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新潟阿房列車(往路)✶旅行記

結構な頻度で旅行に行っているのだが、記録に残すことも無いと、ぼんやりよかったなあという気持ちだけが思い出になって、それぞれの境目があやふやになってしまうような気がする。もったいないなあと思っても、やっぱり遡った旅行のことはなかなか思い出すことが難しい。思い立ったら吉日で、ちょうど昨日旅行から帰ってきたので、記憶が鮮明なうちに無理やりにでも旅行記を書いてみる。

そのつもりで旅行をしているわけでもないのでそもそも資料が少ないが、自分の記録のため、少なくとも行ったところくらいは列挙してみよう。

朝、東京駅のスタバで切符を予約する。せっかくの上越新幹線なので、2階建のMaxときに乗車したいと思ったが、流石に当日予約では1階席しか空きがなく、他の車両を探した。代わりに1番早く出る1階建の「とき313号」に通路側の空きがあったため予約した。
駅にいながら、スマホで切符の予約ができるとは、非常に便利なものである。

ところで、スマホでJR切符の予約をするには、いくつかの方法がある。今回利用したのは、早割などの特典があるえきねっとだ。えきねっとは、1つの車両に対して一定枚数の「トクだ値」と呼ばれる割引席が設けられている。1枚につき5~15%の割引が受けられるため、非常におトクである。普段から帰省など予め日程が分かっている旅行などで活用している。おトクかつネット予約ができるため、重宝しているわけだが、1つ課題があるとすれば、券売機での発券が必要であるということだ。

乗車予定の駅で切符の予約ができた私は若干心に余裕ができていた。しかし、予約のできた切符は発車時刻が1番早い列車。気付けば時刻は発車時刻の8分前であった。
荷物をまとめて、抹茶ラテ片手に券売機へ急ぐ。
私の目の前には既に新幹線入口と、券売機があった。券売機には「オンライン発券」の文字。しかし私は安心できなかった。そこには「えきねっと」の文字が一言も無かったのだ。記載があったのは、「スマートEX」のロゴ。ほぼ負け戦と分かりながらも、一か八か私はクレジットカードを差し込んだ。まず求められたのは8桁のパスワード。えきねっとのログインパスワードは12桁以上ある。入力しようにも片手に荷物、もう片手は抹茶ラテでふさがっている。焦りつつも一応入れてみる。入りきらない。時間も無いのに余裕も無い私は、奇跡を信じて再度パスワードを入力してみる。やはり入りきらない。
ここで私は、「この券売機では無理だ」という英断を下した。すでに2分ほど時間をロスしてしまったが、新たな券売機へと走る。

私は元から知っていた。えきねっとの発券は在来線の券売機の横にある、特急券用券売機なのだ。馴染みの券売機を見つければ、そこからは早い。慣れた手つきでクレジットカードの暗証番号を入力し(パスワードは求められなかった)、新幹線切符とクレジットカード利用明細書を発券。残り3分ほどとなった発車時刻だけに照準を定め、20番線へと走った。
発車ベルとともに乗車をし、先ほど確保したばかりの席を見つけると、ホッと一息ついた。

席についてみて、意外な事実に気がつく。齢27歳にして、私は初めて一人で新幹線に乗ったのであった。そもそも今回も、先に切符を買ってくれた友人と待ち合わせて新潟に向かうはずだった。不幸なことに前日抜歯をした友人は、歯痛が治らず、予定の時間に東京駅に来ることができなかった。今回の旅行は新潟に在住の友人に現地で案内を依頼していたので、歯痛に苦しむ友人をおいて私は一足先に目的地へと向かうことにしたのだった。

東京から新潟はおよそ2時間ほどで、のぞみで東京から京都に行く時間とほとんど変わらない。
1時間を過ぎたあたりで越後湯沢駅を通過。1/3ほどは新潟県内を走っていく。今回は通路側であったため、あまり窓の外には注目していなかったが、実際結構な距離を日本海に沿って走る。新潟は縦に長い。
越後湯沢を越えて長岡に差し掛かったころ、一度空になった抹茶ラテを捨てにテーブルを畳んで席を立つ。テーブルに置いた切符類はカバンの中に突っ込む。
戻ると窓の外には街並みが広がってきていた。到着を前に切符を確認すると、カバンの中にはクレジットカード明細書しかない。嫌な予感はしていたが、切符を無くしてしまった。

新潟駅へ降り立つと、元から嫌な予感がしていたためか、切符を無くしてもなぜか落ち着き払った自分がいた。クレジットカード明細書と、支払いをしたクレジットカードと、スマホの画面があれば大丈夫、と胸を張って改札口へ行く。あくまで堂々と、駅員に切符を無くしてしまった旨を申告する。やはりこういうときに重要なのは、「これで駄目なわけがない」という強い気持ちだ。あたかも切符のごとくクレジットカード明細書を見せる。駅員は「今回だけですよ」とそのまま改札を通してくれた。そもそもチケットレスでないのが悪い。クレジットカード明細書があるのに今回だけもなにもあるか、と自分の落ち度を新幹線の中に置き去りにして怒り心頭しかけたが、ここで怒って切符代を払えと駅員に逆ギレされても困るので「次回から気をつけます」としおらしく言って改札を出る。数年ぶりに再会した友人と落ち合い、夕方に追い掛けてくる友人が来るまで、観光に出かけた。

古町と呼ばれる繁華街に出るまで、バスで約10分。途中のバス停で、揃いの法被を着た10代の男女が20人ほど乗り込んできた。この週末は踊りのフェスティバルが開催されるらしい。
古町に着いて、まず人情横丁という商店街に向かった。
ブラタモリにも取り上げられたという人情横丁は、背が低くギザギザ屋根の小ぶりな出で立ちの、初めて見る長屋であった。お店のラインナップも、カレー屋から焼き魚屋からアメリカ雑貨の店までバラエティに富んでおり、空家はあまり無いようだった。

特に買い物することも無かったため、次の目的地へと向かう。本当にノープランでやってきた私には、特段ここだけは行きたい、という場所も無かったのだが、友人の「神社に行っておけば観光に来た感じがする」という格言に頷きながら、商店街を抜けて神社に向けて歩いて行った。

10分ほど歩くと、白山神社に到着した。
境内の立て札を見るとなんと白山神社は歯苦散神社ということで、歯の神様だという。
それならばと早速お賽銭をし、友人の歯痛が治ることを祈る。

白山神社はそのまま白山公園と隣接していて、秋晴れの日差しの中散歩をするには丁度良かった。
遊歩道を歩いていると、道横に、今にも走り出さんとする体勢の青銅の犬がいた。「タマ公」と呼ばれるその犬は、友人が言うところによると、ハチ公よりもえらいらしい。かの有名な忠犬ハチ公がただただ、飼い主の帰りを待つだけの忍耐の犬だったのに対し、猟犬のタマ公は、雪深い新潟の山中で狩りをする飼い主のカリタさんが雪崩に飲み込まれてしまったのを2度も助け出したと言う。
その勇敢さを賞賛され、タマ公は当時の市長のお褒めに預かり、さらにはこうして青銅の像となったということだ。
それにしても、まっすぐ前を見て飼い主を待ち続けたハチ公と比較し、タマ公は常に新潟の街をパトロールしているのだろうか。こちらを向いて愛想を振りまく無く、ずっと街の方角を見つめていた。

公園を抜けると、急に風情ある洋館が目前に現れた。白山公園は神社、公園、文化施設といくつかの施設が複合して構成されており、明治10年に建てられたというこの県政記念館もその敷地内に位置していた。

記念館の中では、その建物を見学することができるとともに、県政記念館が県議会議事堂として活用されていた明治大正時代の新潟の街並みや歴史もパネル展示されていた。
県政記念館の西洋風に飾られた華やかな佇まいはさることながら、パネル展示されていた当時の新潟の街並みの洗練された姿は、さすが港町と言わざるを得ない光景で、どれほど新潟の街が栄えていたかを物語るのには十分であった。
空調設備が無くとも、風が吹き抜ける記念館はこの季節を過ごすのには快適であったが、極寒の冬の同館を想像すると、まるで議会どころではなかったのではないか、という疑念がわいてくる。
秋晴れの空の中、記念館を堪能した我々は、東京から追い掛けてくる友人たちの到着を待つため、古町に戻った。

少々余った時間を調整するために、アーケード街内の喫茶店に寄ることにした。
先ほどまで閑散としたイメージだったアーケード街の真ん中では、少年少女が揃いの法被を着て踊っていた。先ほどバスで出くわした彼らとはまた別の団体のようだった。ソーラン節にも似たその踊りは、全身を大きく使いながら曲に合わせて声を張り上げるもので、よくよく見ているとソーラン節というよりはヲタ芸に近かった。
横目にその気迫溢れる舞を見ながら、我々は「喫茶マキ」に入った。こちらも大変な賑わいで、空席があるのか怪しかった。かなりの数のシニアでいっぱいで、店員に聞くと、これから歌声喫茶が始まるという。それでもよければ、というのでまあいいかと席を探したのだが、結局のところ席の空きは無かった。

仕方無く、数件先の「エトアール・プリュス」に入ることにした。
建物二階に位置するこちらの喫茶店もよく賑わっている。外の威勢のいい掛け声をBGMにしながら、濃厚なアイスココアをいただいた。

遅れて到着した友人と駅で待ち合わせ、駅近くで夕ご飯をいただく。
新潟のお店は夜が長いらしく、普段から日付が変わっても開店しているそうだ。
たしかにお店も人も多い。観光客というよりは、地元の若者が多そうな印象。
朝からの珍道中に疲労した我々は、夜を堪能することなく、明日に備えて21:30には解散した。

tyl✶

#旅行 #旅行記 #エッセイ #旅 #新潟 #喫茶店

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