人の器の不思議さよ…「のぼうの城」(和田竜著)
先日人間ドックがありまして…微妙に身長が縮んでいました。
私、現状でもかなりのミニミニサイズ。加齢の心配のひとつとして「ここからどのくらい小さくなるんだ…」というのがあります。
ここ最近じわっと、世の中のいろんな物の「高さ」が上昇してきています。例えばカフェのカウンター。例えばスーパーの最上段の棚。いや、いいんです。22世紀に生きる若者たちが気持ち良く生きられれば。われら20世紀世代、安定した踏み台と、なんでも気軽に人にお願いするという心意気さえあれば、きっと元気に生きていけます。
大きくありたいのは態度じゃなくて「器(うつわ)」
そんな小さい私ですが、けっこう態度は大きく生きてきました。しかし自分の「器(うつわ)」について思いめぐらせるとき、「ちっちゃいやつだなー」と思うこともしばしば。大きくありたいのは、態度じゃなくて、人としての器でしょう…と。
和田竜さんの「のぼうの城」です。
私が持っているのは、小学館文庫の上下巻。2012年11月発行の文庫版第14刷(初版は2007年、文庫化は2010年の発行)。
古本で各100円、合計200円で買っているよ…。200円でこんなに楽しませてもらい、そして何度も読み返して…作家の方には本当に申し訳ないながら、読書ってコスパ最高です。
戦国時代も佳境のころ、豊臣秀吉軍の北条攻めの中で、現在の埼玉県行田市にあった「忍城」(おしじょう)を石田三成が水攻めにする話。この合戦話、登場人物の坂東武者や百姓たちがみんなイキイキしてて、本当に面白いのですが。
「水攻め」のやり方も学べますが
本題は「水攻めのやり方・対抗方法」ではなく、たぶん「人の器」の話です。それもたぶん人間がする仕事の中でも難度最高ランクの仕事、「戦の総大将」としての「将器」のこと。
主人公の「のぼう様」の一見愛すべき、しかし底の知れない、何か考えているのか考えていないのかさえも分からない人柄…。思い出すのは司馬遼太郎の「項羽と劉邦」。あれも確か、文庫の帯に「人望とは何かを問う」的なキャッチコピーがあったかと(遠い記憶だけに間違えていたらすいません)。
徳がありそうにみえて下衆さもあり、気が弱そうだけど残忍でもあり、大きさが分からない袋のようなキャラクターで、キレッキレの項羽を最終的にはしのいで、漢帝国を打ち立てた劉邦。
不器用で口下手で、田植えでも戦でも「お願いだから手伝わないでくれ」と言われるくらいなのに、不思議な人気で総大将として誰もが予想しなかったほどに善戦する忍城をひっぱるのぼう様。周囲には、のぼう様に魅せられちゃったクセ強めの家臣たちや、愛し推してくれる百姓たちがいて…。
こういう「器」に出会う危うさと幸せを思いめぐらす
たぶん、今もこういう人って、どこかにぽつぽつといると思います。普段は茫洋としていたり、不器用だったり、人を困らせたりするのに、なぜか組織のリーダーとしてピンチにあたると、周りの人に「やらなきゃ…この人が言うならやらなきゃ…この人がどうにかなると困るし…」と思わせて、つい全体をアツくしちゃう人が。
でも、ふと思うのです。こういう「器」は周囲にとっては麻薬だなと。
なんか、すばらしい(でもどこかのビジネス書に書いてあるような)指示が出せるとか、部下の話を1時間聞いてくれるとか、そういうリーダーもいいけど、そこに感謝や安心はあるけど、理不尽な方に自発的に走り出しなくなる高揚感はない(そんなの仕事で頻繁にあったら大変ですよね…)。
引き寄せられて逃れられないような「器」に出会うことの危うさと、その代償として得られる輝きも「のぼうの城」は語っているのかなと。
余談雑談
その1
私の持っている文庫本の表紙はオノ・ナツメさんのイラストで、山田満明さんのデザイン。上巻がのぼう様、下巻が石田三成の横顔。これ、ホントに素晴らしい。今でもこの表紙だといいんですが、どうでしょう。
その2
石田三成さんは今も「X」で発信されています。毎年、関ヶ原の合戦の前には「今年こそ!」という意気込みが発信されますが、毎年なかなか難しいようで。三成さん、悪役キャラですが私は嫌いになれません。この「のぼうの城」でも、むしろピュアで不器用でコンプレックス強めだけど、いい奴に見えた。
その3
長らく関東平野の一角に暮らしていますが、行田市には行ったことがありません。が、今回地図を見たら、上越新幹線の車窓から、大宮~熊谷間に見えるのでは…。次回、ぜひじっと車窓から見てみます。行けばいいんですけどね、遠くないんだし。
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