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チャリで、物書き人生を逆走。

S事務所の跡

所用で広島駅までチャリで往復した道すがら、懐かしい通りを漕ぎ漕ぎしてきました。(笑)

かつて籍を置いた広告制作プロダクションがあったビル、ぼくが物書きの世界に潜りこんだ記念すべき「聖地」も、まだ健在でした。

もう40年近くも前になるんですね、たしか「老朽化したので解体するから」と追い出されたはずなのですが、まだ泰然と存在しておりました。

解体はもちろん口実で、家賃滞納していたから追い出されたわけで、退去をシオに事務所は自然消滅。泥舟から逃げるネズミのごとくスタッフは離散しましたね。

その事務所には数年間お世話になりましたが、入ったころにはすでに経営は傾いていて給料の10万円を満額もらった記憶はありません。
結団した当時のカープ選手とおなじく、分割から遅配に、やがては無給に。仕方なく、末期の頃は自分で広告取って回って小遣いにしていましたね。

このプロダクションが発行していたタウン誌に載っていた求人広告を知人に紹介してもらって面接に行ってみたのですが、その場で速攻で採用が決まったのは、ほかに応募者が期待できそうもなかったからなんでしょう。
職種はコピーライターとデザイナーで、なんだか文章を書くらしいというコピーライターを志望。

「じゃ、コピーライターで名刺作っておくから」

ということで、その日がいつだったかは覚えてもいませんが、ぼくがコピーライターの世界に潜りこんだトンデモ記念日。
そして最初に任されたのが、タウン誌に掲載の喫茶店の広告コピーでした。

ウンウン唸りながら、原稿用紙に駄文書きなぐった挙句にひねり出した処女作が、

「ちょっと、ひと休み」(笑)

そんなトウシロが、翌月からはそのタウン誌の編集長を拝命。東京さで1年余りの編集経験があったとはいえ、そんないい加減な冊子が生きながらえられるほどローカルとて甘くなく、闇雲な奮闘も空しく数ヶ月で廃刊。

ラブホの企画広告で「パーティ利用」を提案したら、思わず反響があったらしくクライアントに喜ばれたのが、鼻くそほどの成功体験でしょうか。

無料配布が祟ったわけではなかったものの、一縷の可能性にかけて商業雑誌に転向。タウン誌では当時珍しかった特集に特化して、「有名人のそっくりさん」をやったりしてスベりまくった挙句に、半年ほどでこちらも廃刊に追い込まれました。

それでも記事にコピーに、泥縄で書きなぐっているうちに多少はスキルが身についたんでしょう、請われて取材・執筆した企業PR誌の紀行文がクリーンヒット。
それを読んだ会社の幹部連中が感動のあまり、そろってその地に足を運んだとかで、検討されていた休刊が撤回されて、それは発注者に喜ばれたものです。

くだんの広告制作会社が消滅してからは、行きがかりというか、満を持してというか、フリーランスのコピーライターに華麗に天津飯。

それから10年ほど企業のお先棒を担いであぶく銭稼がせていただいたのち、いよいよ「売れない物書き」に転向したわけですが、そのあたりのことは、また機会があれば徒然に。




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