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五日市憲法を見つけた男、色川大吉氏(1)全5回

 
 歴史家、色川大吉氏が9月7日に亡くなった。
 氏の訃報記事は地方紙にも載っていて、4大紙ではかなり大きく紙面を割いていた。
 彼は東京経済大学の名誉教授として知られているが、実際に授業を受けた者からすると、そんな重々しい肩書きではなく「東経大の名物教授」と言われた方がしっくりくる。リベラルな位置づけをされた人物だが、穏やかな表情と口調が印象的な、一見すると虫も殺さぬやさしいおじさんという感じだった。
 
 ぼくは単位を取っていなかったのだが、面白い授業だったので、よく潜り込んで受講していた。
 ある日の授業は「大河ドラマの問題点」。簿記や経済学史などよりはるかに面白い。簿記は右と左が合わないし(自分の実力の問題だが)、唯物史観などピンとこない。これは天ぷら学生になる一手だった。もっとも、大学に在籍してはいるが。
 
 名物教授の講義なので、大講堂だがけっこうな人数が入っている。しかし、それほど騒がしくない。講義が面白いから私語が少ないのだ。
 
 講義のところどころで、「ま、私のようなテロリストの言うことなど全面的に聞いてはダメですよ」と注意事項を入れる色川先生。そんな、自分をテロリスト呼ばわりする教授の授業は、口調は穏やかなものの辛らつだ。「大河ドラマの問題点」では、どういうふうに都合よく、時の権力者たちのことを美化して描いているかを語っていた。もうちょっと民衆からの視線が取り入れられなければ、という内容の講義だった記憶がある。権力を持っている連中の事大主義的描き方だと、伝えたかったのだろう。
 
 しかし、重苦しい内容に終始しないのが教授の授業だ。二世タレントの起用が多いなど、くだけた視線も入る。 
 
 色川ゼミを選択しなかったことを、これまで何度悔やんだか分からない。あの教授の史観、思考を味わうチャンスを、みすみす見逃したのだ。もったいなかった。
 ただ、ぼくは大学時代から本の虫(当時の流行り言葉で『活中』)だったので、文学ゼミを取るという選択肢以外考えられなかった。経済大学なのに、文学ゼミだったのだ。それによって、古井由吉、柴田翔、伊藤整など、おそらく手に取らなかったであろう作家を知ることとなったので、それはそれでいい選択だった。
 
 色川大吉教授とは、それだけの関係だった。たった数回、大講堂で講義を聞いたというだけの。しかし遥かのちに、教授と関係の深い出来事に遭遇する。
 
(2)へつづく
 
 
《画像は、五日市憲法が見つかった深澤家土蔵》

書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。