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【短編小説】あなたのことが好きだった私を許してください。

「咲希のことが好きだ。今週会える?」

このLINEの一文が、私の色褪せた視界に色を取り戻してくれる。

私の心は、満たされた気持ちで脈打っていた。

でも、私の頭は、いつものように罪悪感に満たされていた。

夫にどのように嘘をつこうか…なんで私はいつもこんなことで悩んでいるんだろう…。

私は夫から2年前にプロポーズを受け、この結婚に後悔はなかった。

夫は容姿端麗で、気遣いもできる。学歴もとても良く、仕事も安定している。

他人から見たら、私は幸せ者に違いない。

そんなことはわかっているが、私はLINEを返す手が止まらない。

「うん、会いたい。秀一のことがすごく好き。今すぐ会いたいよ。」

私はいま秀一の手を握り、花火が打ち上がるのを待っている。

人が好きだと思えるドキドキ。脳から溢れんばかりの多幸感を、私は抑えることができなかった。

30歳近くになった私も、この時ばかりは、高校生に戻った気分になる。

それと同時に、今日の朝、家を出るときのことを思い出す。

いつものように、私は夫に嘘をついた。

「ごめん、今日も仕事が積んでて、喫茶店で仕事してくる。」

私は個人事業主として働いていて、収入も夫と遜色ないくらい稼いでいるから、この言い訳で夫が反論できないことはわかっていた。

罪悪感…というよりは、最近は夫に許可を取るのが面倒に思えてきた。

そんな虚しい気持ちに浸っている私は、秀一の声で我に返った。

「咲希、本当に可愛い。愛してるよ。」

その瞬間、夜空に花火が広がり、轟音が響いた。私は、秀一に身を寄せた。

あぁ、幸せだ。本当に幸せ。

ぼーっと花火を見ていると、私は昔の記憶が蘇ってきた。

あれこの感じ、前にもあったような…。

そっか、夫とこの花火を見ていたんだ。

私は4年前、夫と花火に来ていた。

そのときも私は彼の手を握っていた。その時の胸の鼓動は、秀一と過ごす今この瞬間と変わらなかった。私はどうしようもなく、夫のことが好きだったのだ。

でも、その時の夫の顔は思い出せない。

そういえば、私はいつから夫の名前を呼ばなくなったんだろう。

私はずっと、自己肯定感が低かった。

仲の良くない両親は、毎日のように喧嘩していた。

その怒りの矛先は私に向くことがあった。

「あんたがいなければ、私たちは今でも好きでいられたかもしれないのに。」

母から聞いたこの言葉は、今でも忘れられない。

勉強はあんまりできなかったし、運動はもってのほかで、日中の学校生活は楽しくなかった。

でも、大学生になってから私はしっかりと化粧を覚え、男性から告白される機会が増えた。

私は誰かから求められるこの瞬間が、低い自己肯定感を満たしてくれた。

何人かと付き合ったし、一夜だけを過ごした人もいた。

私は大学生のとき、ブログをやり始めたらファンがたくさんついて、そのお陰で今のライターの仕事にもありつけた。

仕事でも読者からエールを貰えるたびに、低い自己肯定感を満たしてくれた。

でも、結婚する前の夫との関係は格別だった。

彼と会っていないときも、彼の顔を思い出すだけで、ただでさえ馬鹿な私の頭は、さらに馬鹿になるくらい多幸感で満たしてくれた。

あんなにも好きだった夫の顔を、今は思い出せない。

夫と結婚して半年後、「私の恋愛はもう終わったんだ」という絶望に直面した。

【人妻】という看板を背負った途端、異性の声から優しさが失われていった。

結婚してからも相変わらず、夫は優しかったけど、好きという気持ちで心が満たされることは無くなった。

その時からだ。私が夫の名前を呼ばなくなったのは。

私はいま、秀一のことが好きだ。

ただ、秀一とこのまま関係を続けていたら、今の夫との関係はどうなるのだろう。

そして、私が秀一と結ばれても、今の夫と同じことになるんじゃないだろうか。

そんなやんわりとした葛藤とともに、最後の花火が打ち上がった。

夫と昔の関係に戻りたい。今からでも戻れないのかな。

秀一は、私を抱き寄せた。その瞬間、私は葛藤が一瞬で吹き飛ぶくらい、心の鼓動が高鳴った。

あぁ、これが夢であってほしい。きっとこれは夢だ。


私は、目が覚めた。あぁ、やっぱり夢だったんだ。

隣を見ると、カーテンから漏れる光に、人の顔が映った。

秀一だ。服はもちろん着ていない、私も。

全然夢なんかじゃない。夢のような現実だった。

今日も秀一と一夜をともに過ごしてしまった。

私は、この冷静になってしまう時間が一番憂鬱になる。

だって、これは世の中で言われる【純愛】ではなくて、【不倫】なのだから。

【不倫】という言葉が、私の低い自己肯定感と、中途半端に抱える責任感で心を抉ってくる。

もう秀一と会うのはやめよう。夫と、もう一回しっかりと向き合おう。

幾度もなく、この決意を胸に抱えることがあったが、今日はいつになく決意が固かった。

秀一は起きる気配もなく、私は彼の家をこっそり出て、自宅に向かった。


夫は、リビングで泣き崩れていた。私は、その理由を一瞬で悟ってしまった。

私は、夫に声をかけることができなかった。

夫は私の顔を見て、こう言った。

「ずっと信じてたけど…やっぱり【不倫】してたんだね。」

夫は、私が彼の家を出入りしている写真を持っていた。

どうやら、夫は探偵に不倫調査を依頼していて、私が秀一と花火を見ているとき、探偵の依頼結果の話を聞いていたようだった。

夫は、抑えることのできない震えた声で、でもはっきりとこう言った。

「離婚しよう。」

もう、とっくに手遅れだった。私が夫への愛が冷め切っていたことは、彼はわかっていたんだ。

私は彼のことをずっと見ていなかった間、彼はずっと私のことを見てくれていたんだ。

こんなダメ人間な私には、夫に「もう一回やり直そう」なんて言える権利も気力も無かった。

秀一さえ目の前に現れなければ、こんなことにならなかったかもしれないのに。

あぁ…こんなときに、自分の罪を他人になすりつける発想が出てくる私は、なんてクズなのだろう。私は、あんなにも嫌いだった母と同じだったんだ。

そんな夢想に浸っている私を、目の前の夫は現実を突きつける。

「最後に一つ教えてほしい。前の夫と別れたのも、同じ理由なんだよね?」

夫には、前の夫と別れた理由を嘘ついていたけど、それも見透かされていた。

私は、また同じ過ちを繰り返してしまったのだ。

「ごめんなさい。」

私はその言葉しか出てこなかった。

あなたのことが好きだった私を許してください。

許してくれないのはわかっているのに、走馬灯のように、夫との記憶が蘇る。

私が悪いのに、被害者のような気分が湧き上がってきて、涙が止まらない。

夫は、私にハンカチを出そうとした手を戻した。夫はもう、最後の優しさを示すことができないほど、ずっと私に不信感と僅かな希望を抱き続けてきたんだ。

夫は部屋から出ようと、ドアノブに手をかける。

私の手はもう、夫には届かない。もう、届くことはない。

ガチャンと、無情にもドアは閉まった。

私は病気だ。どうしようもなく恋愛依存症なんだ。

私には、もう誰かと一緒に過ごす権利なんてないんだ。

何度も何度も何度も、一人しかいないこの部屋で自責していた。

あれから、何時間経っただろう。私の涙は、もう枯れきっていた。

その瞬間、私のスマホが揺れた。LINEの通知だ。

「咲希、会いたいな。」

私の強張っていた口元が、自分でも一瞬で緩んだのがわかった。

「うん、私も会いたい。」

罪で穢れた手を、また私は止めることができなかった。


(追伸)

同じ不倫であっても、女性と男性では報道のされ方も違うし、ネットでの反応も違います。

でも、不倫というもの自体の本質は性別に関係ないものだと思い、今回は女性の不倫をテーマに執筆しました。

はじめて、私自身(男性)の経験外のことを執筆するため、女性に話を聞いてみたり、インターネット上の記事などをみたりしながら、綴っていました。

その中で、「低い自己肯定感が満たされる」や「終わったと思った恋愛がまた始まる」といったキーワードが挙がってきて、短編小説に出てきた咲希のキャラクター描写をしていました。

これは性別に関係ありませんが、倫理的にも法的にも不倫は御法度です。

でも、「不倫する人が絶対悪」だと断じてしまうと、不倫をしてしまう人の感情を理解することができず、「不倫がなぜ起きてしまうのか?」という疑問から遠ざけてしまうのではないかと思います。

ネット上では事件が起きると、加害者の人格を一方的に否定するコメントが多くみられますが、それによって事件が減るかというと、そうではありません。

誰しもが、「不倫する・されるの当事者になるかもしれない」という前提に立ったほうが、自己理解・他者理解につながるという願いを込めて、今回の短編小説を綴っていました。

さて、最後に宣伝となりますが、私はnoteでの執筆のほか、「眠れない夜に寝ねがら聴ける┆安眠ラジオ」をYouTubeで投稿しています。

気になる方は、ぜひ、聴いてみてください。


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