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サタンタンゴ(タル・ベーラ)✶映画日記

画像はイメージです

 映画『サタンタンゴ』をみました。1994年作、タル・ベーラ監督作品です。
 2011年に映画監督を引退したタル・ベーラによる7時間18分の作品が4Kデジタルレストアのうえ日本で初公開……と情報の渋滞した謳い文句に早くも圧倒されましたが、実際映画館で観られる機会はもう無かろうし、ソフトを手に入れたとして7時間超えの映画を果たして自分の家で見ることはあるんだろうか、などなど考えた末、行けるなら行って観ちゃえばいいじゃんかという思いに至りました。

 上映は2度の休憩を挟んだ3部構成(休憩の前には画面にも「インターミッション」の字が映し出される)。7時間超えの映画とは言っても、肉体的には2時間半の映画を3本見るような感覚でした。

 経済的に困窮した田舎町に、かつて死んだはずの男が帰って来る。彼は救世主か、それとも悪魔か。……といったあらすじ。基本的にはそんな経済的に困窮した田舎町で右往左往する人々の様子がじっくりとっくり長回しで映し出されている映画です。
 長回しはタル・ベーラの代名詞とも言うべきものですが、サタンタンゴにおいてもそれはもう遺憾なく発揮されておりました。何度豆粒のように小さくなる人影を見たことか。
 その執念を思うと気が遠くなるようではありますが、しかしそれは神が人間を見るような目線では無いように思われます。あくまで人間として、同じ視点で人間を見つめようとする意志を感じるのです。

 観ているとつい「困窮」「行き詰まり」「無力感」「絶望」「終末」といった言葉が次々と頭をよぎりますが、決して悲壮感に溢れているわけではありません。画面はあくまで淡々と無表情に進み(たまには笑いさえある)、これが紛れもなく「日常」であることを強調するかのようです。
 今すぐ生きるか死ぬかの切羽詰まった恐怖はないものの、いつ始まったかさえもうよくわからないゆるやかな絶望。全部終わったしばらくあとに「よく考えたらあのときけっこうひどい状況だったかも」とか思うかもしれないけど、とりあえず今はなんとなくそれなりに続いていく、絶望。

 中盤、そんな物語全編を覆うゆるやかな絶望の中から唯一脱出するのが、村で最も年少であり最も虐げられていた(猫にさえ見下された)少女エシュティケです。
 演ずるは監督が児童養護施設で出会った当時11歳のボーク・エリカですが、凄かったですね。
 絶妙にかわいくない。
 齢11にして根底に現世に対する不信感や怒りが流れている。
 ……勝手にそんなことを感じました。その凄まじい雰囲気はエシュティケの最期に強い説得力を与え、「やっぱ死ぬしかないのかな……」と思わざるを得ません。凄い。
 しかしエシュティケによる猫の虐待は作中でおそらく唯一描かれる明確な暴力で、これが映画の中の強いアクセントとなっていると思われるのですが、同時にこの映画を猫好きには薦められない理由となっています。

 ところでこうして思い返していると、終末感を前提とした日常や死んでガチガチに固まっている猫など、どうもP.K.ディックを思い出す精神性が随所に感じられます。なので全然SFじゃないですがディック好きな方にお薦めしたいですね。

 死んだはずの男イルミアーシュは果たして救世主なのか、悪魔なのか?その答えは明かされません。というよりも、どちらであろうと違いは無いということなのでしょう。
 村を出た人はまた似たような絶望のなかを進み、村に残った人もまた絶望のなか窓を締め、物語は幕を閉じます。
 「それでも生きようとする人間の賛歌!」というポジティブな気持ちには全くなれませんが、だからと言って「悲しすぎるので帰り道で死のう」という気分にも特になりはせず。
 観る前は「7時間超えだ……気合を入れて行かねば……」という気持ちがあったんですが、帰り道では「なんか意外と観られちゃうもんだな?」という気持ちでした。たまたま観に行った映画がたまたま7時間以上あっただけみたいな……さすがにそれは言い過ぎか……
 ひとまず、思っていたよりも肩肘張らずに観られる映画でした。明日もそこそこに生きましょう。

2019/10/16視聴

http://www.bitters.co.jp/satantango/


(マリノ)

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