埋もれた将棋名作ルポ『泪橋のバラード』その7 (全7編)
埋もれた将棋名作ルポを紹介する記事の最終回。
(その6)から、だいぶ間が空いてしまった。最後は現地を訪れてから書こうと思って、遅くなってしまった。結局現地に行くことはできず、代わりに師匠へのインタビューをした。荒川区まで出向く手間は省けたが、一方的に、そして矢継ぎ早に話す師匠へのインタビューは、現地に赴く以上のたいへんさがあった。
(その6)で、最後の小タイトル「日曜日の朝」の半分を引用したが、後半はこう続く。
ここから浅草へかけて、ぞろぞろ歩く列が絶えない。浅草の場外馬券売場は、最近新築した。噴水に赤レンガ、ガラス張りの、ちょっとした御殿だ。ここへ、サンダルばき、作業ジャンパーが次々と吸い込まれていく。
山谷は、独身のおじさんおじいさんばかりで、若い男と女性はいない。はじめから独身の人もいれば、妻子があって、独身に戻った人もいるだろう。蒸発した人もいれば、誰もその行方すら気にかけない人もいるだろう。
日当を稼ぎ、その日の宿代、メシ代に充てる。こういうときの男の楽しみは、酒とささやかなギャンブル。将棋を楽しむ人は、かなりましな方なんだなぁ、と思った。
これで、このルポは終わる。
新築前の浅草場外は、薄汚れていた。ルポでは「ちょっとした御殿」と書いているが、この辺りに新築のウインズがそびえていると、そんな感じに映るだろう。本当に現在の競馬施設はきれいで、東京競馬場のメインスタンドなどディズニーランドのようだ。立ち食いそばを食べるのが恥ずかしくなってしまう。
湯川師匠は、このルポだけでなく本全部を使って、日陰の人たちを書きたかったという。
スター棋士などはメディアに採りあげられ、皆が目にするが、将棋にもライトの当たらない部分がある。そういったところに自分は興味があるし、また書くのに適していもいるだろうということだ。たしかに、湯川師匠の一種乾いた文体というか文癖(造語です)は、無名の、それも将棋だけでなく社会的にも無名の人を描くのに合っていると思う。
また、師匠の文才も、こういったルポの方が活きると思う。この全7回の記事では『泪橋のバラード』すべてを引用したが、師匠が言うには、脚色が多いという! もちろん実際に行って、そこで一晩過ごしたことや、指したり話したりしたこと。そして席主や料金、システムなどは実際のことは本当だが、会話や人物などは雰囲気を読み手に呑み込んでもらうために創作したという。この、言わばでっち上げ(あえて言う)があるからこそ、哀愁漂うルポとなっているのだ。こういった勝手な脚色は、表舞台の人たちを描くときには使えない。言ったこと、仕草、その時起ったことなど、事実に即して書かなければならない。
文才ある人は好き勝手書ける場を与えた方がいいという、ひとつの例だろう。
文士湯川博士の書き散らした物が埋もれてしまうのはもったいないので、今後も取り上げていきたいと思う。
書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。