なまえ



姓、名の、メイ、の方を呼ばれるのがほんとうにうれしくてすきだ。


昔は自分の名前が大嫌いで、もっと可愛くて女の子らしい名前が良いなってずっと思っていた。

習い事の教室で、勘違いされて、けいくんって呼ばれ続けたことがあった。ちょっと怖いなと思って(本当はすごく怖かった、)いた先生だった。

それが本当に嫌で嫌でかなしくて、でも怒られたらどうしようとか(?)なかなか言い出せなくて、誰かに相談したら、えーいいなよ、絶対謝ってくれるよなんて言われて、言ったら変わるかななんて悩んで、その先生のクラスが終わる最後の方(多分学期末とか)で泣きそうになりながら、レッスンの終わり際にこっそり残って言ったら、えーそうなの!ごめん!!ってなんてあっけらかんに言われたことを、今でも良く覚えている。

なんだそんなもんなのかーと思った。向こうが適当に謝った!ということじゃなくて、わたしが名前に囚われすぎてるのかもしれないと、後から考えれば思える。


名前ってこの世の全てだ。
ひとつの言葉で括ることで、数えきれないほどの要素があるものをまとめることが(まとめてしまうことが)できるのだから。

キャベツの春色なきみどり、もしかしたら中にいるかもしれない青虫(嫌いだけど)、含まれているビタミン、よく居酒屋のお通しで出されること、他にも土に額をピッタリつけて成長すること、他にもたくさん、そういう情報とか要素が全てたったの4文字にまとめられてしまう。とんでもない。

ことあるごとにわたしは名前とか、ひとつのことばにまとめることの脅威をべらべらしゃべって(書いて)きた。し、実は自分の名前も怖いと思っている。

でも、キャベツと言ったら世界中のキャベツが当てはまるけど(キャベツへ、ごめん)わたしの名前はわたしだけのものだから、それはそれで良いのかもしれない。わたしは自分のことが好きにはなれないけど、抱きしめて甘やかしてあげたい気持ちはすごくある。自分にすら好かれない自分が可哀想で可哀想でたまらない。でも、それは名前という愛着のおかげもあると思う。

どんな時でも、名前で呼ばれると嬉しい。
名前だけ呼ばれてなんでもないよって言われても嬉しい。世界でわたしだけの名前。えへへ。

そういう意味では親に感謝せないかんね。

自分の名前だけじゃなくて、人の名前を呼ぶのが好きだ。だから、ほとんどの人のことを下の名前で呼ぶ。長い名前も、定着しすぎたニックネームもフル無視である。
周りは愚か、本人も誰のことを呼んでいるのか一瞬わからないのはよくあることだし、一体どういう関係なんだと周りがざわつくこともよくある。でもわたしには関係ない。あなただけの名前(名字じゃない!名字は家族の仕切りだから実はそんなに。)であなただけを呼びたい!!

気持ち悪いかもしれないし重いといわれるのかもしれないけどそれくらいあなたのことが好きなので許してほしい。
(もちろん名前で呼ばれるのは嫌だ、とかは受け入れます)
手紙を書く時に、〜さんへ、と書く時、いつも音でしか聞かない名前を文字にして、よくどきどきしている。こんな漢字なんだ。とか、いざ名前を資格情報としてもいれてみると、くすぐったくなる。ほんものだ、って。あなただけに、書くんだってなる。手紙、あなただけに書いてるんですよ、ほんとう。

自分の名前が好きかと言われたらわからないけど、呼ばれるのは認められた気がして、ほくほくします。みんなの、あなたの、名前はすごく好き。

だからこれからもわたしの名前はいっぱい呼ばれてほしいし、わたしはあなたの名前をいっぱい呼びます

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