テニスはじめました

『なぁ...その体型...』
職場の先輩に言われて考え込む。
いわゆる『中年太り』である。
しかし、それは全員が全員そういう体型になる訳でもない。
日頃の不摂生の賜物である。
電車通勤は相応に運動はしていた状態なのだ。
自宅から駅まで歩くし、電車で移動中は座れなければ立ってるし、駅から職場までは歩くしで。
それが、転職直後から生活様式は一気に変わった。
職業柄、体を動かすことが極度に減った。
体は動かないけど、時間が来ればいっちょ前に腹は減る。
そして食べる量は減らない。
それゆえに積もり積もればってやつになる。
これに車通勤が加わると拍車がかかる。
そんな時の一言に続きが加わった。
『テニスやらないか?』と。
ゴルフを始めてもおかしくない年代にあるのに、テニスと来た。
ゴルフは何かと金がかかるから却下。マラソンは嫌だというか性格に合わない。
体型が体重が膝にかける負担が大き過ぎる。
いくら健康のため、瘦せるためって大義名分があっても続かないのはわかってる。
そうかといって何をってのもないけど、何かはやりたい。
それでも、誘ってきた方も真剣じゃないんだろうからと、『まぁ、時間が合えば』と気のない返事でやり過ごした。
いわゆる社交辞令である。

しかし、向こうは社交辞令を許さなかった。
『来週よろしく』とスマホにメールが飛んで来る。
この時も卑怯と言っちゃあ何だか、行きますとは一言も言ってないし、返事も出してない。
当然、その当日も不参加である。
その翌日に会ったら『なんで来ねぇんだよぉ~、待ってたのによぉ~』と。
『いやいや...行くとは言ってませんから』と逃げた。
行ってもしょうがない、行けない理由を並べ立てるもことごとく潰される。
『テニスシューズがありません』
『はじめはスニーカーでいい』
『ウェアがありません』
『TシャツとジャージでOK』
『ラケットありません』
『貸してやる』
『遅い時間はやってないんでしょ?』
『ナイター設備はバッチリ』
一事が万事そんな調子で根負けしてしまった。
それが三日も四日も続く。
行かなきゃ鎮まりそうにもなくて、行く羽目になった。

『よろしくお願いします』
『おぉ...来た、来た』
『君だったのかぁ...』
職場には『テニス同好会』があって、時間を合わせてはやってたらしい。
そこへ引っ張り込まれたのだった。
学生のサークル活動の延長線上だ。
その手のやつでも部活とかでもそうだが、理不尽な上下関係は嫌いだ。
理不尽な上下関係の一環として想定されるのは、『素振りで終わる』のと『球拾いで終わる』のと『声だしで終わる』こと。
はじめるからには上手くなりたい。
中学生や高校生じゃないし、そんなことをしたところで意味がないことはしたくもない。
ましてや人生のカウントダウンはゆるやかではあるが着々と進んでいて、そんなことに時間を費やせるほどの余裕はないのだ。
それらがあったら怒って帰るつもりでもいた。

『経験は?』
『全くないです』
『学生時分とかにも?』
『ええ、全く』
ラケットの持ち方に始まり、打ち方などを教わる。
球出しで実際に打って『いいじゃん、いいじゃん』と寄ってたかって持ち上げられて始まった。
『本当に初心者?』
『上手いよ』
『センスあるよ』
想定していた、理不尽な上下関係もなく、御客様スタート。
それは終始続いていて、『何か罠でもあるのか?』と疑ってしまうほどだ。
最後はちょっとした試合形式でダブルス。
ビギナーズラックで決まったサービスエース、リターンエース、ボレー。
今の自分は、クラスに一人はいたやつである。
『太ってるんだけど身軽』とか『太ってるんだけど運動神経が良い』とかの。
それが目の前に現れてることに、相手が困惑してくれていた。
それでも本気じゃないんだろうけど、『楽しいじゃないか...』と上機嫌。
時間はあっという間に過ぎてお開き。
『来週も来るよね?』
『はい』
見事に向こうの思う壺にハマったのだった。
それは冷やし中華はじめましたの時期が終わった頃の話だった。


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