胸騒ぎの「ご指名」

きのうからプロ野球中継のカープ戦を観ながら胸がザワザワするのを抑えられない。

そのきっかけとなったのは、「佐々岡監督が新守護神に菊池保則投手を指名した」との記事を目にしてからだ。
大げさにいえば「目がテンになって、動悸が抑えられなくなった」。そんな感じだった。

菊池投手を選択したということに個人的に違和感を覚えたばかりか、何よりも「指名した」ということに大いなる疑問をもったからだった。そしてその思いは、ますます強くなっている。

きのうの対ベイスターズ戦、さっそくその菊池投手が最終回のマウンドにあがって結果をだしたが、圧倒的な投球で抑えたわけではない。初セーブという結果とともに抑えとしての「おさまりの悪さ」も露呈したようにも思う。
いきなり四球、四球でノーアウト一二塁のピンチに、もし同じ菊池の涼介が、あわやセンターに抜けようかという当たりを神セーブする超ファインプレイがなければ手持ちの3点差だってどうなっていたかわからない。

もちろんたまたまの1試合で評価は出せない。しかしクローザーに求められる特性と菊池投手の特性とは、必ずしも重なるとは思えない。持ち場は他にあるように思う。

この試合の中継で、解説の安仁屋宗八氏が「ぼくは九里亜蓮がええ思うんですけどね」と、三振を取れるボールを持っていない菊池投手の大役起用に暗に疑問を呈していたが、それは少なからぬカープファンが共有する思いだろう。

当初任されたスコットが結果を出せず、今回のドタバタ劇となったわけだが、その代役をクローザーの経験もない未知数の投手を唐突に「指名した」のは指揮官としてどうなのだろうか。
やりくりしながら適正を判断して最終的に選択する。それが順当な手続きだったのではないだろうか。

菊池和投手が化けて新守護神の座を射止める可能性もなくはない。しかし、その確率はかなり低いように思う。
指揮官みずからが指名したからには多少の失敗をしても我慢して使うだろうし、もし失格となってもその判断は先送りされることになるだろう。
その我慢の数試合がコロナ禍の影響で試合数が減少したこのシーズンでは致命症になりかねない。

いま覚えている胸騒ぎのザワザワは、カープの優勝が一歩遠のいたのではないかという、その予感からきているのだ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?