1月4日(火)
「人生の夏至」。こんなたとえをしたものは、過去にもいたことだろう。季節が移ろうように、人生にも盛衰がある。それは運勢とはちがって、だれもが盛りから衰退へと向かう、いかんともしがたい運命曲線とでもいうものだ。その盛りである夏から秋へ、そして冬へ。太陽が衰え勢いが削がれていくように、右肩上がりだった成長がピークとなって下降に転じたとき。それがいつだったのか、半醒の床のなかでふと考えてみた。
季節に夏至があるように、そのときは過去に確実にあったのだろう。〝二者選別論〟でいえば、ひとには盛りにある人間と衰えている人間、この二種類しかいない。もしその境界線である「人生の夏至」が決まっていたのであれば、その日そのときを意識しておきたかった。そのタイミングで自分なりの祭事をしておきたかった、と妙なこと思ったのだ。二種類の人間でいえば後者の人間である自分らしい、いかにも未練たらしい思考と思いつつも、思ってしまったものは仕方がない。ここに記録しておこう。
三が日明けて、きょうから通常業務に。と意気込んではみたが、正月ぼけはいかんともし難く、昨年の反核・平和がらみの出来事を整理しはじめたのが中途で終わったまま、買い物に出かけ、もどってきてからはまた酒宴になってしまった。ちびたびやりながらネットフリックスで情熱大陸をハシゴ。ラーメン屋のマスター、救急医療の医師、猛禽類の獣医、医療イノベーター、ボランティアおじさん、よくできた構成に胡散臭さも感じつつ、つい引き込まれて観てしまった。またそれなりに勉強にもなった。
狐狸庵こと遠藤周作氏ではないが、「明日できることは明日にする」グータラを決め込んで、そろそろ寝ることにしよう。