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第6作「男はつらいよ 純情編」


さて、6作目です。

公開は、1971年。僕は小学校六年生で、この頃にリアルタイムで見ていた映画は、怪獣映画ばかり。
寅さんとは、映画雑誌家、街角のポスターでしか会っていないはずです。
前作「望郷編」で、本シリーズは終わりにするつもりの山田監督でしたが、寅さんファンたちがそれを許しませんでしたね。
公開を重ねるごとに、観客動員は、うなぎ登り。
「男はつらいよ」シリーズは、完全に松竹の稼ぎ頭になってしまいました。
さて、本作のマドンナは、若尾文子。撮影当時は38歳。
この時代の美人女優では筆頭格で、寅さんとは年齢も釣り合います。
大人の色気漂う和服の着こなしで、夫と別居中の人妻役をしっとりと演じています。
この人は大映の専属女優で、1952年のデビュー。
翌年の「十代の性典」という、ちょっとすごいタイトルの作品がヒットして、これがシリーズ化(3作)。
「性典女優」などという、本人としてはあまりうれしくはない呼ばれ方をしていました。
クラシック好きのスケベ親父としては、機会があれば是非みてみたい作品です。
しかしその彼女もいよいよ30代となる、1960年代には、その美貌と大人の色香をプンプンと漂わせて、文芸作品や問題作に精力的に出演。
デビュー時代のイメージは完全に払拭して、日本屈指の美人女優としての地位を確立していきます。
「悶え」「不倫」「帯をとく夏子」「濡れた二人」などなど、彼女の出演作品にはポルノ映画みたいなタイトル作品も多いのですが、なにせ当時の事、過激なシーンはなくとも、その美貌と色気だけで、男性客を映画館に呼んでしまう魅力はさすが。
どこか背徳に香りのする美人っぷりは、個人的にはフランスの美人女優カトリーヌ・ドヌーヴのイメージと重なります。
その若尾文子を、山田監督が、人情喜劇である寅さん映画でどう料理するか。

本シリーズの中には、マドンナの他に「大御所枠」というのもあって、その存在感で映画をピシリと締めてくれるキャステイングがあります。
一作目の志村喬、二作目の東野英治郎などですが、本作では日本演劇界の重鎮森繁久彌が登場。
この時の森繁は58歳。
寅が旅先で面倒をみた若い子連れの娘絹代(宮本信子)の父親役を演じています。
森繁と渥美清の味わいのある演技合戦も本作の見どころの一つ。
ベテラン俳優ではもう一人。柴又のちょっとすけべな開業医山下を演じたのが松村達雄。
この人は、森川信亡き後の第9作目より、二代目のおいちゃんを演じています。
本作では、初代と二代目おいちゃんの共演が実現しているわけです。

さて本作の映画の冒頭は、お馴染みの夢のシーンではありません。
旅の列車の車中、たまたま向かい合った子連れの若い母親に、妹さくらの面影話重ねる寅次郎。


いつものように故郷柴又への望郷の念に駆られる寅。
その手にしっかりと握られていたのは、サッポロの缶ビールでした。
今回タイトルバックに使われていたのは、珍しく柴又界隈の空撮映像。
今なら、ドローンで簡単に撮れる映像ですが、この当時はまだヘリコプターでしょうか。

テレビのドキュメンタリー「ふるさとの川−江戸川−」で、思いもかけず柴又やとらやの映像を見て、ビックリする寅は、山口県から九州へ渡ろうとするところ。
とらやの茶の間にあるテレビや、寅が忙しく10円玉を入れながらかける商店の店先の赤電話は僕の世代では結構ツボです。たちまちあの時代にタイムスリップしてしまいます。
とらやのテレビはモノクロでしたが、ちょうどこの頃に、我が家ではカラーテレビに移行。
忘れもしない日立のキドカラーでしたね。初めてカラーで見たテレビ番組は、しっかりと覚えています。
「帰ってきたウルトラマン」でした。
九州に渡った寅は、長崎県の五島に渡る船の出る大波止港で、子連れの若い女絹代と出会います。
今晩泊まる宿賃がないという絹代に、優しくうなづく寅。
「来な。」
寅の恩義に返す術を持たない絹代は、思い余って背中のファスナーを下そうとしますが、寅は優しく諭します。


駆け落ち同然に故郷の福江島を飛び出してきたので、実家の敷居は高いとためらう絹代に、結局実家にまでついていってやる寅。
絹代の故郷福江島では、父親の千造(森繁久弥)が、細々と旅館を経営しています。
けれど、3年ぶりに帰郷した娘に、千造は「亭主の元へ帰れ。」と厳しく言い放ちます。
自分は老い先長くない。いつまでも、帰るところがあるという甘えを捨てて、亭主と向かい合え。
そして、欠点ばかりを論うのではなく、長所を誉めて、上手に自信を持たせろと諭す千造。
これを聞いていた寅は、千造の言葉を、我が身に置き換えます。
自分の故郷に対する思慕の念は、結局のところ、自分を甘えさせている原因になっているに過ぎないことを痛感。
このシーンは、ラストでの重要な伏線になります。
しかし、それでも故郷への想い断ち切れぬ寅は、親娘に別れを告げ、連絡船に飛び乗ります。

さて、その頃とらやには、おばちゃんの「いとこの嫁に行った先の主人の姪」という遠縁の女性が下宿中。
このパターンは、4作目で幼稚園の先生を演じた栗原小巻と同じ。
下宿というと、今の若い人はピンと来ないかもしれません。
「間借り」ともいい、普通の家の空いている部屋を貸すという形態で、通常便所や風呂は主屋と共同。
食事なども一緒にとらせてもらうこともありますね。昔はよくありました。
今で言えば、さしずめ月極の民泊と言うところでしょうか。
実は、子供の頃の我が実家は、団子屋ではなくて本屋でしたが、やはり下宿スタイルで、常に住込みで働いてくれている人たちが同じ屋根の下に一緒に住んでいました。
もちろん、若尾文子のような美人は居ませんでしたが。
さてその夕子は、作家である夫と別居中という、訳ありの人妻。その美貌に男連中はもうソワソワ。
そんなところに、寅が帰ってきたものだからさあ大変。
いやあな予感に頭を抱えるおいちゃん。
寅の部屋は今人に貸しているから、物置部屋で休んでくれというと、事情を知らない寅はヘソを曲げます。

「夏になったら泣きながら、必ず帰ってくるあの燕さえも、何かを境にパッタリと姿を見せなくなることもあるんだぜ。」

寅が肩をいからせてそのまま出て行こうとするところに、ちょうど買い物から帰ってきた和服姿の夕子とバッタリ。

寅はその夕子を見ただけで、もちろん秒殺の瞬間一目惚れ。
浮き足立つ寅は、たった今出ていくと啖呵を吐いた事などケロリと忘れて、早速夕子をルンルン気分で帝釈天にエスコート。
源公を従えた御前様も、複雑な表情で手を合わせます。
翌日、疲れから熱を出して寝ている夕子を心配する寅は、おいちゃんたちのケツを叩いて医者を呼ばせます。
やってきたのは、柴又の町医者山下。
演じる松村達雄は、森川信亡き後の二代目おいちゃんですから、ここで初代と二代目のおいちゃんの顔合わせとなります。


寅は、診察を終えた山下医師ともたちまち一悶着。
とらやは大騒ぎとなりますが、その騒動を詫びるおばちゃんに夕子はポツリ。

「私なんだかここにきてホッとしてるの。人間が住んでいる所って気がして。」

とにかく、夕子がとらやにいるというだけで、ハイテンションな寅。
一目瞭然に舞い上がっている寅を心配そうに見つめるさくらは、アパートに帰る道すがら、追ってきた寅に釘を刺します。

「夕子さんは綺麗な人よ。誰が見たって素敵だと思うわよ。でもお兄ちゃんとは関係ない人よ。」



もちろん、そんなことは寅もわかっていること。
しかし、頭じゃわかっちゃいるけど、気持ちのほうが・・・

さて、夕子がきたおかげで、とらやは男性客で大繁盛。
なんだかんだで上機嫌の寅も、商売に精を出します。

「黒い黒いは何見てわかる。色が黒くて貰い手なけりゃ、山のカラスは後家ばかり。」

さて、その頃とらやではひと騒動です。
タコ社長が、ツバキを飛ばしてとらやに駆け込んできます。
仲間のところで耳にしたというのが、博が会社を辞めて独立を考えているという噂。
博に辞められたら、会社が潰れてしまうと、タコ社長は必死の形相です。
その夜、博とさくらのアパートに訪ねる寅。
独立することは、結婚当初からの夢だったと語る博の思いに大きく頷く寅。
調子に乗って兄貴風を吹かせようとする寅は、二人に向かって、タコ社長のことは俺に任せなと大見栄をきってしまいます。
しかし、タコ社長の家に行ってみると、今度は逆に、タコ社長から、博を辞めないように説得してくれと頭を下げられてしまい、この頼みにも「俺に任せな」と、安請け合いをしてしまう寅。
タコ社長には、結局何も言い出せないまま、面倒くさくなった寅はふて寝を決め込みます。
話は寅がつけてくれたものとばかり思い込んだタコ社長は、工場の従業員と博を呼んで、とらやで宴会を始めてしまったからさあ大変。
もちろん、博は自分の独立を社長が認めてくれたとばかり思い込んでいます。
しかし、寅が結局なんの話もしていないことが発覚すると宴会はすったもんだの大荒れ。


結局この騒動を収めたのはさくらでした。
さくらの説得に、博が納得し、その場で独立を撤回したことで騒動は一件落着。
ええかっこしいの寅の無責任な立ち回りにより、とらやはてんやわんやの大騒ぎになりますが、この騒動を間近でみていた夕子の目に涙が光ります。
自分の気持ちを隠さないで喜怒哀楽をぶつけ合うような人間同士の付き合いを目の当たりにして、今までの自分たちの暮らしのウソに気付かされたとさくらに漏らす夕子。
一安心のタコ社長は、工場を臨時休業して、従業員一同と舟遊びに連れ出しますが、騒動の張本人の寅は招待されずに江戸川土手でふて寝。

夕子への叶わぬ恋の病のせいか寝込んでしまう寅ですが、寝たふりの寅の耳元で、さくらに自分の身の上話を始める夕子。
ここで、夕子の話に反応する寅の微妙なリアクションの瞬間を捉える「フォーカス送り」の技法がなかなか見事でした。
ヒッチコック作品のように、トリッキーなカメラワークはそれほど必要としない寅さん映画ではありますが、このシリーズを裏で支え続けてきた撮影監督は、松竹きっての名手高羽哲夫。
山田監督にとっては、1964年の「馬鹿まるだし」以来コンビを組み続けてきた名カメラマンです。
山田監督はこう言っています。
「僕が彼を独占し続けてきてしまったことで、もしかしたら彼の可能性を奪ってしまったかもしれない。」
しかし、彼が作品を通じて切り出す日本の原風景と安定感のあるカメラ・ワークは、むしろ山田作品でこそ花開いたとも言えますね。

「寅さんが病気だとまるで火が消えたみたい。早く病気が治って、また散歩に連れていってほしいわ。」

夕子がポロリと漏らしたこのセリフを耳に入れた寅は、たちまち元気回復。
何も喉を通らなかったのがまるで嘘のように、モリモリと食べ始めたので一同は目を白黒させます。
もちろん、とらやの面々には、その理由はすぐに分かるわけですが、当の夕子もそれに気がついてしまいます。
翌日、江戸川を散歩する寅と夕子。
夕子は、それとなく寅の気持ちには応えられないことを告げますが、当の寅はそれを自分のこととは夢にも思わず、その男を夕子を診察した山下医師と決めつけて病院に押しかけてしまう始末。
それを得意満面に優子に報告する寅ですが、そんなところへ、突然夕子の別居中の亭主が訪ねてきます。
自分の非を詫び、戻ってくるように頭を下げる亭主に、言葉を無くす夕子。
しかし彼女は、結局亭主の元に戻る決心をします。



かくして、寅のシリーズ6回目の失恋が、ここに悲しくも成立。
事情を察した寅は、二人に向かって、ほぼ放心状態でこう言います。
「夕子さんも、幸せになってくださいね。」

もちろん、こういうことになれば、寅が旅に出るのはこのシリーズ鉄板のお約束。
本作における柴又駅での、さくらとの別れは、このシリーズ屈指の名場面となります。
上野行きの京成電車に乗り込んだ寅に、自分のマフラーをかけてやるさくら。

「あのね。お兄ちゃん。辛いことがあったらいつでも帰っておいでね。」

その瞬間、寅の脳裏には、五島の福江島で、千造が娘の絹代に厳しく言い放った言葉が駆け巡っています。

「そのことだけどよ。そんな考えだから、俺はいつまで経っても一人前に・・。
故郷ってやつはよ・・故郷ってやつは・・」



そこで電車のドアが閉まり、その後寅が電車の中から言った言葉は、さくらには届きません。(もちろん観客にも)
電車を見送りながら、一人ホームに佇むさくらは、溢れる涙を拭います。

そして正月。
とらやには、寅が長崎で世話をした絹代が訪ねてきています。
その隣には、子供を抱いた亭主も一緒。
今は親子三人で、住込みで元気に働いていることを、福江島の千造に電話で報告する絹代。
受話器を持つ千造の目には涙が光ります。
いやいや、涙どころではありません。
なんと鼻水までもがキラリと光っているあたりが森繁久弥のスゴいところ。
さすがてす。
電話を置く千造の脇には、旅先からの寅の年賀状。



浜松の猪鼻湖神社では、初詣客を相手に、元気に啖呵売をする寅の声が響き渡ります。
するとその横には、帝釈天で寺男をしているはずの源公の姿も・・あれ❓
まあ、いいでしょう。その辺りを突っ込むのは野暮ということで・・

ちなみに、この拙ブログで紹介している「男はつらいよ」シリーズは、全てネタバレ全開でストーリーの詳細も紹介していますが、これだけは自信を持っていっておきましょう。
それを全部わかって見ても、このシリーズの面白さが損なわれることは決してありません。
どうぞご心配なく。
文章ではいくら説明しても伝わらない、渥美清の絶品の演技を映画でご堪能下さい

さて次作は、第七作目「男はつらいよ 奮闘編」です。

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