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興亡の世界史6② イスラームの理念

小杉泰著、興亡の世界史6 イスラーム帝国のジハード、その2

セムってなんぞや?

ユダヤ教やキリスト教、そしてイスラム教はセム的唯一神教とカテゴライズされている。この並びは成立年の古い順となっている。
セム的というのはセム語系、という事らしく、各預言者の言語はセム語系に属し、それぞれモーセのヘブライ語、キリストのアラム語、ムハンマドのアラビア語によって教えが始まっている。ではセムってなんぞや?
その正体はノアの一子セム。ノアはユダヤ教の洪水と箱舟の伝説がなじみ深いが、中東の部族それぞれがセムの子孫、アブラハムの系統に属することを名家の故としていることから、元々中東周辺の土着の神話か伝説があったのではないかと思う。中東全体のアイデンティティに、セム系唯一神教最古のユダヤ教が下地として存在していたかは何とも言えないし、本書でも言及されていない。
セムの子孫、アブラハム(イブラハーム)は、これら唯一神教の父と呼ばれ、
本妻サライとの間の子イサクの系統がユダヤ教及びキリスト教に、元奴隷の側女ハガルとの間の子イシュマエル(イスマーイール)の系統がイスラム教の系譜となっている。これらの系譜に各預言者、モーセ、キリスト、ムハンマドは連なっている。

唯一神教イスラーム

唯一神教というのだから神はただ唯一なわけだが、イスラム教はユダヤ教やキリスト教を異端とはしていない。神は唯一。その違いは預言者だけ、という考えである。これらの宗教に共通する事柄として終末思想があるが、終末の時には各宗教の預言者が、各々の信者を迎えにくるのだというのが、イスラム教での教えになる。
ムハンマドとムスリム(イスラム教徒)達がメディーナに移住した時、全ての民がイスラム教に改宗したわけではない。元々ユダヤ教の民も住んでおり、メディーナ全体を一つの共同体=ウンマとして定め、政治的な決定権をムハンマドが握った後も、ユダヤ教徒はユダヤ教徒のまま、ウンマの一員として存続している。ウンマが膨れ上がり、帝国となった後は、帝国らしく他国を呑み込んでいったわけだが、そこでも税さえ払えば信仰はそのままでいいよ、というのがイスラーム帝国の基本スタンスである。
「右手に剣、左手にコーラン(改宗か、死か)」という言葉を聞いたことがあると思うが、実際は併合していく上で、お互いに歩み寄りやすい折衷案として税を選ぶことが多かったようだ。もちろん、その時々の帝国と君主の性質などによって違いはあるだろう。

預言者と啓典

預言者は文字通り神の言葉を預かる者だが、逆を言うと神の言葉は預言者にしか聞こえない。神は預言者を通じて民衆に言葉を与え、民衆は預言者を通じて神に問いかける。ムハンマドは終末までの間の最後の預言者とされ、ムハンマド以降に預言者は現れず、したがって、ムハンマドが語る神の言葉が、最後の言葉となる。
クルアーンはムハンマドを通じて告げられた神の御言葉だが、その章句は天使との邂逅から始まり、マッカでの静かな布教、メディーナでの共同体の成立と政治運営、マッカのクライシュ氏族との闘いなど、ムハンマドの生涯とその立場の変遷において徐々に積み重なってきたものだ。部族社会からの脱却と宗教を軸とした新しい共同体、女児の間引きなどの悪しき慣習の廃止や貧困者救済のための喜捨(施し)の義務付け、団結して戦うための規範など、難題があるたびに共同体の長老達は協議し、解決しない時はムハンマドに任せ、ムハンマドは神に問いかけ、答えを待った。そうして紡がれてきたのがクルアーンである。

共同体とコンセンサス

イスラームの形成する共同体=ウンマは大前提として構成員の同意によって物事を成り立たせている。
ムハンマドの死後、ウンマは瓦解しかかったわけだが、長老たちの協議によって後継者、カリフを立てて、ウンマが存続することになった。イスラム教はそもそも「話し合い」の宗教である。今日、イスラム教の大多数を占める中道派の人たちもまた「協議」の理念を持っていると小杉氏は言う。
コンセンサスによる共同体のカリフ任命は4代まで続く。しかし最後のカリフ、アリーの任命には異議が唱えられ、ウンマは賛成するものと反対するもので二つに割れた。結局アリーは殺され、アリーに反対し自らカリフを名乗ったムアーウィヤが次代のカリフとなった。しかし、その後、自身の一族であるウマイヤ家によりカリフの系統を独占したため、アリーの代にて正統カリフ時代は終わり、ウマイヤ朝イスラーム帝国が始まる。時代が下るにつれ、イスラームの理念に反する多くの問題が生まれ、それを正そうとする揺り戻しが起こる。その振り子は現代まで揺れ続けているように見える。

その時代その時代で困難は無くならないだろうが、現代においても過激派、原理主義派によるムスリムのイメージ固定化や、(イスラム教に限らないが)科学と宗教の折り合い、現代に即した女性の地位向上をどう織り込むかなど、悩みは多いだろう。しかしイスラム教は決して斜陽などではなく、信徒の数は増えており、2100年には世界最大の宗教になると言われている。イスラム教を拡げているのは庶民たちが伝える草の根の布教だ。日々の暮らしに根付くそれらに過激派、原理主義派はつけいることができない。彼らのいう「ジハード」がイスラム教の本質ではないのだ。彼らの足元から広がる「平等」と「話し合い」の信仰こそがイスラム教なのだと、本著は教えてくれる。

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