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【名言2】誰もが最初にテニスに出会った時の気持ち…テニスを楽しむテニス…か(テニスの王子様)


▶「それ」自体を楽しむ


純粋に何かに没頭している時には、心の中に期待や不安、恐怖、自慢、優越感などの感情は生まれません。

過去の出来事について考えていたり、未来のことについて思いを馳せることもありません。ただただ、その瞬間を味わい、行動しています。心は澄みきって、とても穏やかな状態です。

このような心の態度は、その物事を初めてやるときなどによく見られます。(いわゆる初心です)

自分の実力に対する期待や不安、他人からどのように思われるかという心配、また「このようにしなければならない」という義務心や執着心が薄いからです。自分を縛りつける思考がないので、こころと体はおもいのままに自由に動きます。

しかし、いくらかその物事を続けていくと、期待や不安、心配などが自分の心の中を占領しはじめ、自分や他者を信じることが出来なくなったり、自己嫌悪の情を起こしたりすることがあります。

その結果、物事を純粋に楽しむことが出来なくなったり、自分が思うように体を動かせなくなったり、実力を発揮することが出来なくなったりするのです。

▶恐怖や義務はあなたが作り出したもの

恐怖や義務は幻想です。

あなたの周りで起こっていることはただの現象であり、その現象自体に意味はありません。

ただ、その現象に「良い」「悪い」「正しい」「誤りだ」「怖い」「不快だ」「そうするべきだ」というような意味付けをあなたがしているだけなのです。

意味付けの内容は人によって異なります。
車の運転が大好きな人がいる一方で、車に乗るのが嫌いな人がいます。
本を読むのが好きな人がいる一方で、本なんて読みたくないよ、という人もいます。
このフォームが正しい、という人もいれば、あのフォームが正しいという人もいます。
学業の成績を重視する人もいれば、成績なんて何の価値もないよ、という人もいます。

上記のような例から分かるように、人は現象を意味付けして、自分に都合のいいように物事を解釈します。つまり、あなたが感じている恐怖や義務、羞恥などは、いずれもあなた自身が作り出したものなのです。

▶自分がした意味付けに苦しめられていませんか?

意味付けは生活をしていくうえで必要なものだと思いますが、その意味付けが過剰な恐怖観念や強迫観念となり、自分自身の生活や行動を苦しくすることのないように、注意していきたいものです。それは、知らず知らずのうちに自分の首を自分で締める事と同じことです。

では、自分を苦しめる意味付けを取り払うには、どうすればよいのでしょうか。

▶「評価・判断をしない」ことの勧め

私がおすすめする方法は、「評価・判断をしない」というものです。評価や判断をしないという事は、それすなわち意味付けを行わない、という事になります。

ただ、やってみると分かると思いますがこれはあまり簡単ではありません。継続して実行することで、徐々に習慣として身についていくものでしょう。
以下に例を書いておくので、この要領でやってみてください!

<評価・判断をしない例>
スポーツで何かミスをした⇒後悔や反省をすることなく、ただミスをした事実だけを心に留める

テストで平均点より低い点を取った、または高い点を取った⇒その点数を取ったことをただ認識する

待ち合わせに遅刻した⇒遅れたことをただ認識する(もちろん、相手にはしっかりと謝りましょう)

▶「今、ここに集中する」 

上記のように「評価・判断をしない」ことによって、過去や未来について考えたり意味付けをすることが少なくなり、「今、ここ」に集中することが容易になります。

さて、ここで一度今回の名言のほうに戻りましょう。

誰もが最初にテニスに出会った時の気持ち…テニスを楽しむテニス

というのは、「自分を苦しめる意味付けが無い状態」「初心」「夢中」と言い換えることが出来るでしょう。

また、テニスの王子様(マンガ)では、以下のように説明されています。
天衣無縫というのは、主人公がたどり着いた最終奥義のようなものです。

テニスを始めた時日が暮れるのも忘れ夢中にやったろ
どんなにやられても楽しくてしょうが無かった
あん時は誰しも天衣無縫なんだよ
それが ー
部活やスクールに入って試合に勝たなきゃいけねぇ
勝つためにミスを恐れて安全なテニスを覚えやがる
いつしか どいつもこいつも あん時の心を忘れちまう
世界に行ってもほとんどの奴がそうだったからな ー


誰もが最初にテニスに出会った時の気持ち・・・・・・・・・
テニスを楽しむテニス・・・か

テニスの王子様(許斐剛 / 集英社)Genius 378 (378話)から引用

つまり天衣無縫とは、勝ち負けや周りの目に執着せず、今現在やっているテニスそのものを心から楽しむ態度のことなのです。

▶純粋な楽しさを思い出す

勝ち負けや他人からの評価等にとらわれず、今、ここに集中して物事を十二分に味わい、楽しむ。

そうすることによって得られる純粋な楽しさは、勝利や肩書き、名誉などによる快楽とは違った、根源的なよろこびです。生きている実感、自己の実力を存分に発揮するよろこびといえるでしょう。

また、勝利、肩書き、名誉などは時がたてばいずれは無くなるものであり、相対的です。それらに固執していれば、それらを失わないように心配するようになり、それらを失った時の失望はかなり大きなものになるでしょう。

しかし、純粋な楽しさは、勝利、肩書き、名誉を必要としません。勝敗や人からの評価は関係なく、ただそのときを楽しむだけでいいのです。

実力を発揮するための重要な一面は、この「純粋な楽しさ」を取り戻すことです。結果や期待にとらわれず、現在を楽しむことで、今まで蓋をされていたあなたの潜在能力が輝き始めます。


これからも当チャンネルでは、あなたが「純粋な楽しさ」を思い出し、自分の実力を存分に発揮するためのヒントを発信していきます。



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