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花子の一生

第10章 「本物の募金箱と偽物の募金箱」

#創作大賞2023
#小説
#人生のきび

花子もいよいよ年長となり、来年度からは晴れてピカピカの小学一年生となる。最近ではランドセルや机は夏の間に買うのが当たり前になっていて、しっかり者のチャ子は熟睡していた花子と恵子を叩き起こし、地元で一番有名なでデパートへと向かった。

 そのデパートの売り物は、何もかもが高く、金持ちのご婦人で連日ごった返していた。香水の匂いがプンプンする人混みをかき分け、チャ子は一心不乱に8階のランドセル売り場へと突き進んでいった。

 ほぼ、競歩に近いスピードで進んで行くチャ子に、歩幅の狭い恵子と花子は息を切らせながら、小走りでついていった。

 やっと着いた8階には赤と黒のランドセルが購買意欲を掻き立てるように陳列されていて、その光景に花子はなんだか、自分が少し大人になったような気がして胸が躍った。

 それも床の間、チャ子は、花子の好みなど一切聞かず、一番高い位置に君臨しているランドセルの方向へ迷う事なく歩いて行った。

 その赤いランドセルは、雛壇に座っている女雛のように上品で崇高なものだった。

 すると、チャ子は、その女雛を指し、滑舌良く大きな声で店員に言った。

 「これ、貰いますわ!」

 店員はよしっ!と、笑みを浮かべたが、その後すぐに眉間にシワを寄せた。

 おそらく、自分のノルマが達成した喜びと同時に、下賤に見える親子に、この高いランドセルが買えるのだろうか。と、思ったに違いない。

 しかし、さすがプロである。公平な態度で店員はチャ子に、こう言った。

 「お客様、お目が高いですわぁ。これはコードバンと言いまして馬皮でございます。艶も使い込む程出てきますし、賢いお嬢様にはぴったりかと存じます!」

 それを聞いた花子は「プロやわ」と、呟いた。

 どこからどう見ても、賢そうに見えなかった自分を、賢いと言い切った店員はを、まさしく、プロフェッショナルだと思ったのだ。

 同時に、大人も楽やないなぁ。という表情を浮かべた。

 この店員さんも、家族を支える為に、言いたくもないお世辞と、笑いたくもない笑顔で頑張っているのだと思うと、なんだか花子の胸はじんわりと温かくなった。

 早く大人になってチャ子に意見してやろうという、花子のはち切れそうな野望は小さくしぼんでいった。

 以前、祖父の隆二が息子である政夫に、こっぴどく叱られていたことがあった。

 それを見ていた花子は隆二に聞いた事があった。

 「じいちゃん、なんで子供に叱られてぇんの?じいちゃんはお父ちゃんのお父ちゃんなんやから、子供からし叱られるんはおかしない?」

 すると、隆二は笑いながら花子に言った。

 「あのなぁ花子、よう聞きや。人間は子供から大人になって最後は子供に戻るんやぁ。せぇやからなぁ、花子からしたら、じいちゃんは大人に見えているかもしれへんけど、実は、もう子供に戻っているのかもしれへんなぁ。子供みたいに我慢とか出来ん様になってきたし、今まで出来ていた事が、段々と苦手になってくる。せぇやから、じいちゃんの代わりに、一生懸命、働いてくれている花子のお父ちゃんの言う事を、ちゃんと聞かなあかんのや。せぇやけど、それは悪い事と違うでぇ。そうやって大人になっていくのやから。花子もいつか分かる時が来るわぁ」

 隆二は、そう言ってヤニだらけの歯を全開にして笑った。

 花子は驚いた。

 働き盛りの大人というものは、子供だけではなく、年老いた親までも背負い、日々、頑張っている事を知ったからだ。

 その時、花子は上から目線で花子を攻撃してくるチャ子への見方が少し変わった。それと同時に、花子は、チャ子がよく言う、あるセリフを思い出していた。

 以前、花子は叱られた後、オマケのようについてくるゲンコツに対して抗議をした事があった。

 「なんで、いつもゲンコツするねぇん!それって虐待やでぇ!DVやっ!」

 するとチャ子は不敵な笑みを浮かべながら、こう言った。

 「そこに、愛はあんねんで」

 花子は反撃できなかった。なぜなら、こんな不条理なセリフにかえす言葉が見つからなかったからだ。

 愛という言葉の裏側は、真っ黒だと恐ろしくなった。

 何もかも消してしまう色だからだ。

 そのとき花子は決意していた。

 自分が大人になった時、チャ子に倍返しで文句を言ってやろうと決意していたのだ。

 けれど、隆二の言葉は、花子の中の黒々としたものをスッと消し去った。

 自身の痛みばかりを優先して腹を立てていた花子が、ひょっとするとゲンコツするチャ子の手もまた同じように痛かったのではないだろうかと気づいたからだ。



 デパートの8階で、銀行名が大きく書かれた封筒から、指を舐めながらお札を取り出しているチャ子を見て花子は、隆二の言葉を思い出していた。

 きっとチャ子も、私という荷物を落とさないように必死で抱えてくれているのだろう。

 そう思った瞬間、チャ子への嫌悪感が少し無くなった気がした。

 買い物も終わり、花子達がエレベーターを、降りて行くと、4階の華やかなレストランが見えてきた。

 ガラスケースの中には、本物そっくりのサンプルが並んでいて、偽物と分かっていても花子の口の中は唾液が溢れ、腹の中の虫が鳴いた。すると、その鳴き声に反応したチャ子は後ろを振り返り、二人に言った。

 「オムライスでも食べてこぉかぁ」

 想定外のチャ子の言葉に、思わず恵子と花子は顔を見合わせた。

 そして、チャ子の気が変わらないように、唯、コクンとうなずいた。

 調子に乗って余計な事を言い、一度チャコの機嫌をそこねてしまったら、キラキラしたオムライスがインスタントラーメンに変わる事は明白だったからだ。

 チャコの心変わりの早さは、秋の空より早いと言う事を、二人は身を持って実感していた。

 賑わうレストランに入ると、可愛いエプロン姿のウェィトレスが三人を、席に案内してくれた。

 テーブルがいっぱいになるくらいの大きなメニュー表を、花子と恵子はドキドキしなが見入った。けれど、それをチャコは容赦なくパタンと閉め、ウェィトレスを呼んだ。

 チャコは、オーダーを取りに来たウェィトレスに「オムライス3つお願いします」と言った後、メニュー表をさっさと返し、涼しい顔で水を一口飲む姿を見て、花子は呆気にとられた。

 すると、驚くことに普段はおとなしい恵子が珍しくチャコに抗弁したのだ。

 「お母ちゃん!なんで勝手に決めんの!?」

 周りの客に聞こえるか聞こえないくらいの、丁度良い音量だった。

 するとチャ子は泰然たる態度で返してきた。

 「あんたら、お母ちゃんの言うたこと聞いてなかったんか?お母ちゃんはレストランに入る前にオムライスでも食べてこぉか?って、言うたんやで。そしたらあんたらも「うん」ってうなずいたわなぁ?オムライスって事で、三人一致したんとちゃいますか?そもそも、メニューを開くあんたらがおかしいわ。オムライスって決まってんのに。お母ちゃんは間違ってますかぁ?」

 豆をまくように喋り倒したチャ子に、恵子は返す言葉も見つからない様子で悔しそうに下を向いた。

 いつもの事とは言え、横暴なチャ子の態度に勇気を持って立ち向かった恵子を、花子は誇らしく見ていた。

 しかしながら、花子にはチャ子の権力をねじ伏せる力など微塵もない事も十分わかってはいた。けれど花子は、志半ばにして敗れた姉の仇を取るべく、チャ子にある提案をした。

 「お母ちゃん、じゃあ、オムライスの後に、クリームソーダを頼んでいい?オムライスだけとは、言うてないしなぁ!」

 花子の機転の効いたアドリブに快くした恵子は、希望に満ちた表情で顔を上げた。

 しかし、恵子の希望も虚しく、チャ子は再び二人に言った。

 「あかん!そんな事したら、お腹の中がびっくりしてまうわぁ。炭酸とご飯は一緒に入れたらあかんって、法律で決まってのやでぇ!知らんかったん?」

 完全にアウェイである。花子と恵子は心の中で白旗を上げていた。

 もはや、チャ子に太刀打ちできる者など、この世には存在しないことを悟った。

 しばらくしてウェィトレスが、手慣れた感じでオムライスを運んで来ると、三人は一言も喋らず黙々と食べ、デパートをあとにした。



 デパートから五分程歩いた先に、人で賑わっている商店街がある。そこで夕飯の食材を買おうと、チャ子は、二人を連れ、商店街の方向へと歩いて行った。

 すると、前方に緑の羽をつけた子供達が、募金活動をしている様子が見えた。

 高学年くらいの男子児童が、笑顔でチャ子に駆け寄ると、「恵まれない子供達に愛の手を!」そう言って、深々と頭を下げた。

 チャ子はカバンから財布を出し、男子児童の募金箱に百円玉を三個入れた。そのあと、チャ子は彼に、優しくこう言った。

 「僕は偉いなぁ、こんな暑い日やのに。頑張ってなぁ!」そう言うと、男子児童の頭を優しく撫で、再び商店街に向かって歩いて行った。

 花子は生まれて初めて目にしたチャ子の柔らかい部分に触れたような気がして嬉しかった。そして心の中で「なんや、ほんまはえぇ人やぁん」と、呟いた。

 しばらく歩くと、今度は、子供である花子から見ても怪しげな女性がチャ子に駆け寄って来た。

 女性は作り笑いと、マニュアル通りの台詞でチャ子に募金を乞うてきた。

 花子と恵子は嫌な予感に、お互い顔を見合わせた。

 二人の予感は的中した。

 チャ子は、男子児童に見せた笑顔とは真逆の顔で「募金をお願いします」と、その女性にむかって言い返したのだ。

 すると女性は鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしたが、再び作り笑いで言った。

 「恵まれない子供達の為に募金をお願いします」

 するとチャ子もまた、女性にに言い返した。

 「恵まれない私ら家族に募金をお願いします!」

 その女性も怯まずにチャ子のおうむ返しに、更なるおうむ返しで挑んできた。

 それを見ていた花子は、先日行われた町内卓球大会の激しいラリーを思い出した。

 そして、そのラリーが20分程続いた所で、なんと、募金女性が根を上げたのだ。

 してやった!という得意気な表情のチャ子を、一瞬でも良い人だと思ってしまった花子は失意に陥った。

 そして、花子はその募金女性が急に心配になり、振り返って見ると、彼女の顔に覇気がなくなっていた。おそらくこの世には、まだまだ自分の知らない恐ろしいものが沢山あることを彼女は了知したのだろう。

 そう感じた花子は彼女が気の毒でならなかった。子供の頃からチャコという個性の強い人間と寝食を共にしてきた花子は、心が折れても再生する力を自然と備え持っていた。

 それはまさに、クマムシに似ていた。クマムシは空気のない宇宙空間でも十日は生きられると言われるほど圧力に強い。NHKで放送されていたクマムシの特集を花子は自分と重ねながら見ていた。

 チャコに敗北した募金女性に、クマムシのように生きていって欲しいと願いながら花子は再び商店街の方へと歩いていった。

 途中、恵子がチャコに尋ねた。

 「お母ちゃん、なんで、子供の募金箱にお金は入れてんのに、お姉さんの募金箱には入れへんかったん?」

 花子は心の中で「姉ちゃん、えぇ質問やで!」と叫んでいた。

 そこは、花子も知っておきたい所だった。しかし、チャコの反応が面倒で聞くのをやめたのだ。

 すると、チャコは足を止めて二人に、こう言った。

 「大人になるとなぁ、本物と偽物が分かる様になんねぇん。あんたらも、大人になったら分かるようになるわぁ」

 「じゃあ、舌切り雀のお話のおばあさんは大人じゃなかったぁん?」そう花子が言うと、チャコは、こう答えた。

 「せやなぁ。でも、あのお婆さんの場合はちょっと違うなぁ」

 「どう違うのん?」今度は恵子が聞いた。

 「あのお婆さんの場合は大人の悪い所が出たんやなぁ。大人になるという事は、立派になる事ばっかりやない。人間には欲が108個もあって、大人になると、それを満たす為にずるい事も思いつくし、悪い事も考える様になんねぇん。それを煩悩と言いうねぇんけどなぁ。その煩悩を消す為には、自分で自分を正していかな、あかんねぇん。あんたらも、そのうち分かるようになるわぁ」

 チャコはそう言って、高笑いをした。

 「じゃあ、お母ちゃんにも煩悩あるのん?」

 今度は恵子が心の中で「花子、えぇで!そこは聞いとかなあかん!」と叫んでいた。

 するとチャコは、二人に言明した。

 「お母ちゃんは、とっくに越えてんねん。母親というのは、この世で一番強くて凄いのやでぇ。子供を命がけで産んで、命がけで育てているから、いっちゃん、凄い大人なんやで。言うたら、スーパー凄いねぇん。ほれ、お母ちゃん達が行くスーパーマーケットのスーパーは、そこからきとんのやでぇ。スーパーな、お母ちゃん達が行くからスーパーマーケットって言うねぇん。そして、そこにはなぁ、愛がぎょうさん詰まっとんねぇん」

 そう言い切ったチャ子は再び高笑いしながら商店街へと歩いて行った。 

 花子と恵子も、チャ子の後ろを追う様に小走りで付いて行った。

 その時、チャ子の背中を見て花子は思った。

 前を行く、この人は、もしかすると、愛の塊なのかもしれない。

 自分がまだ子供で、本物と偽物が分からないだけで、本当は凄く本物なのかもしれない。

 見えないけど、温かいもので充満しているのかもしれない。チャ子の背中をそんな思いで見ていた。

 そして、大人になった時、チャ子が本物か偽物かをちゃんと見極めたいと花子は思った。


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