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1月23日(日)

夜の睡眠時間が散らかっている。そんな感じだ。夢そのものがとりとめない(夢とはそんなものだが)し、それを断片的にしか思い出せない。物語に脈絡がないから、起きたと同時に意識のザルの目からこぼれるように記憶が消えてしまう。ここ数日、そんなことがつづいている。なぜかと思案して、はたと気がついた。もしや、肉のせいではないかと。
昨夜は、いただきものの餃子をたんと食べた。その前夜は豚ロースが食卓にのったし、鳥の胸肉のスライスもふつか続けて食べている。思い返せば年末に息子が帰ってすき焼き鍋を囲んでから、途切れることなく肉が胃のなかに入っている。それで不安とか恐れが夜の床にも紛れ込むようになったのだろう。
肉を断ったたのは、もうかなり昔のことだ。狂牛病が騒がれない前のこと。ドリームフィールドで遊んでいた頃だから20年余りにはなるだろう。そうそう何度か断食をしていて、そのバリエーションで「半断食」というのをやってみたのがきっかけだった。半断食というのは、食を断たない断食で、玄米を主食に体にいい食材を必要最小限食べるものだ。たしか腹6分目だったか。そして、肉と精製された砂糖は好ましくないものとして摂らない。そんな〝断食〟だ。
効果はてきめんだった。ダイエット目的ではなかったが、2か月で80キロ以上あった体重が62.5キロになっていた。何よりも精神的にも安定して、キレ易い悪癖が解消された。
数年間は厳格に肉を絶っていた。肉の加工品はもちろん、肉由来のものが含まれているものもできる限りシャットアウトしていた。しかし、ここ数年前からは「敢えて肉は摂らない主義」になった。厳格にやろうとすると神経質になりすぎて、かえってストレスになるからだ。なにかの拍子で目の前に肉料理が混じっていても、それを拒否はしない。接待で肉料理が出れば箸はつける。そんなスタンスだった。

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それがこのところは、「たまには肉を食べる派」になった。古い女の人や同居人の体調を考えると、たまに豚肉を採ったほうがいいらしいからお付き合いしようという感じだ。
この「たまに」が曲者で、たまには、という呪文が勢いをあまらせて、ついつい度を越してしまっているようなのだ。すこし意識して抑えるようにしなければ。

7時過ぎに目覚める。外は冷たい雨。野良作業はなしだ。
8時からショスタコーヴィッチのジャズアルバム、ピアノ協奏曲をBGMに執筆作業。「8月6日のバット」最終章の修正・加筆。ここからは現代が舞台につき、いつもの漢字づかいでいく。変換箇所が少ないためエピローグまで一気にやっつけた。ショスタコーヴィッチの軽妙さが、作業の後押しをしてくれたのもあったろう、さくさくと終えることができた。
ようやく作業を終えた高揚感もあったのだろう、ひと息ついて耳に入ってきたピアノ協奏曲第2番のリリカルなピアノが妙に胸に響いた。

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核兵器禁止条約が発効して1年だったきのう、広島、長崎でそれぞれアクションがあったようだ。
広島では原爆ドーム前に「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会」のメンバー10人が集まり日本政府に批准を求めたという。また長崎では、被爆者や平和活動に取り組む高校生ら約150人が集会を開催して、条約への参加を求めるアピールを採択した。
このニュースで知る限り、条約の発効が広島での反核活動に広がりを生んだという手応えは感じられない。被爆者たちの真摯で地道な訴えが条約の実現に果たした役割は小さくなかったはずだが、核兵器の廃絶はもうつぎのステージで動きはじめている。うかうかしていると、そのうち広島は〝平和活動の廃墟〟になってしいかねない、そんなことを思ったりした。
そういう自分は、とりあえず「8月6日のバット」を世に問うことくらいしかできないのだが。



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