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五日市憲法を見つけた男、色川大吉氏(2)全5回

 
 仮にその男を、OKさんとする。電話魔のところがあって、ショートメールでは返信が最も簡素な、「了解しました」ばかりだからだ。そのメールのあと、いつも電話が来る。
 
 OKさんに会ったのは偶然のことだったが、そのなかに必然も絡む。仕事場で会ったからだ。
 
 OKさんは、ぼくが当時いた仕事場に、あるときから頻繁に来るようになった。だれだろうと思っていたが、出はいりの激しい仕事場だったので、最初は特に気にならなかった。しかし入ってくるたびに、にこやかに、はきはきとあいさつしてくるので関心を持つようになった。
 
 そのうちOKさんのことが徐々に分かってきた。社員ではなく、取引相手でもないという。経営者の呑み仲間で、自身の空いている時間に、勝手に手伝いに来ているという。
 
 奇特な人もいるものだと思った。自分の持ち出しで、ガソリン代をかけて出掛けたり、事務機器を買ってきたりする。事務仕事で時間も割く。年齢はひとまわりくらい上で、生活は安定しているようだ。しかしこれほどまで無休で手伝うとは。
 
 奇特な人と言ったが、ぼくもそこの社員ではなく、仕事上のパートナーという位置づけだった。だから社員たちにとってみれば、ぼくも奇特な人だ。いや、ぼくは手伝ってはいても自腹を切ってはいなかったので、奇特ではなく奇異な人だろうか。
 
 大学時代のアルバイト先で、営業の達人がいた。飛び込み営業なのに、まるで既存の取引先かの如く、気さくな感じで入り込んで、そのまま相手と話してしまうのだ。
 「どうもぉ」と明るく入ってくるOKさんを見て、その大学時代の営業の達人を思い出した。OKさん、自然体で入ってくる。ぼくと話すようになった。そしてその話す時間がだんだんと長くなっていった。
 もっとも会社内には、得体の知れない厚かましいやつと、OKさんを疎んじる人間もいた。それが、人や仕事の文句しか言わないマイナス思考の社員だったので、ぼくに「誰なんだ? どういう関係なんだ?」と聞いてきたが、「自分で聞けば?」と突き放した。
 
 OKさんといろいろ話すようになり、一緒に飲みに行くようにもなった。どんな話からだったか忘れたが、大学が同じだと知った。まぁこれだけならときおりはあることだ。わりあい大学に近い地域で生活しているのだから。ただ、OKさんはOB会の幹事をしていて、今でも大学に深く関わっているという。そして、魅力的な話を聞いた。そのOB会で近く、「五日市憲法を巡る散策会」を行うというのだ。
 
 ぼくはOKさんに、ぜひ飛び込みで参加させてほしいと申し出た。
 OKさん、快く「OKです!」(年下にも言葉使いのとても丁寧な人なのだ)。それで参加できるようになった。
 
 OKさん、「ぼくが申し込むから、学籍番号を教えて」と言う。何十年後も経って、大学の学籍番号覚えてる人、います?
 今は電子化されているだろうから、名前で検索してくださいよとOKさんに言った。
「曠野すぐりで?」
「じゃなくて、本名で」 
「OKです」
 そして、検索してもらうから、だいたいどれくらいの年の入学かと言われた。
「うーん、そうですねぇ、ベルリンの壁が崩壊した頃かな」と言うと、OKさん、「えーと……」と考え込む。
 それで次に「近鉄バファローズの10.19があった頃かな」と言うと、「おーッ、1988年!」と即答した。
 
 その散策ツアーでは、色川大吉ゼミ第1期生で、五日市憲法を見つけたときの第一発見者である、新井勝紘氏が案内役をしてくれるという。五日市憲法に関する著作を何冊も出している、色川大吉氏の一番弟子ともいえる存在だ。
 ぼくは新井氏の著作をすでに読んでいたし、ちょうど荻上チキさんのラジオ名番組『Session22』で五日市憲法を採りあげていて、新井氏がゲストで出ていた放送を聴いていた。あの著者に会えるのか! と、その散策ツアーを心待ちにするようになった。
 
 
(3)につづく

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