹)が一人暮らしをしている。
文彦のそんな基本情報をみんなが確認したところで、上機嫌の二人が二階から下りてきます。
盛り上がった勢いで、一升瓶を担いで、柳家のお屋敷へ向かう二人。
土手沿いの瀟洒な屋敷の門に下がっている看板には「デッサン油絵教えます」と書かれています。
父親亡き後の屋敷に住む文彦の妹は、画家をしていることがわかります。
屋敷に、妹は不在で、リビングいっぱいに広がっているのは画材やキャンパス。
小学校時代に音楽を教わった「キリギリス」先生の思い出話でしんみりしていると、ふと手に持った絵筆で、描きかけのキャンパスを汚してしまう寅。
渥美清は、このあたりの絶妙な動きを、実に自然に表現するんですね。
うん、やっぱりこの人は喜劇役者としては天才的です。
寅は文彦と一緒になって、あわててキャンパスを修復しようとしますが状態はますます悪化。
そんなところに、妹が帰ってきます。
お待たせいたしました。本作のマドンナ、柳りつ子です。映画開始から、なんと52分経過しての登場となりました。
キャンパスの悲惨な状況を見て、たちまち怒り心頭のマドンナ。


寅に向かって「くまさん」だの「かばさん」だのと怒りをぶつけるりつ子に、寅も「このキリギリス野郎!」と応戦。
寅と文彦の小学校時代の音楽教師のニックネームが、さりげなくマドンナのニックネームに変わっています。
寅が怒って帰った後、りつ子に謝罪しながら、そっとキャンパスの端にお金を置いて帰ろうとする文彦。
「あいつは本当はイイやつ」と、友人をフォローする兄貴の言葉に、りつ子は押し黙ります。
山田監督は、前作で自立した女リリーを寅の相手役にしましたが、今回のマドンナも同じ路線と言っていいでしょう。
但し、マドンナが芸術家というのは、はじめてのパターンです。
リリーはある意味では、寅と同じ世界を生きてきた女性でしたが、りつ子は明らかに寅とは違う世界を生きる女性。
出会っていきなり大喧嘩というのも、いままでありそうでなかったパターン。
しかし、これはある意味で、恋愛ドラマにおいては、もっとも王道な男女のイントロとも言えます。
さて、この二人はいったいどうなるのか。
怒りモード沸騰のまま、とらやに戻ってきても、寅の気は治りません。
夕食になっても、周囲に不機嫌を撒き散らす寅。
翌日、とらやの電話がなります。
それはりつ子からでした。
それを聞いた寅は、二階からドタバタと降りてきて、とらやの面々にまくし立てます。

「いいか。さくら。塩持ってこいっていったらスーッと塩持ってこい。味噌なんか持ってくるな。俺はその塩をぐっと掴んで・・」

そこに、花束を持ったりつ子。

「あーら、くまさん。」

マドンナの満面の笑顔に、たちまち戦意喪失の寅。

「いえ、と、とらです。」

毎度お馴染み、これまでも何回となく見てきた、とらやでのマドンナとの再会シーンですが、今回は特に腹を抱えました。
展開はわかっていても、その語り口で何度でも笑わせてもらえるあたりは、ほとんど古典落語の味わいです。
山田洋次恐るべし。
すぐに、おばちゃんの手料理の歓待を受けて、とらやの団欒に融けこむりつ子。
寅は、昨夜からの剣幕などまるでなかったかのように、終始やに下がりっ放しです。
恋愛モードに、完全にスイッチが入ってしまった、今回の寅の運命やいかに。
さて、数日後、帝釈天の参道を、とらやを目指す色男が一人。
画商の一条です。演じるのは津川雅彦。
一条は、りつ子にプロポーズをしていて、りつ子がその返事をするために指定したのがとらやだったのです。
何も知らずに、とらやに戻ってきた寅は動揺を隠せません。
おいちゃんたちは、あまりに早い寅の恋敵の登場に、はやくも寅の失恋を確信します。


かくして、寅のシリーズ12回目の失恋が、ここに悲しくも・・・。

いやいや。ところがどっこい、今回はそうはなりません。
一条を送って戻ってきたりつ子は、旅の支度をして出て行こうとする寅やさくらに報告します。

「いっちゃった。いっちゃった。さくらさん、見たあの男。嫌なやつなの。大っ嫌い。」

たちまち笑顔が戻る寅。
本作においては、寅とマドンナを巡る、このあたりのメリハリのつけた方が、本当にうまいと感心してしまいます。
登場した恋敵が、寅からマドンナを奪っていかないという展開も本作がはじめて。
山田監督も、本シリーズがマンネリ化しないようにと、いろいろと知恵を絞っているのが伺えます。
りつ子が、フランスパンを買いに行って財布を忘れているのに気がつくと、さっと代わりに代金を払う寅。
帰りの道すがら、絵なんて描く女にろくなのはいねえとまくし立てていたことなどコロリと忘れて「いい絵を描きなよ」と励ます寅。
りつ子は、笑顔で寅にこう言います。

「寅さんは、私のパトロンね。」

その夜のとらやでは、さっそく芸術談義です。
こういう場で、支離滅裂な論を展開する寅の話を最終的に上手にまとめるのは、ほぼ博の役目になっています。
食べていくだけでは、人間の喜びはない。だからこそ、芸術は必要。
それだけでなく、おいちゃんが盆栽をいじるのことも、みんなで団欒を過ごすことも、寅が美人に恋することも、どれも生きている証として必要なこと。
そう言われてまんざらでもない寅は上機嫌です。
なにかと用事を見つけては、りつ子の家に通いたい寅は、満男の描いた絵を持って、専門家の意見を聞こうと、りつ子のアトリエに、さくら親子を引っ張っていきます。
しかし訪問すれば、用事もほどほどに、さくらも一緒にいる安心感も手伝って、子供みたいにはしゃぐ寅。
江戸川土手で写生をするりつ子の横にも、もうそれだけで嬉しそうな寅がいます。

雨の降る日、鎌倉にある絵の恩師(河原崎國太郎)を訪ねてるいりつ子。
彼女はそこで、自分が密かに想いを寄せていた同業の男性が、結婚することになったという話を聞かされます。
落ち込んだりつ子は、そのまま寝込んでしまいます。
いつもなら、寅の専売特許である「恋の病」で倒れてしまうのが、今回はマドンナのりつ子であるのもこれまでにない展開。
さあ、こうなれば、寅の出番です。
理由は聞かされないまま、文彦からその報告を受けた寅は、果物カゴを源公に持たせてりつ子の家に向かいます。
しかし、一旦恋愛モードに突入した寅は、マドンナと二人きりになると、いつもの寅ではなくなるのがお馴染みのパターン。
座ろうともせず、すぐに帰ろうとする寅を、りつ子が引き止めます。
そして、兄の文彦にも言えなかった自分の病気の真相を、寅には白状するりつ子。

「私、失恋しちゃったの。いい歳してバカみたいでしょ。」

しかし、男ならこの千載一遇の押しどころを見逃す手はないという展開に、我らが寅次郎は、女心を揺らす気の利いたセリフのひとつも言えず、庭先の蝶々を追いかけ出す始末。
結局、恋の病は、りつ子から、そのまま寅に伝染してしまいます。
りつ子の見舞いから帰ってきた寅は、そのまま二階に上がって寝込んでしまいます。
すると、今度は逆に、元気になったりつ子に見舞われる寅。
しかし、「恋の病」で朦朧としている寅は、枕元にいるさくらとりつ子を間違えて、あろうことか愛の告白(らしき独り言)を洩らしてしまいます。
好意は十分にあっても、少なくとも寅を恋愛の対象としては見ていなかったりつ子は、寅の気持ちを知って困惑します。
恋する男としては、事態は最悪の展開です。
こういう時に、空気を読めずに必ず地雷を踏むタコ社長に掴みかかったり、事情は知らずに、病気を励ましに来た文彦にも当たり散らして追い返してしまう寅。
しかし、やはり寅の足は、それでもりつ子のアトリエに向かってしまいます。
優しく寅を迎え入れるりつ子。
しかし、寅に何を伝えるべきかを、りつ子はもうすでに心に決めていました。
隣の家から流れてくるピアノの曲は、ショパンの「別れの曲」。
結局何も言い出せない寅に、りつ子はこう言います。

「私、寅さんには、何もかも包み隠さず話せるいい友達で、これからもいて欲しいのよ。」


これは、優しいようで、恋する男の心には、ズブリと突き刺さります
かくして、シリーズ12回目の失恋が、悲しくも成立です。

これまでの寅の失恋の多くは、状況を理解した寅が、潔く自ら身を引くというカタチでした。
6作目の若尾文子にも、寅はやんわりと「ノー」を言われていますが、この時は、言われた寅がそのことに気がつかないという展開でしたね。
しかし、今回の寅は、シリーズで初めて、マドンナの口から直接、「インポッシブル」を言い渡されるという、残酷な結末となりました。
これも今回が初めての展開です。
もちろん、とらやに戻った寅は、いつものように、そのままカバンを持って、柴又を去って行きます。

「それが、渡世人のつれえところよ。」



江戸川の堤を歩くさくらとりつ子。
りつ子は、ポツリとさくらにこう言います。

「いつまでも、ずっといい友達でいたかったのに。バカね。寅さん。」

それが、ふられる男にとっては、どれだけ残酷で、辛いことかを、この美女はどれだけ理解してくれているのか。
りつ子の横顔を追うさくらの眼差しに、兄に変わって、そう問いかけたいさくらの気持ちが垣間見えたような気がしました。

正月を迎えたとらや。
いつもの寺男の服装ではなく、ピシッとネクタイを決めて、とらやに年始の挨拶に現れた源公に、笑い転げるとらやの面々。
そこには、スペインに渡って、絵の修行をしているりつ子からの絵葉書が届いています。
そして、九州の阿蘇山火口近くの阿蘇不動尊で、干支の縁起モノの絵や、張子の虎を啖呵売をする寅の姿。
商売モノの額縁の隅には、「非売品」と書かれた、寅の快心の笑顔をスケッチした絵が置かれています。
そして、その絵には、りつ子の署名がしっかりと添えられていました。

というわけで、終わってみれば、今回の寅次郎は、冒頭とラスト以外は、ずっと、とらやにいたという珍しい作品となりました。

さて、次回はシリーズ第13作「男はつらいよ 寅次郎恋やつれ」となります。



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