人生の代償。そしてさびしさ

何年絵を描き続けているのか。
この途方も無い思考は、いったいどこからやってきたのか。
はじまりは分からなくとも、気づいたらこうなって、こうやって生きるしか無くなってしまったのだから、仕方ないだろう。

絵を描き始めたとき、私は夢中だった。
それしか興味が無かった。
なんの不安も感じず、このままずっと変わらないのだろうと思っていた。

しかし今はどうだろう。
大学生になって、いろんな事を知った。
知らなくていい事は、なるべく知らずに生きてきたつもりだ。

不安や恐怖。ただ一本の道を歩くことに動じた私は、いろんな道を歩み始めた。結果として、それはとても良い事だった。
しかし複数の道を歩いたとして、心に残るのは
どこか箕臼な人間関係の浅はかさだった。

このことについて、今日は語りたい。

人間を信用できない。ひとことで言えばそうだ。
ある特定の一人や二人。親をのぞいて。

全ての問題は人間関係にある。
これを唱えた人はなんと天才な事か。その通りだ。
人は他者を知り自分を知る。地球上に一人しかいなければ、私はこれを書いていない。

新しい機会を求めて、私は様々な場所にとびこんだ。
しかし私はどうしても「浅い関係」で終わらせたくなってしまう。
相手は自分とは違うということが、相手の一言や身振りでわかってしまう。
自分勝手な考えが、自分を苦しめ、世界にフィルターをかけているのはどこか知っている。
それでも、私は、人との接し方がまったく分からない。

いいや。人と話すのは好きだ。
そこから、その人を好きになる。
ある特定の他者を覗き、もっと知りたいと思う。そういう機会を面倒に感じる。

私にとって、他者は作品であり、自分を知る存在でしかない。
自分の頭の中に世界がある私には、鏡のようなものなのだ。
どこか自己防衛のように聞こえるか。それでもいい。

それでも、その深い関係を求めたり、羨ましく思うのは、なぜ。
そのひとたちと居ても、かなしいかな。心は埋まらない。

多くの代償を支払って、将来の糧にするか。
不安を耐え、今を生きるか。

私にとっては、後者しか生きる道が無い。

人は寂しさを忘れることは出来ない。
寂しさを、糧にして、生きよう。


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