摩文仁からの帰途に

今日は沖縄「慰霊の日」。
陸海空からアメリカ軍の容赦のない攻撃を受けて沖縄の日本軍が落ちた日だ。

広島に住んでいるとヒロシマの情報はいやでも目にするし耳に入ってくる。しかし沖縄のそれを知る機会は意外に少ない。
過去にカープの沖縄キャンプ取材の折に、摩文仁の平和祈念公園を訪れたことはあったが、それも慰霊・鎮魂の気休めに過ぎない。

それでも今日のような日に知る悲劇の一端から想像する沖縄の悲惨のあり様は胸を締めつけるものがある。
刻々と迫ってくる恐怖と死。つぎつぎに息絶えていく親兄弟や親族…。それは生き残ったものにとって、真綿というよりも灼熱のチェーンで首を絞められていくような残忍な恐怖だったことだろう。
沖縄は地獄に追い込まれるまでに、刻々と地獄を味わわされた。

それにたいしてヒロシマは、一瞬にして十万を超える市民が蒸発し、地獄を識る間も無く逝ってしまった。そして生き残ったものたちは、熱線に焼かれたケロイドに、残留した放射能の影響に将来も苦しむことになった。

乱暴なくくりでいえば、地獄の以後に地獄が待っていた広島にたいして、地獄の前後にも地獄があった沖縄ということになる。
その広島の「ノーモア・ヒロシマ」は核兵器のない平和な世界を願ってのメッセージだが、「ノーモア・オキナワ」は戦争そのものの愚かさを告発するメッセージといえるだろう。

摩文仁を訪れての帰途。沖縄から本土への機上で、目には見えない存在がいたわってくれているような気がして、わけもなく涙がこみ上げ止まらなくなってしまったことを思いだす。
聞けばそんな経験をしたものは少なくないらしく、もしかして、あの沖縄戦で亡くなられた方たちの霊が未だ沖縄の空にたゆたってでもいるのだろうか。


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