3月11日(金)
東日本大震災の日。4時半に消防車のサイレンに起こされたのは、なにかのサインだろうか。
阪神淡路大震災の朝は、テレビの不気味な沈黙が印象に残っている。9.11の騒動は旅先のホテルのテレビ画面で観ていた光景がすぐに脳裏に浮かぶ。
しかし東日本大震災については、揺れを感じなかったせいもあって発生当時の記憶がほとんどない。しばらくして「とんでもないことが起こったらしい」と疑ったのは、母屋のテレビを横目で見たときだった。濁流が民家を呑み込んでいる光景を目にして、はじめてことの重大さを理解したのだった。
夏になってようやく、腰の引けた猫のように現地の隅っこに足を踏み入れ、年を越す前になって慰問らしきことをしたものの、かえって無力感に苛まれて現地の被災者に励まされる始末。
手を合わせる前に、何もなし得ていない悔いがまたよみがえったばかり。
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