「ノーモア・フクシマ」というとき

「恩寵」は返済困難な負債に

今朝の中国新聞オピニオン欄にあった見出しが胸に響いた。

その内容はといえば、「核の平和利用」との謳い文句で全国に誘致された原発が、未来に夢を託せる恩寵どころか底なしの負債を生んでしまったのではないかとの痛烈な反原発記事だった。

東京電力福島第一原発が東日本大震災による津波でメルトダウンしてから10年。福島の復興は複雑な構図のなかで成果をだせずにいる。その原因はいうまでもなく、事故時から放出されつづけている放射能のために福島が「安心して住めない場所」になってしまったからだ。

震災直後に10万人を超えた避難者は年とともに減少し、避難指示の解除は進んでいるものの、福島県全体の人口は旧に復することはない。というより、いまも確実に減少しつづけているという。

「復興」とはインフラの復旧にとどまらず、安心安全な空間の再現によって居住する住民がもどってきてはじめて謳えることだろう。
その意味では、残念ながら福島に「復興」という言葉はあてはまりそうもない。放射能の影響が当面排除され得ないという前提では、また、汚染物質による占拠が広がりつづける限り、安心安全な空間に復するこはありえないだろうからだ。

同じ核による被害に遭遇した広島と比べてみると、福島のややこしさは際立ってくる。未曾有の破壊を経験したことでは同じ境遇でありながら、両者はまったく異なった再生への経緯をたどることになった。

フクイチのメルトダウン地点が福島のグラウンドゼロだとすれば、広島は原爆ドームあたりがそれに当たる。そこに投下された原子爆弾によって半径数キロの範囲は熱線によって焦土と化し、そこにいたひとびとは一瞬にして死に絶えて市街地は廃墟となってしまった。

福島の場合は、津波によって喪失した町にとどまらず、メルトダウンによって放出された放射能のために避難を余儀なくされ、半径数十㎞の範囲の住民が避難したことでゴーストタウンとなった。
広島は不可抗力によって廃墟となったが、福島の場合はみずから原発を誘致したことによって廃墟を創出してしまった。

広島の場合は、グラウンドゼロから放射能があらたに放出されることはなかったから、ひとびとはすぐに廃虚にもどって復興に取りかかることができた。
復興は一歩一歩と確実に進み、被爆から5年後には廣島カープスが誕生し、その7年後には政財官民が一体となって本拠地の広島市民球場を竣工させている。まだ途上だったとはいえ、ひとびとはたしかな手応えを感じながら復興に励むことができた。

では、福島はどうか。
人々の意欲も努力も献身も、放射能という無色透明の影によって削ぎ落とされ曇らされ、いつまでも大きな成果を生むことがない。なにより、立ち入りができない場所があっては、復興どころではないだろう。

いくら廃虚を復旧し住環境を整備しても、放射能の恐怖を払拭することができなければ、いつまでもひとびとがもどってくることはない。まさに返済困難な負債を抱えてしまったためだ。

「ノーモア・ヒロシマ」
ヒロシマの悲劇をくり返すまいとのこのメッセージは、最終的には核保有国に向けられるものだ。

しかし「ノーモア・フクシマ」というとき、その切っ先は私たち自身に向けられる。
私たち自身がその原因を保有していると同時に、その存否を決する選択権を有しているからだ。

核の平和利用という「恩寵」は返済困難な負債になってしまったが、返済困難な負債は「希望」に変えるしかないのだろう。
「原発の安全神話」の呪いから解放されて、その廃炉を実現した先に…。





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