"フリーランス"になった私の夢ってなんだ。
いつからだろう、自分の夢を人に語ることが嫌になったのは。
いつからだろう、自分の夢がよく分からなくなったのは。
・・・そもそも、夢とか持ってる必要ある?と、私は思っている。
だって、ダイエット然り「日々の積み重ねが将来の自分を作るんだから、"今自分がしてること"それがつまり将来なりたい像でしょ?」なんて、思ってしまうから。
私は、ダーツが上手になりたいからダーツ教室に通っているし、スタイル維持したいから毎日欠かさず筋トレとストレッチをしている。
会社に所属しない生き方をしたかったから、脱サラだってした。
今はフリーランスとして生きていくために奮闘中。
・・・もうそれで十分じゃないですか!あと何を望むんですか!!と思わず躍起になる。
それに、誰しもが目標を達成するために生きてるわけでもないし、
「今を楽しく生きる」それも立派な回答じゃないんだろうか。
けど、それが世間ではまかり通らないことを知っているから将来像を聞かれると、勝手に壮大な夢を語らなくてはならない気がして萎縮してしまう。
そんなことを思っていると、ふとした会話の中でパートナーに「これから稼げる見込みあるの?」と質問された。
これが地雷を踏まれるということなのか。
カーン
私の中でゴングの音が鳴り響く。
「経営者とかフリーランスとか、同じ土俵に立ってる人とならいくらでも仕事について語りたい。でも、仕事をくれるわけでもない、会社に守られてる会社員、つまりリングに上ってもいない高みの見物してる奴に自分の将来のことなんて語りたくない!」
と、私の拗れたプライドとコンプレックスが大爆発。
なんで会社員とやらは将来像なんて聞かれもしないのに、ちょっと会社員という順当レールから外れただけで、踏み込んだ質問されなきゃいけないのか。
彼は「応援してるし、非難するつもりで質問したわけではない」と言ってくれたのだが、いかんせん過去に人から否定されることが多すぎた。
上海に現地採用として転職した時も、今回脱サラした時も、たくさん否定されてきたから、少しでもその空気を察するとバリアを張るようになってしまったのかもしれない。
もちろん応援してくれる人もいるけど、経済的に余裕がないこと、高齢になった両親を安心させてあげられてないことは、今の私にとって最大の痛点だ。
「これから稼げる見込みあるの?」という質問は、まさにその痛点を抉る質問だったんだろう。
それらを今の働き方で解消することが私の夢だと胸を張って言えたらいいのに。("夢"にしては現実的すぎるが)
結局聞かれた質問に回答できないでいると、彼が「猜猜店员的年龄,猜错了就要付钱(店員さんの年齢を推測して、外した方がお金だそう)」とあえて中国語で話しかけてきた。
そうだ、私達はフリーランスと会社員という戦い方は違えど、同じ中国界隈で奮闘する仲間なのだ。
そう気付かされ、笑顔で口論のリングから降りた。
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