逃げるが勝ち。と、いう選択もある。

世知辛いご時世。でも、世知辛さは今に始まった事じゃない。もしかして、辛さの強弱が違うだけで、地球が誕生して生物が存在するようになってから、「世知辛い」は始まっていたのかもしれない。人は人との関わりから逃れる事など出来ず、何となく折り合いをつけて生きていく。そこに居たいのなら我慢!選択肢など無かったのだ。けれど、今は選択という紐を沢山ぶら下げて、どれを引っ張っても良いのではないか。そう思う。ただし、人を傷つけずにだ。そんな事は出来るのか?私もそう思った時もある。
でも、あった。逃げたら良いのだ。
私の母親はそれは酷いものだった。
母親流の六法全書があって、それにふれると家庭内が獄門島になるのだ。
それと、母親には好物?があって、それをぶら下げられると180度人間が変わる。まるで、中国伝統芸の「変面」のようだった。
とにかく変わり映えが早いのだ。
その好物とは、学歴、地位、お金。その三つをぶら下げると、母親はディープインパクトを余裕で抜き去るだろう。そう思っていた。
子供の頃から私はそんな母親が苦手だったけれど、養って貰う為には我慢して暮らさなくてはならず、無い頭をどう捻っても、この独裁者から逃れる知恵は浮かばなかった。その上、母親の厄介な性格は伝染病のようなものだと思っていたからうつりたくはなかった。
私は昼夜問わず考えた。そこで思いついたのだ!
母親の母親。つまり婆ちゃんだ。婆ちゃんの暮らしている村は大変不便で、除雪車なし、ゴミ収集車なし、スーパーなしの三重苦村で、子供の頃から私は苦村(クソン)と呼んでいた。雪かきは勿論自力で、ゴミは川の側で燃やし、スーパーは3輪自転車で往復1時間かけて買い出しに行くものだから、酷暑に行こうものなら、天然パーマの婆ちゃんの髪の毛は行きはクルクル、帰りは汗でストレートヘアになっていた。
見かねた子供の私は75歳の婆ちゃんに言った。
「婆ちゃんも車の免許をとればえぇやん」
と。
すると、婆ちゃんはなんとも恐ろしい形相で私に言った。
「アカン!そんなもんとって、あの黒い四角い車にぶつけてみぃ〜、中からヤクザが出てきてケツの毛ぇ〜までむしり取られるで!」
そう言って眉を八の字にした。
どうやら婆ちゃんはクラウンはヤクザの乗り物だと思っていたらしい。
中3になった私は、その事を思い出し、その手があったやん!と、思わず五木ひろしばりに拳を強く握った。
そして母親から逃げる作戦を決行すべくタイミングをみはらって切り出した。

「あんなぁ〜、お母ちゃん、進路なんやけどぉ〜、あたし頭悪いやん、せやから、勉強より人の役にたった方がえぇんちゃうかなぁーと思うてな、婆ちゃん85歳やし、一緒に住んでお手伝いしながら近くの高校に行こう思うてんねん。お母ちゃんはどぉ思う〜?」

「あんた!アホはアホなりに色々考えたんやなぁ〜。せやけど、えぇと思うで!婆ちゃんも助かる思うわぁ!中々、アホなりに偉いで!」

よしゃ!
私の体内にファンファーレが鳴った。

それから、しばらくして婆ちゃんと住むようになり、田舎のこじんまりした高校に通った。
婆ちゃんと畑をしたり、暖かくて良い人達に囲まれて私は、自分の人生を豊かにしたくて、あの獄門島から飛び出して今がある。
人には優しく、自分を自分で愛でてやる。
それを出来るようになったのは、あの選択のお陰だ。
これからの人生は選択だらけだ。やっちまった!と、失敗する選択もあるだろう。
それでも自分を愛でる選択なら失敗しても良し!にしよう。
時に選択出来ずに迷った時は。

えんぴつを転がして決めてもえぇと思う。
人生の選択は、そのくらいで丁度えぇと思う。


#あの選択をしたから


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