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「どんくさい」と言われ続けて

 ADHDだった。注意欠陥・多動性障害。すっかり大人になって、やっと名前がついた。CAARSという心理検査を受けたら、1項目以外のすべてが基準値を超えていて思わず笑ってしまった。それから少し、泣きたくなった。

 うっかり、そそっかしい、どんくさい、たくさん言われた。そのたび、誤魔化すようにヘラヘラ笑った。例えば忘れ物。メモを取れば、前日に準備をすればと、どれだけ言われたか。けれども、取ったメモは失くすし、準備したものを玄関に置いていく。どうしても頭から抜けてしまい、学生時代はほんとうに困った。

 人間とそっくりな別の"何か"として生まれてしまった。本気でそう思っていた。隣の人間を見ながら、同じ動きを真似する妖怪のイメージ。取り繕うのに必死だった。はやく人間になりたかった。

 無理をしていたことにも、気づかなかった。スタートラインに立つまでの努力が必要で、追いつく前にみんな走り出していて。それでも、少し後ろくらいには居たかった。置いて行かないでと思っていた。いつの間にかガタが来て、すっかり動けなくなった。

 学生の長期休みですら、ここまで何もしなかったことはない。適応症害と診断され、ただ眠って眠って眠っていた。最初は放り出した仕事への罪悪感に塗れていたけれど、少し経つと自分のことを顧みるようになった。ちいさなわたしは、ずっと褒められたかったし、認められたかったし、みんなと同じになりたかった。そんなことを思い出した。

 みんなと違う、ちょっと変。世界から弾かれているような感覚は、ADHDも関係していたのだろうと、名前がついてやっと実感できた。"どんくさい子"には理由があった。誰にも気づかれず、よく、がんばった。

 二十歳くらいに書いた日記が出てきた。大学時代は単位の管理や、アルバイトでの物覚えの悪さに絶望していた。やりたいことを全部やろうとしたせいで、おそらく許容量をとっくに超えていて、自己嫌悪の連続だった。大学に行かせてもらい、友達もいる、家族も仲良し、こんなに恵まれているのに生きづらいと、ひっそり泣いていた。

 いつかこんな自分とお別れしたいと言っていたけれど、このままでも良いかと、少しは受け入れられるようになったよ。過去のわたしへ。死ななくてよかったね、生きていてくれてありがとう。

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