幻想と現実逃避としてのBL

 最近「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい(通称ちぇりまほ)」というBLドラマにはまっている。内容としては数年前に流行った「おっさんずらぶ」のような純愛ラブコメディなのだがこれが日本だけではなく海外でも人気を博しているらしい。BLはサブカルチャーのさらにディーブなジャンルとしてひっそり存在し今まで一部の人のための嗜好であったが上記のドラマなどの台頭を見ると世間でも市民権を得たジャンルになりつつあるようだ。中でも女性はBLを好んで見る場合が多く「腐女子」なる言葉も良く耳にするが、これは女性が常に〈欲望〉の対象となっておりその対象から脱した立場から物語を鑑賞することに心地よさを感じているからではないだろうか。つまりBL作品を読むときは〈大文字の他者〉になり女性は一時的に女という性を脱ぎ捨てることができるのである。その考えは作品内にも表れている。

「ちぇりまほ」では主人公がひそかに憧れる女性社員が登場しその女性はヒロインが主人公に恋愛感情を持っていることを知っているのだが、二人が晴れて恋愛関係になった時にもそれを察したような素振りを見せる。つまり女性社員は視聴者と同じ立場にありメタ的視点をもつ人物として物語に登場し一切二人の恋愛模様には関わってこないのである。その他のBL作品でも女性は主要キャラクターを取り巻く第三者/〈大文字の他者〉に徹するというのが鉄の掟のようなものであるらしい。


 女性が〈他者〉の欲望から身を守る方法として『BL』という幻想を抱くことは主に2次元空間で繰り広げられることが多く現実世界でその幻想が崩壊するリスクは極めて低いため良い趣味であるのかもしれない。しかし腐男子の場合はどうだろう。知り合いの腐男子に「実際に自分の身にBL漫画的展開が起こったらどうする?」という話をしたことがあるが、その答えは「いや、僕自身はそういう趣向じゃないから多分受け入れられない」であった。一概には言えないが同性の場合、自分が欲望の対象となることは外傷的であり嫌悪感を抱くことがある。男性がBLをファンタジーとして楽しめるのは演出や役者のキャラクターなどが幻想的な透過膜として機能しているからであり仮に「ちぇりまほ」の町田啓太をイケメンでも何でもない俳優が演じていたとしたらこれほど多くの視聴者を惹きつけなかっただろう。

少しドラマの内容に触れるが主人公の安達は30歳の誕生日に触れると人の心が読める魔法を授かる。ひょんなことからその力で社内の同期・黒沢の心を読んでしまいどうやら黒沢は俺のことが…?という話であるのだが心を読むということは隣人の欲望の一片を垣間見ることであり現実であれば凄まじく心理的外傷を負いそうな行為である。黒沢の秘められた恋心を知ってしまったため主人公はその思いに葛藤するが、案外すんなりと状況を受け入れてしまう。現実ではそう上手くはいかないだろうがここは虚構世界、たとえ愛の押し付けであったとしてもその「男性同士の恋愛はピュアで一途である」という幻想に視聴者は心を惹きつけられずにはいられないのだ。


この記事が参加している募集

#最近の学び

181,931件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?