アクアリウム 2

−ちょい呑み 金次郎−
金曜のこの店は仕事帰りのサラリーマンでごった返している。ちょっと表現が古いが所謂花金ってやつに浮かれて羽目を外して呑み過ぎる客で賑わっている。
客は店名に掲げられた『ちょい呑み』とは全くもって似つかわしくない、ほとんど泥酔状態の呂律が回らなくなった中年ばかりだ。
店に設置されたテレビからは相変わらず、政治家をネチネチと批判、追求する質疑応答の様子が流れている。
些細な事をしらみ潰しに詮索して、どうでもいいとも思える同じ様な質問をしつこくするキャスターの、悦に入った妙な湿った声が耳に響く。
まるで問題そのものより、政治家が青い顔をして俯くことが愉快で仕方ないかの様な声色で、げんなりしてしまう。
テレビの画面が急にスタジオに切り替わり、アナウンサーが「次は、小中学生の間で蔓延するイジメ問題について徹底討論していきます」なんてシラっと言うものだからゾッとする。

「大体イジメなんてやられる側にも問題があるもんだろ」
居酒屋の個室でソース壺に串カツを突っ込みながら斜向かいの井出が言う。
縦にも横にも大きながたいで、いつ見ても串カツとソース壺がこんなに似合う男も他にいないだろうと感慨深い。
いつからだったのかはっきり覚えていないが、ある時から週末は大学の研究室の仲間で寄り合って晩飯がてら、このちょい呑み金次郎で酒を呑むのがお決まりとなっていた。
言って仕舞えば週末に恋人に会うという大学生活を彩る醍醐味がない男共の集会である。
「まぁ相手にきっかけはあったとしても、単なる批判なんかからイジメに性質を変える瞬間はあるだろうな。具体的な出来事に対する批判とか仕返しから、だんだん相手を痛ぶる快感に変わるんだよ」
並々注がれた中ジョッキのビールをガブガブと飲み干しながら市原が言う。
アルバイトにモデルをしているだけあって、酔っ払ってゲップを出す仕草もどこか絵になる雰囲気なのが滑稽だ。
「だけどだ」
ビール片手に少年誌の人気漫画の最新刊を熱心に読みふけっていた兵藤が唐突に大きな声を出す。
「だけど、一番の問題はいじめの悪玉はいても、ヒーローだとか勇者だとかがいないってことだな。現実世界には悪玉と被害者と傍観者しかいないんだよ。だから俺は漫画が好きなんだ」
「そりゃ鋭いな。その通りだ。現実は世知辛いぜ」
新しい串カツの皿を店員から受け取りながら井出が大きな相槌をうった。
「おいおい、決めつけるなよ。いるぜ、ヒーロー」市原の調子の良い言葉を聞いて井出が大きなため息をつく。
「・・・どーせ、お前だろ?」
井出が串カツの串で市原の鼻先を指す。
「あぁ、よく知ってるな。ヒーローが似合うだろ?まぁヒーローも何も俺はそういう陰湿なのは辞めるべきだぞって注意しただけだけどな。男には一発ずつ鉄拳食らわしたけど」市原が爽やかに笑う。
「はーん、さては主犯格は女か」
「いや?男女両方だったな」
「おおよそ女子がお前の意見にに寝返ったんだろうよ、どうせ。ちっ、イケメンは良いよな。おまけに武道の達人と来たら向かう所敵なしだろ、お前みたいな奴は例外なの。そんな奴ぞろぞろいてたまるかよ」
心底つまらなそうな顔をする井出を見ながら、例えルックスや武道がなくとも、いじめの一つや二つは解決してくれて当然と思える、市原の不思議な何かを感じずにはいられない。
「まぁ、その分苦労もしたさ」
不服そうな顔をする井出を見て、市原が嬉しそうに頷く。
「聞く価値もねぇな。お前みたいな人間は産まれた時から特殊なんだよ、苦労のレベルが俺ら庶民とは違うっての」
「ほう、井出がそんなに俺のことを評価してくれていたとはな」
市原が腕を組んでニンマリするのを見て井出が心底嫌そうな顔で首を振った。
「だか、俺には彼女がいる。その時点で市原より俺が良い男ということは証明されているんだよ」
井出がソースのタップリついた串カツを勢い良く振って胸を張る。市原はうんうん、そうだとも、といつもの整った顔で頷いている。
「しかしなぁ、よく躊躇もせずに仲裁に入れたよな。お前の辞書には日和見って言葉はないのか?現実世界では外交と同じで空気を読んで苦渋の沈黙ってのも平和を保つための大事な防衛策なんだからな」
漫画を読みながらポテトフライをつつく兵藤がこちらの会話にもしっかりと参加することに驚く。
「まぁそうだとしても、俺は空気なんか読まないね。細かいことを気にしていたら世界を股に掛けてやってられないんだ」
市原はいつの間にか上等な刺身盛りを抱えて一人で平らげようとしている。世界を股にかけるというのは壮大な比喩ではなく、彼が世界の様々な国を転々と暮らして来た事実を表しているに過ぎない。
「国が変われば何もかもが変わるんだよ。カルチャーショックってやつかな?あれは当然あって。文化や法律も違えば、人々の考え方、モラル、マナー、食べ物だって全く変わる。そうなると子供心に何が正しくて何が正しくないのか分からなくなってくるんだ。子供にとっては大変なことなんだぜ?世の中のルールを学んでいくときだってのによ。だからある時俺は決めたんだよ」
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