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7. 北野武 監督術 「オイラの定理」

『藝人春秋Diary』〜よりぬきハカセさん企画〜

2017年9月23日、土曜日──。

 ビートたけしの新刊小説『アナログ』(新潮社)を持ってTBSの『ニュースキャスター』の本番前の楽屋に伺った。
「お、どうした?」
「いえ、今日は未来の直木賞作家にサインをいただこうと思いまして」
「ヨイショがわざとらしいんだよ!」
 などと言われながら、本の見返しに著者サインを頂いた。
「おい、これをヤフオクに出すんじゃねーぞ!」
  ご機嫌がすこぶるよろしい殿に、楽屋話のついでに大好きな数学の話を振ってみた。

「殿、最近、気が付いたことなんですが、殿が今まで『オイラの定理の解き方だけどよぉー』って、よく紙に数式を書いてらっしゃたんですけど、あの“オイラ”って自分のことではなく“オイラー”ってスイスの有名な数学者の話だったんですねー」
「なんだおい、オマエ、今までそんなのも知らなかったのかよ? 」
「え、ボクだけじゃないですよ!」
 ボクと同様に周囲の殿番スタッフも今まで殿の一人称である「オイラ」と「オイラー」を聞き違えていたらしく、全員で長年の謎解きが解決出来てバカ笑いした。

「『オイラーの定理』ってのも、やたらに種類があってだな、そもそもオイラーってのは18世紀の大天才でよ、素数が無限にあることを証明してだな……指数関数と三角関数の関係をだな……」
と何時ものように殿の数学雑談は尽きることがなかった。

 北野武70歳──。
 以前には「もし違う道を選ぶなら、数学の研究者になりたかった」とコメントしているほどだが、実際、フジテレビの深夜番組『たけしのコマ大数学科』では数学者を演じていたこともある。
 2006年4月から2013年9月まで放送された、この番組で殿は数学の鉄人・マスマティック北野(マス北野)として毎週、難問を解いていた。

 数学に限らずビートたけしという才能の多面体ぶりはよく知られていることだが、今、改めて本格的に小説家の道へと踏み出そうとしている。
  そして、すでに世界的評価の固まった映画監督としては通算18作目の『アウトレイジ 最終章』が10月7日より全国公開される。

去る9月9日に閉幕した第74回ヴェネチア国際映画祭ではクロージング作品として世界初上映され大喝采のスタンディングオベーションを浴びた。
 『HANA-BI』(1997)で「金獅子賞」、『座頭市』(2003)で「銀獅子賞」、とヴェネチアに愛された北野監督がレッドカーペットに現れると観客が一斉に詰めかける熱列な歓迎を受けた。
ヨーロッパでの監督・北野人気は日本では計り知れない。

そして、今までの言わば極私的美学に貫かれたギャング映画から2010年代に入ると、その路線が変更された。
『アウトレイジ』(2010)シリーズの第1作は「全員悪人」というヤクザバイオレンス集団劇で始まった。
 男たちの怒声、咆哮の応酬は「バカヤロー節」と称され、メタリックで腹に響く重たい銃声がテンポを刻む。
 北村総一朗、三浦友和、國村隼、石橋蓮司、小日向文世…といったホームドラマでお馴染みの面々を全員、強面のヤクザや悪徳刑事に変貌させスクリーンに血と共に花咲いた。

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 その2作目『アウトレイジ・ビヨンド』(2012)は報復編。
 前作、たけしは刑務所内で殺されたかに見えたが実は生きており、出所後、復讐に奔走する。
 組のトップの座を掠めた三浦友和が、たけしに報復され、刑事でありながら東西ヤクザの抗争を焚き付けていた小日向文世もまた滅多撃ちにされて物語は閉じた。

 前2作を役名を排し、簡易に振り返ればこういうことになる。
 両作が共に大ヒットすると3作目の製作発表が告げられ、2作目のキャッチコピー「全員悪人 完結」は速攻で、ご破産にされた。
 つまり映画は完結していなかったのだ。
『ビヨンド』から5年の時を経て、このたび正真正銘の最終章を迎えることとなった。

 今作は関東「山王会」と関西「花菱会」の抗争が終結し、大友(北野武)はフィクサー張会長(金田時男)を頼り韓国済州島へ向かう。
 そんな折、取引のため来韓した「花菱会」幹部・花田(ピエール瀧)がマヌケなトラブルで張会長の手下を殺めてしまう。
 多くの犠牲を払い収束したはずの東西抗争は日韓フィクサー「張グループ」と関西巨大組織「花菱会」の国際抗争に突入。
 大友は最終決戦の覚悟で帰国するが、その頃「花菱会」では内紛が勃発していた……。

 北野映画マニアのボクは贔屓目なく、この3部作は「21世紀以降の北野映画の最高傑作」と思っている。
 と言うと、映画通からは『ソナチネ』(1993)よりも上なのか? との疑問の声もあがるだろう。言うまでもなく、英BBC選出の「21世紀に残したい映画100本」に選ばれた『ソナチネ』は世界映画史に残る大傑作だ。
 だからこそ「21世紀以降……」と断りを入れた。
 別表現で言えば「『ソナチネ』が芥川賞! 『アウトレイジ』は直木賞!」ということになろう。

 北野監督は両作を比較してこう回答していた。
「『ソナチネ』から全然進歩してねぇじゃねえか!? とか言われるから『アウトレイジ』はバイオレンス・エンターテイメントと割り切って極力分かりやすく、それでいて、すごく〝痛い〟作品にした」
 確かに1作目の〝痛さ〟は強烈であった。
カッターナイフによる指詰め、中華包丁に切断される指、歯科道具での口腔内拷問責め、“ミニにタコ”ならぬ耳に箸……。
 2作目は逆に暴力を抑制的にする反面、セリフの多用と物語性の重視を徹底。それでも、新たにバッティングセンターで椅子に拘束され、死ぬまで顔面に豪速球を受け続ける新手の処刑シーンを加えた。
最終章には一体どんな新手の〝痛い〟シーンがあるのか―。

『アウトレイジ』シリーズは殿の大好きな数学的な映画術が際立っている。(数学者の竹内薫は北野映画を『デルタ関数的』と評している。)
過去の北野映画は計算式に端数が残る割り算のような余韻をあえて残すことで解釈を観客に委ねる作風も多かったが、『アウトレイジ』全3作はラストで数式が一気に解けるようなストーリーテリングの快感を提示してきた。

 人間関係とはXの値を一つ決めると自動的にYの値も決まるという、小中学校から慣れ親しんだ「陽関数」の関係性ではなく、XとYの組み合わせが多様な「陰関数」の関係性である。

 その定理は変えずに、本シリーズでは複雑な人間関係と伏線をキレイに回収しながらラストへと向かう作品に仕上げてきた。
「群像劇にする時、難解な人間関係は、いったん数式で考えて因数分解して最適解を出すんだよ」と事も無げに殿は言ってのける。
 北野監督は『アウトレイジ』で主人公をはじめ登場人物の誰にも感情移入を許さぬ設計を施し、彼らの生と死を「0」か「1」かデジタル的な記号として処理している。
 故に観客にとって、映画の死体の山は単なるカタルシスとして消費される効果を産んだ。
 殿の視点からさらに作品を考察すれば、物語には数学のみならず物理学が応用され、不穏な世界情勢にも似た暴力的な破壊の応酬と殲滅が継続する空気が全篇を覆っている。

 エントロピーとカタストロフィーが交叉する、尽きることのない抗争、底なしに思えたその熱量も、やがてどこかで必ず物語の終着点を迎える。
「でも生き返るのが“あり”だったら、このシリーズも『仁義なき戦い』みたいに半永遠的に続けることが出来るんじゃないですか?」とボクが素朴な疑問を口にしたら、
 「オマエは甘いな!それはだな、普通なら細胞分裂は無限に続くと思うだろ。これは解剖学に言えばな『ヘイフリック限界』って奴が訪れるわけだな、だからオイラもそろそろ限界が来るぜ!」と答えた。

それらの意味するところは、もちろん「死」だ。

 北野武監督はデビュー作『その男、凶暴につき』以来、常に「死と戯れる作家」だ。

 思えば『アウトレイジ』は登場人物11人の不毛な殺し合いから物語は始まった。11は素数である。
偶数の4人死ねば、残りは「7」。
さらに2人死ねば、残りは「5」。
そこから3人死ねば、残り「2」。
「エラトステネスの篩(ふるい)」のように素数のヤクザが残っていく。
もはや最小素数「2」の後ろに残る数は2つしかない。
「陰関数」で最初に明らかなのはXとYが「0」になる関係性だけだ。
最終章のラストシーンは「1」か「0」なのか!? 

そこが必見である!
 
そして北野映画の次回作として予定している小説『アナログ』は本人が「手書き」にこだわり、あらゆるものが「デジタル化」する世間の風潮を否定する純愛小説として書かれている。

 ビートたけしと北野武の振り子がもたらす「オイラの定理」は我々をどこまで翻弄するつもりなのだろうか。

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                      イラスト・江口寿史


【その後のはなし】

73歳という 「素数」の歳を跨ぎ、新年1月18日に74歳を迎える北野武監督の次回作は『アナログ』ではなかった――。
どうやら、もっと大作を準備されている様子だ。

 殿の数学好きはいまだに続いており、27時間テレビでコンビを組んだ、関ジャニの村上信五くんには、千ページを超える『虚数の情緒』(吉田武著)という大著を推薦していた。

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帯には「虚数を軸に人類文化の全体的把握を目指した20世紀最後の大著 新世紀の教養はこの本から始まる」と書かれている。
 殿の言うことはなんでも取り入れる素直な村上くんだが、流石にこれを読んだらと言われたら困っただろうな。

 2017年の4月29日、幕張メッセで開催された『ニコニコ超会議』に初めて参加された時も舞台裏で、京都大学工学部卒のドワンゴの総帥・川上量生さんとも数式で会話をされていた。

 殿がメモ用紙に走り書きした数式を川上さんが大事そうにお持ち帰りしていたのが印象的だった。

 それはさておき、今回は『アウトレイジ 最終章』の公開に合わせて、書いた一文なのだが、
「映画を撮ったこともないくせに何をエラソーに映画評論してんだよ!数学のイロハもわかんねぇくせに!馬鹿野郎ォ!」と言われそうだが、師・ビートたけしの話題は、この後の『藝人春秋Diary』でも念入りに書くので、そちらを乞うご期待していただきたい。


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今も書き続けている『藝人春秋』シリーズの存在を
認知していただければこれ幸いです。

本編には、まだ50話以上も話が残っています(笑)


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