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スイのすいは水、粋、推、睡、酔、衰、悴、遂…他にもいっぱい。 思考のかけら、ここに置い…

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スイのすいは水、粋、推、睡、酔、衰、悴、遂…他にもいっぱい。 思考のかけら、ここに置いておきます。 ※ツイッターでは書き留めきれない、自分の頭の中をそのまま書き出すためにノートを用意しました。 独特な言い回しや言葉の使い方をすることがあります。ご留意ください。

最近の記事

コンテクストを思考していく

社会圧として組織にせまられている「多様性への対応」という圧力。 そこに相対する時、組織としてはどのような態度で屹立する必要があるのか。 「あいつがこうだから〜」「この問題はここを解決すれば〜」という近視眼的な見方ではなく、もっと大きな「枠組み(コンテクスト)」に目を向ける必要があるのではないか。 例えば「多様性と生産レベル安定の維持」であったり「多様性と効率」であったりというコンテクストを眺めていると、もしかすると「本当に生産レベルを安定して維持しなければいけないの?」

    • QOLついての覚書

      コロナ罹患による自室隔離を経験した。 普段は家族(妻・子)と過ごしているが、コロナ罹患により自室隔離となった。基本的に風呂・トイレ以外は自室からは出ず、食事や必要物品はスマホでの連絡を通じて妻に部屋の前まで運んできてもらうことによって行った。 隔離中の生活においては、起床時間と朝昼夕の食事時間、入浴と洗濯の時間はある程度固定されていたが、(生存確認や食事の準備、家族との家事のすり合わせのため)その他は自分の都合でスケジュールを決めることが可能だった。 また、隔離前には自身

      • 相反するコミュニケーション

        自分は今までずっと対人間コミュニケーションにおいて、人は「論理や原理や証拠etc」といった理屈に基づいて話をしていると思っていた。 しかし、SNSかなにかで「定型発達者はコミュニケーションで互いの感情を共有、やり取りをしている」と記述されているのを目にする機会があり、とても驚いた。 発達障害の診断を受ける前の自分はとにかく「正しい/間違っている」に強く固執し、納得できない=正しいと思えない ことに対しては相手が上司であろうと経営者であろうとはっきりと「それは正しいとは思え

        • 「創作」としての「排泄」

          自分にとって一番大切でなにものにも侵し難いものは何かを考えたとき「自分の中にあるものを表に出すこと」であるという結論に(現時点では)至った。 これは、いわゆる「受け手」を想定してそこに届けるというものではなく、あくまで自身の内側にあるものを外に出す行為であり、自分自身の感覚で言えば「排泄」という表現がとてもしっくりとくる。 それは受け手を想定していないが故に自由であり、プリミティブであり、雑多であり、混沌であり、純粋であり、暴力であり、奔流であり、力強さであり、神聖である

        コンテクストを思考していく

          世界と交信するために

          発達障害による特性を「社会に適応させていく」という指向性と発達障害による特性を「社会に対するカウンター(あるいはアビリティとして)として使う」という指向性が現在の自分の中では相対するものとして立ち顕れている。 さらに咀嚼をし理解を深めていけば、あるいは相対するものから共存可能なものに変わっていくのかもしれないし、もしかしたら全く違う新たな価値観が思考の過程で表出してくるかもしれないが、現状として自分の中に出てきているアイディアとしては「適応させる」「適応させない」の二極化し

          世界と交信するために