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#036聞き取り調査の、重い扉は開くのか?ー論文執筆、落穂ひろい

 今回も、以前に執筆した論文の作成過程での出来事で、論文そのものに書き記せなかったことを紹介します。

 今回の論文の題材になった人物は、明治時代の地方官僚である「郡長」を務めた人物です。筆者が20代から30代のころ、学会では地方行政やその制度に焦点が当てられ、活発に議論がされておりました。しかし中でも大正末年に廃止されてしまった郡役所、郡長については、史料の散逸などから研究は進んでいませんでした。

 今回の話もたまたま縁があって、ある資料館に古書店が古文書群を送り付けてきたということがあり、これは購入するに値するかどうかを検討してほしいというお話が筆者のもとにありました。直接史料を見せてもらうと、明治時代の郡役所の罫紙に書かれた、冊子から外れたような文書がたくさん。どうやらこれは郡長の業務文書ではないか、とにらみ、これはこの地域の明治時代の歴史を明らかにする上で非常に重要なもので、購入する価値がある、と進言し、資料館で購入する運びになりました。

 この郡長を務めた人物は、名前も知られていない、当時は地域では忘れられた人物と言えましたが、たまたま筆者の、歴史の本の編纂をする仕事上の作業の一環で、大阪府の役職者一覧を作成したことがあり、その時に名前を見た記憶がありました。なぜ記憶していたかというと、大阪府で郡長職を最も長く務めた人物で、都合二十数年間もの長期にわたって務め、大阪府下では最長不倒記録の保持者であることにもよります。

 この史料群を購入してもらった資料館で、調査のための簡単な作業グループを作ったのですが、郡長の赴任地の自治体史担当者に声をかけて、一緒に作業をして情報共有するということにしました。都合3か所の自治体の担当者で情報共有し、作業を進めていくことはなかなか楽しい時間でした。しかし、自治体史の発刊が間近に迫っているところもあり、さる担当者はどうもご子孫がお住いの場所を見つけ出して、自宅にまだ史料が残っていないかということでご自宅を訪問したとのことです。しかし、訪問した門前で郡長の子孫の家だから史料が残っているだろう、地域の歴史のために必要なことなので提供して欲しい、と訴えたそうですが、急に来たどこの人だか判らない人に訪ねて来られて、蔵から史料を出せ、と言われても所蔵者の方は不審がられたようで、門前払いを食らったようです。

 その後、丹念に調査を行って、史料群を目録化して、全体像を明らかにしたのですが、内容としては、特に個人的な記録、家についての記録などは無かったため、郡長個人の仕事についての手控え、執務記録群といった特徴があるように思いました。特に注目に値したのが、明治25年の第2回衆議院議員選挙における選挙干渉についての史料があったことです。こちらについては、以前もご紹介しましたが、下記からもご覧いただけます。

 この史料紹介を執筆するにあたり、やはり郡長その人個人の人柄や、あるいは肖像写真が残っていないか、など周辺情報がさらに欲しいと思いました。先の門前払いの件もあるので、ご子孫の方に対して、なぜ地域史の研究に郡長の史料が有用なのかを説明し、写真や史料があれば見せてもらいたい、もしそれらが無くても、ご子孫にしか伝わっていないような人柄を示すような逸話などがあれば、お話だけでもうかがいたい、ということを直筆でお手紙を書いて郵送しました。

 ここで、これをお読みの皆さんに疑問が沸くかも知れません。先の門前払いの話も含めて、何故、ご子孫のお住いの住所がわかるのか?と。それには、こういう知識と経験から割り出す方法があるのです。まず、住宅地図とその地域の江戸時代の絵図、あるいは明治時代の地図と照らし合わせて、目的の集落でどの部分が昔からある集落部分かを判断します。さらに住宅地図を見ることで、その古い集落部分で大きな屋敷地を持っている人がいるかどうかを見出します。古い集落の地域で大きな屋敷の構えがあるようでしたら、それが大体昔からのその地域の名士の方の家だと、概ね判断出来ます。このような昔のいわゆる名士と呼ばれる人たちの家は、大体敷地面積が大きいですので非常に見つけやすいと言えるでしょう。大きな屋敷を持っているかどうかという判断と、その目的の人物の苗字のご家庭の方がお住まいかどうか、この2点でおおよそ検討を付けることが出来ます。また、古くから続いておられる家は、大体電話帳に自宅の電話番号を掲載されています。そこから、先の地図の住所と電話帳の情報をすり合わせることで、古くからの地元の名士の家を割り出すことが出来ます。何だか探偵のような、警察のような、という印象をお持ちになるかも知れませんが、研究者にはこのようにして古くから続く家を探しだすことが出来る技術と知識があるのです。

 手紙の話に戻りますと、投函して1週間ほどしてから、その目的の郡長のご子孫の家へお電話をします。先の電話帳の件で、電話番号が判っていますので。そこで、先だって手紙を出させていただいた者です、是非おうちに伝わるお話などをお聞かせいただきたい、というこちらの希望を伝えます。そうすると、ご子孫の方も、何も知らないですよ、と言いながらも、余程でない限りは、大体聞き取り調査くらいには応じて下さいます。このようにして、重い門戸を開けて、初めてご子孫の方にお話をうかがえるのですが、もちろんその際には、きちんとスーツを着て行って、手土産も忘れないようにします。ご子孫の方と対面してからも、なかなかドキドキものです。こちらがうかがいたいことは聞いても大丈夫か、気分を害されないか。あるいはご子孫の方は何を聞いて欲しそうにされているか。このあたりを表情の様子をうかがいつつ、どこまで立ち入って良いか、どこからは立ち入るとまずいか、を判断しながらお話をうかがっていきます。その際には、こちらが欲しい情報だけではないかも知れませんが、どんな時にその情報が役に立つか判りませんので、しっかり聞いてメモなどを残すようにします。そのことで、これほど熱心に聞いてくれるなら、こんなことも話してみようか、というように徐々に話されている方の方から歩み寄ってくださることがままあります。また、普段の生活に関係のないことですので、お話しいただいた時に記憶違いということもあったりします。ですので、聞取りには、同じ話でも何度も足を運んで、前回こう仰ってましたが、あれはいつ頃の話ですか、など、聞取りの精度を上げるような工夫をすることも必要です。

 話が長くなりましたが、筆者がこのようにして聞いた、郡長の子孫の方からの話で、論文に書けなかったお話を落穂ひろいとしていくつか紹介いたします。お話をうかがえたのは、郡長の孫と結婚された方でした。その方の子供の頃には、義理の祖父はまだ郡長の現役の頃だったそうで、子供の頃の当時には、野良仕事をしていると馬に乗って駆けていく郡長の姿を見たそうです。その時には、道に面している場所で野良仕事をしている人たちは、通過するまで平伏していたとのことでした。まるで江戸時代の役人のように、地元での権威が高かった様子が、この話からうかがえます。もちろんこの子供時代にはこの話をしてくれている方は、まさかこの郡長の家に嫁ぐことになるなどは夢にも思いもしなかった時期です。また、嫁いでからその方が聞いた話として、次のようなものがあります。時期としては既に現役を引退していた時期にあたりますが、義理の祖父は非常に厳格な人物だったそうで、我が子が師範学校を卒業しているために、地元では教職、それも校長先生として採用したいという話が出てきたことがあったそうです。郡長の息子の、当のご本人は真面目な方だったそうですが、その話を引き受けようとしたところ、元郡長の父親から、それはお前の実力ではない、縁故採用は許さない、といい、その採用話をもみつぶした、というお話が家に伝わっているそうです。曲がったことが嫌いだという性格を垣間見るような逸話です。しかし、この話者の方が結婚した相手、孫に対しては非常に溺愛していたようで、冬場には自分の懐に入れて一緒に寝ていたということも聞いているそうです。そもそも孫には、郡長自身の江戸時代の幼名を名付けていたようで、そこからも溺愛具合が見て取れるでしょう。このように、非常に職務やルールに対する厳格さを持ちながらも、家族に対しては愛情を注ぐという、非常に人間らしい一面がご子孫の方からはうかがえました。これらの聞き取りの結果も織り交ぜながら、この題材で講演会をしたことがあったのですが、その会に当代のご姉妹が連れ立ってご参加下さり、非常に緊張したという思い出があります。

 今回は、論文作成の過程での調査方法について、どのように史料調査をしてどのように旧家を見つけ出すのか、どのようにして接触してご子孫の方にお話をうかがうのか、ということをこちらの論考作成の際の例を引きながら紹介しました。今回の人物については、何本か論文にしているので、その他にもご紹介したいお話はまだまだありますが、今回はこれくらいにしておきます。この文章で、ご子孫からの聞取りの醍醐味の一部を味わっていただけたのでしたら幸いです。このような、古文書などの史料からは得ることがなかなか出来ない情報をご子孫の方々から聞取りをすることによって、歴史上の人物についてより立体的、多角的に人物を把握することが出来るといえるでしょう。また聞き取り調査をすることで、過去に実際に生きていた人間としての個性や特徴など、文字情報として残っていない部分を後世に残すことも出来ますし、文章にする際にはより深い表現で人物を描くことも出来るかと思います。まさかこんな手法も用いて歴史の本って書かれているんだ、と驚かれた方もおられるかも知れませんが、歴史の調査手法としての、聞き取り調査の楽しさが万分の一でも伝わったのであれば幸いです。

いただいたサポートは、史料調査、資料の収集に充てて、論文執筆などの形で出来るだけ皆さんへ還元していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。