書けそうで書けない編曲「赤とんぼ」

ピアノ1台で描いたトスカの世界も
4台ピアノで作りだした「新世界より」も
今までに世に送り出してきた藤川さんの編曲作品は
そのどれもが素晴らしいと思うけれど
私は密かにこの「赤とんぼ」の編曲が抜群に上手いと思っている

時に歌の伴奏は黒子となりがちで
黒子であることが悪いことだとも思わないけれど
この編曲は私の中にあった「伴奏」に対する固定観念を一笑にふすように
悠々と軽々と超えていった

前奏からしてもう上手い
聴き手の手を取り
これから始まる物語の世界へと誘う
この短い前奏で赤とんぼの世界への入場から着席までやってのけてしまう

これから歌うメロディーをそのままなぞったメロディーではないから
前奏に続いて始まる歌い手のメロディーが二番煎じにならず
新鮮な音として耳に届く

歌が始まってもやっぱり上手い
もともと楽譜の隙間、音の隙間を埋めていく才に長けている人ではあるが
歌い手の音を消すような音は乗せない
隙間隙間を突き
歌い手の声の輪郭を際立たせていく

そこにソプラノ歌手がいるかのように
バリトン歌手がいるかのように
音楽が進むと共に赤とんぼの世界を膨張させていく

音の世界を広げようと思えばたくさんの音を書きたくなるのが人情で
得意とする音形や印象的な高音を入れたくなるのが人情のところを
そこをグッと堪えて
これ以上は削れないところまで音を、和音を削ったことだろう
水墨画を描くように余白に呼吸をさせ
音のないところに命を吹き込む

ミクロの単位でメスを操り
ほんの僅かの手元のズレも許されない脳外科手術を見たようだと言えば
それは少し言い過ぎでしょうか

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