趣味と熱量

With コロナの時代である。新型コロナが日本中を駆け回り、非常事態宣言が発令されて、日常が日常ではなくなった時、「趣味が淘汰されるな」って思った。

スポーツ観戦が好きな自分はスポーツそのものを取り上げられ、運動も散歩やジョギング程度しかできなくなった。頻繁にではなかったが、行くと楽しいと感じられた酒の席にも近寄らなくなったし、軽い気持ちでの食事にすら行けなくなった。そういう日々に突入してしまった中で、「宣言が解除された時にコロナ以前の熱量は帰ってくるのか?」と強く思うようになっていた。

僕は2年くらい前までアイドルの世界に没頭していたのだが、その熱がピークに達して下がりはじめたのは5年前にあった出来事だったと思っている。それは当時推していたアイドルの卒業・引退だ。

そのアイドルを真剣にそして全力で推していた当時の自分はその出来事で「もういいかな。推す世界には未練はないかな。」とはっきりと頭に浮かんだことを覚えている。

そのアイドルが卒業・引退後も根がチョロい私は推しがいのあるという推しをしっかりと見つけて、熱量をもって推すことができ、感情も揺さぶられることやそこから生まれる出会いにも恵まれて楽しい日々ではあったけれども、5年前までのような熱さは戻ってきていたのかといえば、戻ってはいなかったのかなと今になると感じる部分もあった。

そういう過去があったぶん、このコロナが1つの冷や水になり、自分の生活の中のハリを作る部分というのは変化していくのだろうなというある一種の怖れも感じたし、でもそれは仕方のない部分なのかなと半分諦め、そして達観した思いで自粛中の日々を過ごしていた。

非常事態宣言が解け、With コロナ到来となった今、抱いていた不安とは裏腹にスポーツ観戦を楽しむ私がいる。浅村のホームランに興奮し、ロスタイムの失点に憤怒し、YOSHI-HASHIの初戴冠に感動する。そう考えるとお預けを喰らっていた分、スポーツから受ける感情は前以上に多いかもしれない。

そう考えると趣味と熱量というのはその状況下においてのシュチュエーションの変化に対して、自分が乗れるか乗れないか。その選択の変化で左右していくんだなと思った。自分が生きれるための活気としてのそれをどの部分をどのくらいバランス良く依存しすぎないように選択しての現状であり、5年前の自分と今の自分では違うんだなと感じた。

ということは現状の自分はあまりアイドルの世界には乗れていないということになる。が、5年前の沸点に達していた自分もいたことを考えると再びその熱量まで戻れる可能性も大いに秘めているということもいえる。今の自分をひっくり返して、その熱量まで戻ることができる推しというものを果たして自分は見つけることができるのか。そういう未来をほんのちょっと楽しみにしている自分もいる。


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