僕の細道(本編)12 夢の跡
"This summer glass 'Tis all that left Of ancient warriors 'dreams" Inazo Nitobe
あの「武士道」の著者、新渡戸稲造氏が翻訳し世界に紹介した文章。
丸いメガネをかけた五千円札のおっちゃんです。
今回、オイラが一番来たかった場所
源義経終焉の地、奥州平泉高館跡。
奥州藤原氏三代、清衡、基衡、秀衡
兄源頼朝に疎まれ奥州藤原氏に匿われていた義経。
四代目となる泰衡は父秀衡の遺言を守りきれず
頼朝の脅迫に屈し義経を打ったが、後に頼朝軍に滅ぼされ奥州藤原氏の栄華は潰えた。
義経は敵に囲まれこの高館に火を放ち妻子と共に自害したとされる。
この高館跡からの眺めが恐ろしく素晴らしい!
この風景を見て義経(判官)贔屓の芭蕉は涙を流しながら詠んだと言われている
『夏草や 兵どもが 夢の跡』 芭蕉
もうたまりません。
左手から手前に北上川がゆったりと流れ、
奥には束稲山が横たわり広大な平野が広がる。雲さえも絵にはまっている大パノラマです。
時が止まり、逆戻りし始めます。
まるで自分がいにしえの古代にいるような錯覚を覚えます。
多分、芭蕉が見た時も、秀衡が見た時も変わらぬ景色だったのではないだろうか?
悠久の時の流れを感じます。
「国破れて山河在り 城春にして草木深し 時に感じては花にも涙を灌ぎ 、、、、、」
ご存知、杜甫の「春望」の一節
この詩をベースに詠んでいるわけですが
奥の細道の冒頭文に『古人も多く旅に死せるあり』とある
この古人とは西行、宗祇そして杜甫、李白を指す
皆、漂泊の詩人であり芭蕉が手本としまた越えようとした先達である。
そして芭蕉が拓いた俳句の世界は蕪村、一茶へと引き継がれていき多くの市井の人々の思いを乗せて今日に至っている。
以前にバイクで日本中をツーリングした事は記しましたが、いわゆる名所旧跡で個人の石碑は関西以東では芭蕉碑が圧倒的に多い
何故これほどの人気を誇るのか?
それほど日本人は俳句が好きなのか?
不思議です。
只々この場去り難く、過ぎ去った時の流れ(歴史)も含めこの風景を心に写す。
『草原の 青葉に眠る 過ぎし時』無精
⚠️この日記は10年前に書いたモノです。
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