『萎え』について/読めないエッセイの謎

『萎え』

それは深刻な問題

人間の感情というものには、ブレーキが付いているらしく、それが『萎え』である。

『萎え』のちからというものは凄まじく、自発的な行動の大抵をストップさせてしまう。

私はこの『萎え』が強いらしい。

私が昔から有していた趣味らしい趣味は全てこの『萎え』に支配されてしまったらしい。


私が読んでいるエッセイの本で、『キリンに雷が落ちてどうする』というものがある。

品田遊氏の著書なのだが、2022年の11月に発売された本で、確か私が購入したのは2023年の年が明けてすぐくらいの時期だったと思う。

このエッセイは、著者が十何年と連載を続けているnoteの記事を編集したものである。

私は彼の文章が好きで、面白い話もあれば、考えさせられるような話もあるし、共感できるような話もある。(ありきたりな感想しか言っていないな)

何を隠そう、私がnoteの更新をするようになったのはまさしくこの本の影響で、普段Twitterで誰にも見向きもされない私の発言を“noteの記事”として残していけば、普通だったら何の価値もない私の呟きも“作品”としてしっかり遺るし、なんなら応援してくれる人がついたら嬉しいな、くらいに思っていた。

私がnoteを更新し始めた2023年の8月あたりの時期は、私のプライベートが忙しくなったあたりのタイミングであり、“病み垢”だと思われるくらいTwitterでネガティブな発言を繰り返していたのをしっかりと文章にすれば、共感してくれたり評価をしてくれるような人間がいつか現れると思っていたのだ。

結局私のファンなんていないし、私の記事を楽しみにしているフォロワーもいない。


私はスマホ依存症なので、『暇な時に小説を読もう』なんて習慣はない。

『面倒だけどキッチンの換気扇の掃除でもするか……』くらいの頻度でしか本を開かない。

読みたい気持ちはあるのだ。

暇さえあれば本を読む気で満々なので、私が携帯している鞄には必ず品田遊氏の著書が入っている。

その本が開かれるのはせいぜい1ヶ月に1回あるか無いかくらいだ。

私は一度本を開けば大体10〜20ページくらいは読む。

この本は面白いから。

ついさっき、その『1ヶ月に1回あるかないか』がおよそ4ヶ月ぶりくらいにやってきた。

常に鞄にしまわれていた本はボロボロになっており、ブックオフに売れるわけがないくらいの状態になっていた。

当然帯は無くなっているし、カバーも裂けていた。

品田遊氏ファンの人がこの記事を読んだらめちゃくちゃ怒られるんだろうな。

開いて読む。

やっぱり面白い。

ページをめくる。



胃がムカムカしてきた。

この現象は今まで無かったと思う。

私は苦痛を感じた為、本を閉じた。

しばらくじっとし、スマホで軽く数分Twitterを眺めてから再トライする。



やっぱり読めない。

私この本読めなくなったんだ。

氏の文章が苦手になったとかそういうわけでは無いと思う。

そんな大人になって食の好みが変わるみたいな感じで趣味嗜好が変わるわけがない。


これわかった。

“品田遊氏のnote”という存在が私の中で【嫉妬・怨みフォルダ】に入れられたのだ。

これまでのnoteで散々語って来たが、私には幼少期からコトコト熟成されて大成した“特大のコンプレックス”が存在する。

4歳から習い続けたのに何一つ自分の身にならなかった【音楽】

その中でもさすがに音感くらいあるだろと思い練習してみるも一向に『上手い』と評価されることがなかった【歌唱】

高校の現文の教師に『文才があるかも』と言われ挑戦するも誰からも評価されなかった【作文】

などなどなどなど私はいろんな事に自分の可能性という一縷の光を追い求めては全てが無駄だったこれまでの人生から、自分が実らなかった部分で優れている人間やコンテンツが《心の底から憎い》のである。


それで私が「これ憎いな、腹が立つな」と思う存在をひとまとめにしたのが【嫉妬・怨みフォルダ】である。

他にも何が在籍しているかというと、若くして活躍している作曲家、歌手、アイドル、配信者、Vtuber、絵描き、小説家、その他インターネットで活躍している人間だ。

これらは私にとってとても憎く、その音楽を聴くだけで吐き気がするし、その漫画を読むだけで熱を出して寝込む。

私にとってのに他ならない。


そんなに、私の好きな本がなったのだ

いや、変わったのは私の方だが……。


私がと呼んでいるこれらは、私の脳にあまりにも強すぎる『萎え』をもたらす物体である。


私にとってのはこれからますます増えていく。

私は大学に入ってからジャズを始めたが、全く上手くならずに気づけば3つも歳下の後輩に技術でもセンスでも負けていた。

そろそろジャズを聴くのも嫌になるだろう。

現に、私はBLUE GIANTがもうなのだ。

BLUE GIANTの漫画や映画なんて観たくないし、曲も聴きたくない。俺の前で BLUE GIANTの話をしないでくれ。

この段階まで来ている。


いつか私たちを取り巻く酸素ですらもになるのかもしれない。

その時はそのライフルで私の頭を撃ち抜いて欲しい。

もう何の価値もない人間からのお願いだ。

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