柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第七話 祭り前夜の焦燥2
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第七話 祭り前夜の焦燥2
「実は俺、龍神さまを見たことがあるんです!」
「えっ!?」
それは和泉さんを? それとも、何か別の……?
そもそも、私は完全に和泉さんの話だと思っているけど、違っていたらちょっと恥ずかしいかもしれない。
「劇の中で龍神の社が三つあるって言いましたよね。ひとつはたちばな商店街に、残りのふたつはこの辺りを通っていたすずかり川の上流と下流にあったのですが、川を埋め立てる時に一緒に社も取り壊されてしまったようです……」
宇迦さんも、街の開発で川が埋め立てられたって言ってた。でも、まさか他にあったふたつの社まで取り壊されてた?
「俺はその上流の方にある社が無くなる前に一度行ったことがあって、その時に空を舞いあがっていく黒い龍を見たんです!」
和泉さんは自分を龍神だと言っているけれど、人以外の姿は見たことがない。ただ、劇の中で宙を漂っていた黒い龍と、和泉さんのさらさらとした黒髪が脳内で重なる。
「龍を見たのは、何年前くらい前の話なんですか?」
「え、十五年くらい前ですけど……もしかして、信じてくれるんですか!?」
勢いよく立ち上がった牛尾くんに手を握り締められる。ぶんぶんと手を上下に振られて、その勢いで身体が激しく揺すられた。
「この話をしても、煙を見間違えたんだとか、夢だとか言われるばっかりで、こんなにちゃんと話聞いてくれた人初めてです!」
「そっ、そう、なんっ、だ……!」
「ちょっと牛尾! ストップ!」
真昼くんが手を振り解いてくれた頃には、視界がぐらんぐらんと回っていた。
このエネルギーの違いはやはり歳によるものだろうか。それとも、元々の気質の違いだろうか。
牛尾くんの話はその後もマシンガンのように止まらず、あの日見た龍神の正体を調べているうちにこの劇の元になった龍神伝説を見つけたらしい。みすず、という名前もその伝説の中に出てくるのだとか。
「よかったら、また練習見に来てください!」
「ありがとう。次は差し入れ持ってくるね。えっと……たい焼きは好き?」
牛尾くんのこの勢いに慣れているのか、羽鳥くんも猪川さんも卯野さんもやれやれという顔で一緒に私を見送ってくれた。
「牛尾はさ、初めショックだったんだって」
この後バイトだから、と一緒に商店街に向かって歩いていた真昼くんがぽつりと零す。
「たちばな商店街に自分が見たかもしれないって龍神の神社があったのに、気付いた時にはそれがなくなってて。それで何か残さなきゃ、って今回の劇に辿り着いたんだって」
そんな話を聞きながら、和泉さんの社のことを思い浮かべていた。
結局言いそびれてしまったが、たい焼き屋の裏にまだちゃんと社が残っていることを伝えた方がよかったかもしれない。あれだけ興奮していた牛尾くんが社を前にした時、一体どんな反応をするのかは予想ができないけれど。
「……なくなってないかもしれないのにね」
「あぁ、そういえば店の裏にある社も龍神さまを祀ってるんだっけ?」
真昼くんは社の形を思い出すように、指先を宙でくるくると回した。
牛尾くんが見たという龍神と同じかは確証がないけれど、和泉さんの社はひっそりとまだたい焼き屋の裏に残っている。宇迦さんに言われるまで私も気付かなかったくらいだから、なくなったと思われてしまうのも、悲しいかな、しょうがないかもしれないけれど。
「祭りの日にでも教えてあげたら喜ぶんじゃない? 牛尾のことだから気絶しちゃうかも」
「ふふっ、そうだね。和泉さんにも……」
教えてあげれば、と言いかけて口を噤む。つい和泉さんの日常的な神アピールのせいで忘れそうになるが、あまり正体を周りに明かしたいわけでもないだろう。そもそも、信じてもらえるとも思えないけれど。
ちょうど店が見えてきたこともあってか、真昼くんはあ、と声をあげる。
「やばい、思ってたより時間ギリギリ! じゃあね、結貴さん! 今日はありがとう!」
言葉の続きを追求されずに済んだとほっとしながら、私もたい焼き屋の裏口から店へと入っていった。
店の扉を開けた瞬間、ちょうどソフトクリームをカップの中に巻いていた和泉さんが私に気付き、開口一番……
「おっせーわ!」
と外に響かない程度に怒号が飛ぶ。
「ごめんなさい……!」
「客待たせてるから、注文と会計!」
「分かりました!」
今日も暑いせいか、ソフトクリームがよく売れた。冷やしフルーツたい焼きも完売して、ドタバタとしているうちにあっという間に閉店時間がやってきたのだった。
「すみません、思ったより帰りが遅くなっちゃって……」
「そふとくりぃむはたい焼きほど慣れてねーんだよ、ったく」
「誠にご迷惑をおかけして……」
深々と謝りながら、未だ家主の帰ってこないアパートのリビングで和泉さんと遅めの夕食を取る。
夏はやはりそうめんが美味しい。つるつると食が進んで、めんつゆの味で舌とお腹に満足感が広がっていく。時折混ぜる薬味もまた風味を変えて手を休ませなかった。
目の前で同じようにそうめんを啜る和泉さんに、ふとあの劇で龍神がみすずさんを抱きかかえていた姿が脳裏に過る。
あれは、やはり和泉さんの話だったのだろうか。
そんな疑問をつい、確かめたくなってしまった。
「遅れたのはその、今度のたちばな夏祭りでやる出し物を見学させてもらってました」
「あぁ、毎年いろいろやってるやつな」
「真昼くんの友達が、龍神さまの伝説を劇にしたんですよ」
その言葉に、和泉さんはぴたりと手を止める。
一瞬、私を見たかと思うと、ふんと皮肉っぽく笑って再びそうめんをすすった。
「どうせ、ろくでもない伝説だろ」
「ろくでもない?」
「俺は負けた側だからな」
「負けた側って、雷神さまにってことですか? でも、みすずさんの話は……」
「みすずも出てくるのか!?」
その反応で、やはりあの話は和泉さんの話だと確信を得た気がした。みすずさんの名前を出してからは、興味津々という顔で話の続きを促す。
ざっとした劇の内容を和泉さんに伝えていくと、途中難しそうな顔を浮かべながら、うんうんと頷いていた。
「なるほど、そう伝わったのか」
「ものすごく含みのある言い方ですね。真実は違うとでも言いたげな」
「まぁ、違うな。まず、みすずは自分から生贄になるような殊勝な女じゃねーし」
「え?」
「あいつは確かにこの辺りの村の出だが、持ち前の霊力の強さっつーのかな。その才能を見込まれてしかるべき神社で修行を積んだ、とんでもねー巫女だ」
霊力、巫女……と慣れない単語の並びに混乱してしまう。確かに和泉さんや宇迦さんと出会って、そういうものへの理解は多少深めたつもりだったが、完璧な耐性がついたというわけでもない。
「巫女さんだから、和泉さんの生贄になったんですか……?」
「いーや、生贄のふりして俺を退治するつもりだったんだ。ご立派な式神まで連れてな」
「えぇ!? それって大分伝承と違いません!?」
「だから、伝承なんてそんなもんなんだよ」
「はぁ……」
語り手も千年以上前の話だと言っていた。それに和泉さんという存在がなければ、こんな伝承は何かの比喩や教訓として残っているものと片付けていただろう。
「え、じゃあ、恋人になったっていうのは?」
「それは……嘘じゃねーけど」
まるで恋バナをする女子高生のごとく、和泉さんは急に頬をぽっと火照らせる。
思いの外可愛らしい反応に目をぱちくりさせていると、私の視線から逃げるように和泉さんは腰を上げた。
「この話は終わりだ!」
「えーもうちょっとみすずさんとの話聞かせてくださいよ!」
「うるせぇ! 俺はもう風呂に入って寝る!」
「あ、待ってください! お風呂は先に入ります!」
和泉さんがお風呂に入ってしまうと、そのまま浴槽に水を溜めて寝てしまう。龍神という性質のせいか、水がある場所の方が落ち着くとのことだが、寝てしまうと朝まで絶対に浴槽から動こうとしない。
だから私が先に風呂に入らなければ、寝ている和泉さんの横で裸にならなければいけないのだ。
「どうせ寝てるし、俺は既婚者だからお前の裸なんか見ても気にしねーって」
「そういう問題じゃありません! っていうか、みすずさんと結婚までいったってことですか!?」
「うるせー! 行くならさっさと風呂行けよ!」
ひとまず食べた後の食器は流しに置いて、急いで風呂に行く支度を整える。脱衣所に駆け込む直前、和泉さんが呟いた。
「ま、どうせその伝承も忘れるんだろ……」
あまりにもか細かったその独り言は、私の耳に届くことなく六畳一間の部屋に溶けたまま姿をなくした。
「え、今何か言いました?」
「……ただの独り言だ」
振り返って聞き直すも、和泉さんはからっと笑うだけで言い直すことはなかったのだった。
たちばな祭りまであと一週間。商店街全体が活気づいて来た頃、その日も真昼くんたちの劇を見学させてもらうことになっていた。
差し入れに持っていった冷やしフルーツたい焼きをみんなで食べながら、ちらちらと時計と開かない教室の扉を見比べる。
「牛尾くん、どうしたんだろう……」
「いつもなら誰よりも早く来てるのにね」
猪川さんと卯野さんが心配そうに言葉を交わす。集合時間を過ぎても現れない牛尾くんに、ただただ全員が首を捻っていた。
「メッセージに既読はついてるんだけどな……電話してみるか」
羽鳥くんがスマホを操作していたその時、ガラガラッと教室の扉が開く。
「ごめん、遅れちゃって……!」
「牛尾が遅れるなんて珍しーじゃん」
真昼くんの声に、牛尾くんは困ったように笑う。その笑みに、妙な既視感があった。しかし、その既視感の正体を掴めないうちに、牛尾くんは一人ずつ何かの冊子を配り始める。
「え? これって、台本だろ? 俺たち、もう持ってるけど……」
「実は、練習中も伝承について調べてて……それで、ようやく納得できる説を見つけたんだ。だからそれを踏まえて、少しだけ劇の内容を変更させてほしい!」
「内容の変更!?」
羽鳥くんが目を丸くして叫んだ。卯野さんも恐る恐る渡された台本に目を通している。先にざっと内容を確認できたらしい猪川さんが、その台本を牛尾くんに叩きつけた。
「本番まであと一週間しかないんだよ!? それなのに、中盤からほぼ展開を変えるなんて無理だよ! しかも、一番演劇経験のない卯野ちゃんの台詞が大幅に変わってるし!」
「みすずさんの役、設定から変わってるよね。これ……」
呆然とする卯野さんから台本を借り、中身を検める。
以前まではみすずさんが自ら生贄となる決意を込めるシーンの台詞は、『私の巫女としての力を使えば、あの龍を退治することも可能でしょう』と書き変えられていた。
それまで一切出てこなかった『巫女』という単語。和泉さんから聞いた通りの話へと変更されていることに、ドクドクと心臓が妙な音を立てる。
「さすがに無茶じゃない?」
真昼くんが控えめに意見すると、演者の三人もこくこくと首を縦に振る。全員から訝し気な視線を浴びつつも、牛尾くんはけろりと笑ってみせた。
「大丈夫だよ。台詞は変わってるけど、全体的な立ち回りはほぼ変わらないし。何より、俺はみんなならできるって信じてるからさ」
ダメ押しとばかりに牛尾くんは唇で綺麗な弧を描く。すっと細められた黒い瞳に一瞬、ふわりと緋色の光が滲んだ気がした。
その瞬間、ぞわりと背筋を冷たいものが滑り落ちる。見た目は確かに牛尾くんだけれども、纏う雰囲気や仕草はまるで他人に見えた。そして私は多分、その“他人”が誰なのかを知っている。
「なんで……」
続けて名前を呼びかけたその時、周りの空気が変わっていることに気付いた。それまで内容の変更に渋っていた演者の三人が、ふっと明るい表情を浮かべたのだ。
「確かに、台詞だけなら何とかなるかもな!」
「うん、私たちならできるかも!」
「あと一週間、特訓だー!」
まさに、狐につままれたような気分だった。急な心変わりに驚いていると、羽鳥くんは私と同じく呆然としている真昼くんの手をがっしりと握る。
「真昼にも迷惑かけると思うけど、もう少しだけ頼むよ!」
「あ、う、うん……」
半ば気圧されるように真昼くんが頷き返す。その返事にまた三人は不自然なほどにテンションを高め、その日の練習は異様な熱気と共に進んでいくのだった。
牛尾くんのリーダーシップもあってか、心配していたよりも練習は順調に進んだ。基本的に語り部が物語の進行を担っている、という部分もあってか、演者への負担は少ないのかもしれない。
物語で一番大きく変わったのは、雷神の登場の仕方だ。
以前は、みすずさんが死んだ悲しみのあまり暴れ始めた龍神を止めるために雷神がやってきていたが、変更後はみすずさんがまだ生きている頃に雷神はやってくる。
「『我がものとなるはずだったその身を、どこぞの妖まがいの龍に許すとは、愚かな娘よ』」
みすずさんは、元々雷神を祀る神社で巫女としての修行をしていたらしい。そんな彼女が龍神と恋に落ちたことが許せない雷神は、嫉妬から矛を彼女へと振り上げたのだった。
「『やめろ!』」
龍神がみすずさんを庇うように矛の前に躍り出る。
しかし、そんな龍神を逃がすようにみすずさんが彼を突きとばし、矛は標的を違わず彼女を貫いた。
崩れ落ちるみすずさんを龍神が慌てて抱き留める。
だが、もはや虫の息となった彼女を助ける手立てはなく、横暴だった龍神は彼女の前で初めて涙を流した。
「『どうして俺なんか助けた……あれくらいの矛、俺ならどうってことなかったのに』」
「『どうして……そんなの決まってる。勝手に身体が動いたんだもの。あなたのこと、大好きだったから』」
「『そんなの、俺も一緒だ。俺はお前のことが……』」
「『うん、だから……これからは私の代わりに、この村のこと、お願いね』」
ふふっと笑ったみすずさんの手が、ぽとりと力なく垂れた。みすずさんの白い手を握り、次の瞬間には龍神が元の龍の姿へと変貌する。
そこからの結末は同じだった。雷神に敗れ、龍神は三つの石となって地上に落ちる。
ただ少し違ったのは、切り裂かれた時に飛び散った龍神の血は村の恵みの雨となり、降り注いだ雨は川を生み出した。その川はみすずさんの名前にあやかり、村の人たちからすずかり川と名付けられたのだと。
この龍神の話が和泉さんの話ではないかと思い始めた時から、悲しみのまま村を再び荒らした龍神の行動には違和感があった。昔の和泉さんのことは知らないけれど、あの和泉さんが、みすずさんのおかげで愛を知った彼が、そんな風に暴れるものだろうかと疑問だったのだ。
今は社が建物の裏に埋め込まれてしまったけれど、それでも祟りを恐れるというよりは、守り神としてそこにいてほしいという誰かの願いを感じた。
どんな惨めな姿になっても生き延びてやる、とたい焼き屋でバイトをする和泉さんは、みすずさんからの願いを受け取ってこの地を見守りたい、という意思が根っこにあるのではないだろうか。
「前より、龍神の気持ちがしっくりきました……」
「でしょう? これが、より近い真実ですから」
牛尾くん”らしき”彼は得意げに私に言った。
今日の練習が終わり、教室に広げていた舞台セットを地域伝承研究部の部室に運びながら、どうにか牛尾くんと二人きりになるタイミングを窺っていた。
最初はバタバタと片付けのために動き回っていたが、最後の荷物を運び終えた時、四畳ほどの部室の中でようやく彼と一息つく瞬間が生まれたのだ。
むしろ、彼の方もこの瞬間を待っていたのかもしれない。荷物を置いてもすぐに部屋を出ようとせず、どこか困ったような笑みを私に向けた。
扉の向こうから誰かが来る気配もない。そこで改めて目の前の彼を見据える。
その時、静かに微笑みを浮かべて沈黙を貫く彼の髪の毛の先が、ちりっと火の粉を散らすように淡く光った気がした。
その瞬きに、どうしても脳裏に彼の姿が過ぎって、おずおずと口を開く。
「宇迦さん、なんですか……?」
続きは、11月20日(土)に公開予定です!
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Sugomori 2021年11月号
「暮らし」をテーマにさまざまなジャンルで活躍する書き手たちによる小説をお届けします。 毎週月曜・木曜に新作を公開予定です。
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