「ぶれない」と、いう生き方
バッハ松原。私の同級生の女子。昭和はクラスに40人もいて、一年間ほとんど喋らない子もざらにいた。バッハ松原もその一人だ。このあだ名は天然パーマでピアノが上手かった彼女に私が勝手に付けたものでクラスメイトが彼女を呼ぶあだ名は別にあった。彼女の存在感は薄かったが、私は彼女に一目置いていた。どんな縁かバッハとは6年間同じクラスで彼女の動向を誰よりも見ていた。大抵の子供は大した目的もなく、半日で終わる土曜日を待ちわび、吉本新喜劇を見ながら昼飯を食べ、明日は日曜日だという余裕の中「8時