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映画 第11作「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」1973年松竹


さて、11作目です。

今回のマドンナは、浅丘ルリ子。
彼女が演じるのは、ドサ回りの歌手松岡リリー。
彼女はこの役で、渥美清との共演が4回。
渥美清の没後に作られたシリーズ番外編2本にも出演(49作目は「ハイビスカスの花」の特別編集版)していますので、本シリーズの登場回数はなんと合計6回。
ダントツのシリーズ最多登場マドンナということになります。
その彼女が初登場となるのが本作です。
浅丘ルリ子は、1940年生まれですから、本作公開時で33歳。
渥美清とは、ちょうど一回り違いのマドンナということになります。
浅丘ルリ子といえば、なんといっても日活の看板女優としての華やかなキャリアが光ります。
石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎が主演する映画のヒロインは、ことごとく彼女だった印象ですね。
しかし、二十代の彼女の美しさを銀幕で見てウットリしていたのは、僕らより一回り上の「団塊の世代」のおじさまたち。
僕が、浅丘ルリ子を初めて意識したのは、実はレコード歌手としての彼女。
1969年にリリースされた「愛の化石」という曲でした。
歌っているというよりも、実は語っているという方が近いのがこの曲。

教えてあなた 愛するって耐えることなの? (これもちろんセリフ)

この曲を聴いた時には、少年心にも、これで歌手というのはちょっとズルいのではと思った記憶があります。
しかし、このレコードが発売された4年後の1973年には、武田鉄也率いる海援隊の「母に捧げるバラード」という語り中心の曲がヒット。
彼らは、これで翌年の紅白歌合戦に出場しています。
もしかしたら、武田鉄矢がー「母バラ」を「語りメインで行こう」と決めた背景には、「愛の化石」の影響があっても不思議ではなさそう。
しかし、映画での浅丘ルリ子との出会いは、やはり寅さん映画でした。
僕が初めて、本格的に松岡リリーと出会ったのは、本シリーズ第25作「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」だったのはよく覚えています。
もちろん、初公開からずっと後になっての名画座でしたね。
大学生になってからは、とにかくヘビーローテーションで関東一円の名画座通いをしていました。
それまでは敬遠気味だった「男はつらいよ」シリーズでしたが、「寅さん映画も案外いいじゃん」と思い始めるきっかけになった一本でした。
その後、松岡リリーが登場する寅さんシリーズが過去に二作品あると知って、遡って本作を鑑賞したのは、たぶんレンタル・ビデオでしたね。

山田監督は、マドンナを決める時には、二つのパターンがあると言っています。
一つは、映画のあらすじを考えて、この物語にはどういう女優がいいだろうかと考える場合。
そしてもう一つは、寅さんの相手がこの女優だったら、どんな物語になるのかと考える場合。
浅丘ルリ子は、後者のパターンだったそうです。
これまで、寅さんが惚れてきたマドンナたちは、どちらかといえば、物静かで、控えめで、着物が似合うような女性たちでした。
しかし山田監督のイメージでは、浅丘ルリ子はその対極にある、洋服が似合う自立した勝気な女性。
このイメージから、ひねり出されたのが旅回りのキャバレー歌手リリーという設定でした。
日活のアクションスターたちとは、一味も二味も違う渥美清演じる車寅次郎という相手役を得て、彼女は俄然キラキラと輝いたという印象です。
しかも演じるのが、今まで自分が演じてきた女性たちとは、全く違う、いわば汚れ役。
今までのマドンナたちは、所詮寅次郎とは住む世界が違う女性たちでしたが、今回のリリーは、はじめて寅と同じ側の「カタギではない」女性です。
歴代のマドンナと比較すれば、一歩も二歩も寅に近いマドンナ松岡リリーは寅との相性もバッチリ。
浅丘ルリ子にとっても、まさに「当たり役」となりましたね。

さて、本作冒頭の夢のシーンは、天保の頃の柴又村。
今まさに、女衒の梅太郎(タコ社長)に売られて行こうとする農家の娘おさく(さくら)。
娘の年老いた「おとっつぁん」は、寅次郎の夢の常連キャストになった感のある吉田義男。
そこに投げ込まれた小判。
颯爽と登場したのは、旅ガラスの寅次郎。
おさくが「あんちゃん」と呼ぶと、
「あっしゃあ、この柴又村には、なんの関わり合いのない旅ガラスでござんすよ。」
ははあん。ぴーんときました。
「関わり合いのない」といえば、この当時の人気時代劇「木枯らし紋次郎」の決めゼリフ。
Wiki してみたらどんぴしゃりでした。
この映画の公開された1973年に、フジテレビ系で放映されていた大ヒットしていたドラマですね。
この夢のシーンは、コスチュームプレイとしてセットも大かがりになってきました。
こうして、流行のヒットテレビ番組をパロディにするあたり、スタッフたちが、楽しみながら取り組んでいる空気が伺えます。
演じるレギュラー陣も、大真面目で取り組んでいて、この夢のシークエンスは、山田組にとってのレクリエーションになってきた感があります。
そんなこたあ「お天道様もお見通しだぜ !」


さて、まずはレギュラー陣による「寅の里帰り騒動」。
とらやでは、御前様を迎えて、寅とさくらの父の二十七回忌法要が行われるところ。
そんなところに寅が戻ってきます。
「いったい誰が死んだ?」と早とちりして、神聖な空気をぶち壊す寅次郎。
一同揃っているの確認して、最後は「俺か?」となりますが、このあたり古典落語の「粗忽長屋」からのネタをひねっていますね。
山田監督は、古典落語にも造詣が深い人ですので、下町人情喜劇のお手本として、古典落語のネタは本シリーズにも度々登場します。
この辺りは、こちらもこの歳になって再見して気がつくところ。
御前様に諭されて、仏壇の前に座る寅次郎。
しかし、読経を神妙に聞いていられる寅ではありません。
たちまち、悪ガキのようなイタズラをはじめて、法事はメチャクチャ。
その夜、とらやではそのことで大喧嘩となります。
翌日、幼稚園に満男を迎えにいったさくらが帰る道すがら、一軒の家から聞こえてくるピアノ音色に足を止めます。
「満男。ピアノよ。いいわねえ。」と、思わずもらしてしまうさくら。
そのことをとらやに戻って博に話していると、それを聞きつけた寅が、ここでまたしても勘違い。
昨夜のことを多少なりとも反省してる寅は、いいところも見せておこうと飛び出していきました。
しかし、しばらくして戻って来た寅が、手にしていたのは、なんとおもちゃのピアノ。
さくらたちは唖然としますが、せっかくの寅の善意を笑い飛ばすわけにもいきません。
得意満面の寅に、みんなで話を合わせていると、タコ社長が登場して、またしても空気をぶち壊す一言。
さくらたちが欲しいと思っているのは、本物のピアノだと知って、たちまち寅はヘソを曲げてしまいます。


こうなると、この男の口から出てくるのはデリカシーのかけらもない暴言だらけ。
たちまち、とらやは昨夜同様の険悪なムードになります。
こうなれば、寅は、カバンをもって出て行くというのがお決まりの流れ。
さくらは、寅を追いかけていきますが、博もやりきれない思いを飲み込んで一言。

「あーあ、どっか広いところへでも行きたいな。地平線がどこまでも繋がっているような。例えば、北海道かな。」

そして、数日後、寅が歩いているのはその、地平線がどこまでも続いている夏の北海道です。
網走に向かう夜汽車の中で、ふと寅が見かけた、明らかに都会の女とわかる美女。
それが、松岡リリーでした。
彼女は、夜の車窓から見える景色を見て、そっと涙を拭いていました。
さて、網走でバイをはじめる寅さん。
しかし、このさいはての漁師町では、なかなか客も集まりません。
網走橋で、寅がぼうっと漁港の様子を眺めていると、声をかけてくる女が一人。

「さっぱり売れないじゃないか。」

リリーでした。
網走では、完全にアウェイの二人は、それをわかり合った上で、語り合います。
漁港を出て行く船を見送る親子を眺めながら、ポツリポツリとリリーが語り始めます。

「私たちみたいな生活って、あってもなくてもどうでもいいみたいな、泡みたいなもんだね。」

それに答える寅。

「そうだよ。それも上等な泡じゃねえやな。風呂の中でこいた屁じゃねえけれど、背中の方に回ってパチンだよ。」

笑いをこらえきれなくなっているリリー。
「またどこかで会おう」といって別れる二人ですが、別れ際にリリーが寅に聞きます。

「にいさん。なんて名前。」

「俺か。俺は葛飾柴又の車寅次郎ってんだよ。」

「じゃあ、寅さん。いい名前だね。」

寅の頭の中には、リリーが言い残した「泡」という言葉がグルグルと巡っていました。


ガッツリメイクをしたリリーが、網走のキャバレーで歌っているのは終戦直後の流行歌「港の見える丘」。
残念ながら「愛の化石」ではありませんでした。
一方の寅は、北海道で一念発起。
泡ではない「まともな暮らし」を始めるべく、職安に紹介された卯原内にある栗原牧場の門を叩きます。
しかし、威勢が良かったのは初日だけ。
慣れない仕事と日射病がたたって、三日目にはもう寝込んでしまいます。


心配になった栗原一家は、寅がうわ言で度々口にするとらやに速達を送ります。
寅を引き取りに、北海道へ向かうさくら。
一念発起して、地道な暮らしを始めるという展開は、第5作の「望郷編」以来。
さくらが旅先の寅に会いに行くという展開は、第7作目の「奮闘編」以来ですね。
またしても、寅にふりまわされてしまうさくら。
実は、本作までを順番に鑑賞してきて、見ているこちら側に少々変化が出てきています。
それは感情移入が、主人公の寅から、次第にさくらの方に移りつつあるということ。
もともと、このシリーズの仮タイトルとなっていたのが「愚兄賢妹」でした。
これではあまりにタイトルとして固すぎるということで、流行歌の一節にあったフレーズから拝借したのが「男はつらいよ」。
つまり、この映画の主人公は、実は「愚兄」ではなくて、「賢妹」の方ではないのかと思えてきたんですね。
もともと、映画は女優の魅力で追いかける傾向がありましたので、シリーズを追うごとに、賠償千恵子が演じるさくらの、さりげなく自然な「普通」さに、惹かれ始めて来ました。
本シリーズのタイトルは、個人的には「妹はつらいよ」ですね。
もちろん、本作の土台を支えているのは、渥美清という天才的喜劇俳優の魅力です。
寅次郎のあまたある暴言暴挙暴力は、喜劇の天才渥美清の至芸で、絶妙に「笑い」へとすり替えられているんですね。
けれど、こうして、彼の行動を、渥美清の演技から離れて、文章だけにして追っかけてみると、おや、あまり笑えないぞということに気がつきます。
もともとが、東映のヤクザ映画のパロディとして企画されたのが、本シリーズです。
車寅次郎は、人こそ殺したりはしませんが、生粋のヤクザで、裏街道を歩くしかないアウトローです。
彼がこれまでどんな騒動を引き起こしても、とらやの面々は、最終的にはそれをなかったことに出来る優しさを持っています。
夜に「出てけえ」と怒鳴っても、朝になれば、ポロリと涙の一粒も浮かべて「いっちゃうのかい」と言ってやれるわけです。
寅をめぐる一同のこの感情表現の振幅こそが、本シリーズの魅力のひとつであることは間違いありません。
しかし、実際問題、これだけの問題児(寅次郎は子供ではありませんが)を抱えた家族に、果たしてこれだけの笑いが起こるものか。
これは、よくよく考えれば、やはり山田マジックで、映画でしかあり得ないファンタジーなんですね。
これだけ、常軌を逸した札付きを抱えた家族の苦労は、普通に考えて尋常ではないはず。
とらやの人間関係で言えば、妹のさくらは唯一寅次郎の肉親です。
その心労も並大抵ではないはず。
遠い北海道のフリーストール牧場で、根を上げて、経営者一家に迷惑をかけている兄を迎えに行く妹の心情がいかばかりのものか。
迎えに来たさくらを見て、「大変なんだぞ。朝4時半から起きて。まったくひでえ目にあっちゃったよ。」と叫びながら、草原の斜面を駆け下りてくる寅次郎。
正直これは笑えませんでしたね。
「寅さんさあ。あなた、自分からここに来ておいて、その言い草はねえだろ」と、少々イラっとしてしまいました。
猫の手も借りたいこの時期に、能書きだけ達者な都会のアマチャンが来ても、農家は実際には迷惑なだけ。
栗原牧場のオーナーを演じたのは織本順吉。
彼は、口先だけの寅に対して最後まで腹も立てずに、良心的に接していましたが、普通ならキレるところです。
ちなみに、本作では愚兄を「回収」しにいっただけのさくらでしたが、倍賞千恵子は、この7年後の「遥かなる山の呼び声」では、今度は民子として、女手一つで北海道の酪農牧場を経営する未亡人を演じることになります。
1971年製作のロードムービー「家族」でも、倍賞千恵子の家族が移住した先は、北海道の牧場でしたね。
3年ほど前に、北海道の酪農牧場に、修行に行ったことがありますが、実際大変な仕事です。
さしずめ、女優もつらいよ。

牧場の家族には、迷惑をかけるだけかけて、さくらに抱えられるようにしてとらやに帰還した寅次郎。
商売をする気力もなく、二階でデレっとしていますが、自分を笑う階下からの声を耳にすると、またヘソを曲げて、出て行こうとします。
おいちゃんたちに向けてのいつもの口上が始まると、このシリーズをここまで順番に見てきたものとしては、「お、ここでマドンナ登場だな」ということがピンとわかります。
寅が勢いよく、とらやを出ると、今回はなんとその店先で、リリーとの再会です。
うーん。これはどうよ。
網走で別れた彼女には、「葛飾柴又の車寅次郎」と名乗っていただけ。
「参道のだんごや」とまでは言っていません。
「また日本のどこかで会おう」とだけ言葉を交わし合っていた二人。
最初の二人の出会いには、リリーがここを訪れるための伏線は特になし。
ですから、リリーがいきなりとらやの店先ほブラブラしているというのは、いくらなんでもちょっと有りえなさ過ぎる偶然でしょうとは思いつつ、ここは寅さん映画に免じてグイと納得することにします。
店先をうろついた挙句、寅がリリーと腕を組んで、とらやに戻ってくると、先ほどの険悪な空気はたちまち吹っ飛んでしまいます。
いつものパターンですね。
開いた口が塞がらないとらやの面々ですが、この美人の登場でとらやは一気に華やぎます。
おばちゃんの手料理に舌鼓を打つリリー。
アットホームで、飾りがなく、「よそもの」の自分も、すっぽりと包み込んでしまう下町の人情に触れて、たちまちリリーは上機嫌。
殺伐とした、味気のない自分の暮らしとはまるで違う、血の通った庶民の暮らし。
それを象徴するように、縁側の鉢植えには、忘れな草がひっそり咲いています。
満男にお小遣いを渡し、ほっぺたにチューをして、一同に見送られながら、とらやを去るリリー。
江戸川堤の夕焼けが、優しくリリーを包みます。
その夜のとらやでは、階級談義。
とらやの暮らしが「中流」かどうかの結論は出ませんが、カラーテレビやステレオは持っていないかわりに、人を愛する心(正確には美人を愛する心でしょうか)なら誰にも負けない寅は・・・
おいちゃんが言います。

「さしずめ、寅は上流かあ。」

そう言われて、まんざらではない寅は、上機嫌で歌いながら二階へ。

ふたたび、おいちゃんが顔をしかめて、

「バカだねえ。」

これは初代おいちゃん十八番のセリフでしたが、二代目おいちゃんバージョンもなかなか味がありました。

さて、愛しのマドンナが、またいつ訪ねてくるかわからないというモードになると、仕事には出ずに、一日中とらやでブラブラしてしまうのが寅。
忙しいおばちゃんに店番を頼まれても、だんごを食べに来た客を、追い返してしまう始末です。
そんなところに、フラリとリリーが訪ねてきます。
たちまち、ハイテンションになる寅。
そこへ訪ねてきたのは来来軒の店員のめぐみです。

「すいませんけど、工場の水原君呼んでくれませんか。」

めぐみと水原は、共に東北の青森出身で、ひそかに愛を育んでいました。
水原を演じているのは、江戸家小猫。
この人は覚えています。動物のものまね芸で高座に上がっていた人で、お父さんは江戸家猫八。テレビ番組の司会なんかもやっていましたね。
リリーの来訪で上機嫌の寅は、「よう二枚目。可愛い恋人が待ってるぞ。早く来てやれ。」とノーテンキな取り次。
愛を育んでいるとは言っても、まだそんな関係ではない純真なめぐみは、たちまち手で顔を覆って走り去ってしまいます。
真っ青になって、めぐみを追いかける水原。
すぐに、朝日印刷の工員たちと、あわてて飛んでくる博。

「にいさん。なんてデリカシーの欠けたことを言ってくれたんですか。」

博にそう言われても、なんのことやらさっぱりわからない寅。
リリーに「早く、追っかけたほうがいいんじゃないの」と促されて、博たちは水原とめぐみを追いかけます。
江戸川の河川敷に、車座になる一同。
博が水原に、めぐみへの気持ちをはっきりさせたほうがいいと促すと、水原は立ち上がります。

「僕は、めぐみちゃんが好きだ!」

戦後の名作青春映画「青い山脈」のノリですね。
再び、手で顔を覆って泣き出すめぐみ。
土手の上では、自転車を止めて、さくらがその様子を見ていました。

その夜、とらやの夕食後の団らんで、リリーにその時の様子を報告するさくら。
リリーは、興味津々ですが、デリカシーがないと言われた寅は仏頂面。
話題が、寅の失恋話になると、リリーの大きな瞳はさらに輝きだします。
慌てる寅ですが、結局本作までの10人全てのマドンナたちとの失恋が暴露されてしまいます。


「ぶっちゃけた話、いつもふられっぱなしなんだから。」

最後は開き直る寅ですが、リリーはそんな寅を決して笑いません。
何度ふられてもまた恋をしてしまう恋愛体質の寅に、リリーはおおいに理解を示します。
そして自分も、一生に一度でいい、一人の男に惚れて惚れ抜きたいと本心を吐露するリリー。
男に惚れたことがないというリリーに、さくらが聞きます。

「でも、初恋の人っているでしょう?」

神妙な顔をしている寅に向かってリリーは、しばらく考えて「言ってはいけない」一言を言ってしまいます。

「私の初恋の人。それは寅さんじゃないかしらね。」

寅はたちまちしどろもどろになり、あっという間に有頂天。
その夜、リリーはとらやに泊まることになります。
糊のきいた布団も、さくらが枕元に置いた一輪挿しも、隣の部屋で自分を見守ってくれる心優しき「初恋の人」も、リリーにとっては何もかもが新鮮。
そんなとらやの二階を、月の光が優しく照らしています。

さくらは、寅が世話になった北海道の栗原牧場に、お礼の品を送っていました。
そのお礼状を、おばちゃんに読んで聞かすさくら。
寅はその返事を書こうとはしますが、まともなお礼文を書けるわけもなく、結局代筆するのはさくら。
アパートでミシンを踏みながら、さくらは博に言います。

「リリーさんは、賢い人よ。きっと自分の力で幸せを掴むわ。」

しかし、リリーの現実は厳しいものでした。
なにかと無心してくる母親との関係もギクシャク。
キャバレーのステージで歌えば、酔った客に・・・

そんなある夜、寝静まったとらやの入口を叩く音。
酒に酔ったリリーでした。
お店でのトラブルで、自棄酒をあおったリリーの足は、自然ととらやに向かっていました。
怪訝そうなおばちゃんでしたが、ここは寅の出番です。
今すぐ一緒に旅に出ようというリリーを、寅は必死になだめます。


「寅さんには、こんないい家があるんだもんね。私と違うもんね。」

悲しくて歌い出すリリーに、寅はこういいます。

「ここは、カタギの家なんだぜ。」

突然帰ると言い出すリリー。

「ここは私のような女のくるところじゃないんだよね。」

出て行こうとするリリーの腕をとって止めようとする寅。
リリーの大きな瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちます。

「寅さん。なんにも聞いてくれないじゃないか。嫌いだよ。」

泣きながら出て行ってしまったリリーを、寅は追いかけようとはしませんでした。

それでも、リリーのことが心配な寅は、いろいろと聞きながら、住んでいるアパートを見つけ出します。
表札を見つけて、ノックをする寅ですが、開いていたドアから入ると中はすでに引っ越した後。
リリーが住んでいた部屋から見えるベランダでは、隣の家の子供が無邪気に遊んでいます。

かくして、寅のシリーズ11回目の失恋が、ここに悲しくも成立。
しかし、今回はいつものように恋敵がいたわけではありません。
ならば、リリーに「初恋の人」とまで言わせた今回の寅の、どこに非があったのか。
これはなかなか悩ましいところです。

自分もまた旅に出ることに決めた寅。
上野駅の地下食堂に、寅のカバン持ってさくらがやってくると、ラーメンをすすりながら寅が待っています。
いつかのリリーと同じように、満男に飴玉でも買ってやってくれと財布を取り出すと、中には500円札が一枚だけ。
さくらが、その財布をとって、自分のがまぐちから、折りたたんだお札を入れてあげるのですが、その目には涙がいっぱい。
さくらには、リリーに悲しい思いをさせてしまった寅の切ない気持ちが痛いほど理解できました。


それから、しばらくした夏のある日。
とらやに一枚のハガキが届きました。
ハガキの送り主はリリーです。
歌手をやめて結婚したリリーは、松戸市の五香駅近くで、小さな寿司屋を始めたとのこと。
さくらが訪ねてみると、そこには、エプロン姿ですっかりと女将さんっぽくなったリリーが。
そして、カウンターの向こうで、リリーを「清子」と呼ぶ板前は、我らがフルハシ(またはアラシ)隊員を演じた毒蝮三太夫です。
TBSラジオのパーソナリティや、バラエティ番組「笑点」の座布団運びも記憶にありますが、僕の世代では何と言っても「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の石井伊吉ですね。
これ以外で、俳優としての毒蝮三太夫を見たのは本作だけです。


そして、旅に出た寅が向かった先は、またしても北海道の栗原牧場。
口だけは達者だけれど、結局「猫の手」にもならなかったこの風来坊を、栗原一家は暖かく迎えてくれます。


さて、今回のロケ地に選ばれた網走には、20年ほど前に旅行しています。
夏ではなく、真冬の網走でしたが、海岸は見渡す限りの流氷で、白一色の世界でした。
そして、3年ほど前には、北海道の別海町に酪農の体験学習にも行っています。
栗原牧場のような放牧スタイルではなく、牛舎での繋ぎスタイルでしたが、搾乳も牛糞掃除も経験しましたね。
ついでにいえば、リリーの職場であるキャバレーは、ウェイターとして、大学時代に丸々1年アルバイトをしたこともあります。
そういう意味では、とても身近に感じることができた一本でした。

さて、次回はシリーズ第12作「男はつらいよ 私の寅さん」となります。

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