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柳田知雪『たい焼き屋のベテランバイトは神様です』第七話 祭り前夜の焦燥1

<前回までのあらすじ>
 入院した祖父の代わりにたい焼き屋の代理店長になった結貴。和泉の修行によりたい焼きも焼けるようになるも、季節は移ろい、暑さで売り上げは右肩下がり。
 代わりに売り出したパフェたい焼きは祖父に認められず、しかし、そこに込められた祖父母の思い出を知った結貴は、和泉と宇迦の協力を得て、新作メニュー・冷やしフルールたい焼きを売り出したのだった。
今までのお話はこちらから!
第一話 大丈夫だって言われたい 前編後編
第二話 我が家が一番? 前編後編
第三話 曲げない流儀
第四話 そこに楽しいはあるか
第五話 憧れのカタチ 前編後編
第六話 甘い思い出 前編後編

第七話 祭り前夜の焦燥1

 足の骨折が原因で入院していた祖父であったが、なんと追加入院が決まってしまった。その理由は……──
「今川さん、ダメじゃないですか! こっそり甘いもの食べちゃ」
「すみません、すみません……!」
 ぷんぷんと腰に手を当てて注意する看護師さんに頭を下げる。当の祖父はどこまで反省しているのかケラケラと笑っていた。
 看護師さんはベッド周りに祖父が隠していたお菓子を箱に詰め終わると、ふぅと溜息を漏らす。
「これは没収です」
「なんじゃとーー!! あぁ、たい焼きまで……!」
 私が開発した冷やしフルーツたい焼きも、無事にこちょうのメニューとして認めてもらえたらしい。せっかくだから食べてもらおうと思って持ってきたのだが、まさか甘い物が原因で入院の延長を告げられるとは思っていなかった。
「もう! 甘いものの食べ過ぎで血糖値爆上がりしたんでしょ! 反省して!」
 お菓子が詰まった箱に縋りつく祖父の手を引き剥がす。ふと箱の中を見れば、たい焼き以外のお菓子たちはどれも見慣れたパッケージだ。
 それもそのはず、自身が所属するヤムヤミーの商品ばかりだったのだ。
「こんなにたくさん、誰からお菓子もらってたの?」
「隣の佐久間さんからじゃよ」
 ちらりと隣のベッドを見遣れば、好々爺としたおじいさんが本を読んでいた。こちらの視線を感じると、小さく会釈をしてくる。
「すみません。孫が製菓会社に勤めているもので、お見舞いにお菓子をいっぱい持ってきてくれるのですが、私ひとりじゃ食べきれず。今川さんは甘いものもお好きだと以前伺ったので……」
 孫が製菓会社、それに苗字の“佐久間”さんって……
 期待の新人と呼ばれる同期の顔が過ぎる。最近は社宅にも帰らなくなったので顔を合わせていないが、あの佐久間くんのおじいさんだろうか。だとすれば、世間は狭い。
 ずっとたい焼き屋の業務でヤムヤミーのことは忘れていた。正確に言うとあまり考えないようにしていたのだが、私はまだヤムヤミーの社員で絶賛休職中の身だ。こんなところから副業に勤しんでいるなんて情報が会社に伝わるのはまずいかもしれない。それに、もらっていた休職期間もそろそろ期限が迫ってきている。
 ふいに訪れた現実に胃が重くなった。
「結貴さん」
 声をかけられ、はっとして顔を上げる。看護師さんは心配そうに顔を覗きこんでいた。
「大丈夫ですか? 顔色悪いですけど」
「あ、いえ、大丈夫です」
 自信は少しずつ取り戻してきた。休職に入ったばかりの頃に比べれば、顔を上げる時間も増えてきたように思う。
 それでも、会社への復帰を考えると身体は拒否反応を示すように、その場に蹲りたくなる。
「このお菓子たちですけど、結貴さん持って帰られます?」
「え、いいんですか?」
「もちろん。あ、でも今川さんに取られないようにしてくださいね」
 苦笑しながら箱の中を再び覗きこむ。一番上に摘まれた『チョスター』と可愛いロゴの入った小袋は、ヤムヤミーで長年愛される星型のクッキー記事の中にチョコクリームが入ったお菓子だ。
「あの、いつも祖父がお世話になっているので、いくつかいかがですか?」
「え! じゃあ遠慮なく~、うちの子供がチョスター好きなんです」
「ふふっ、私も子供の頃から好きです」
 お菓子たちは好きだ。その気持ちは今でも変わらない。
 でも、その裏側に戻るために、私はあと何を取り戻せばいいのだろう。


 お見舞いから商店街へと戻ってくる頃には日が傾き、オレンジ色に染まる道に長い影が伸びる。それでも、まだうだるような暑さでじめっと肌は汗ばんでいた。
 ふと視線を上に向ければ、街灯に連なるように赤い提灯が飾られている。表には『たちばな夏祭り』と書かれ、その裏には商店街を賑わす店名が記されていた。まだ装飾の途中なのか明かりが灯されている姿はまだ見たことがない。
「あ、あった」
 提灯の群れの中に『たい焼き屋 こちょう』の文字を見つける。以前、商店街の会長さんに祭りの話を聞き、開催費としていくらかカンパしたことを思い出した。
 お店がこうして商店街の一部になっていると実感できるのは、少し嬉しい。
「結貴さーん!」
 元気な声が聞こえてきて、次の瞬間には突然横から飛んできた真昼くんが目の前で急ブレーキをかける。疾風のように現れた彼に、目をぱちくりと瞬かせた。
「結貴さんも買い出し帰り?」
 同じくらいの身長の彼は、くりくりっと丸い瞳で真正面から私の顔を覗きこんでくる。色素の薄い瞳を夕日が照らして、瞳はオレンジの果実のような瑞々しさで輝いていた。
 そんな純粋潔白な顔をしている彼が住宅街の路地から飛び出してきたことにわずかな不安が過って、ぼそぼそと小声で尋ねる。
「まさか、また警察に追われてるわけじゃないよね?」
「あははっ! 違うよ、今日はただの買い出し帰り。祭りの季節になってくるとついウキウキしちゃってさ。時間が惜しくてショートカット、みたいな?」
 辺りを伺う私に真昼くんは笑って返す。
「時間も惜しい、って何かするの?」
「そう! 今年は友達が演芸舞台で出し物やるから手伝ってんの!」
 真昼くんは何やら道具が入っているらしいパンパンの袋を掲げてみせる。袋からはみ出した木材やらよく分からないものたちに、曖昧に頷き返した。
「たちばな夏祭りって演芸舞台とかあるんだ。結構、本格的だね」
「この辺学校も多いでしょ? 音楽とか演劇とか、近頃だとダンスとか学生の発表の場みたいなのも兼ねてるんだよね」
「へぇ~!」
 商店街の祭り、と聞いてもう少しこじんまりとしたものを想像していた。だが、もしかすると、とんでもない稼ぎ時かもしれない。若い子もたくさん来るなら、その子たちの興味を引くようなポップ作りも一つの手だ。もしくは祭り限定のメニューを作ってみてはどうだろう。来てくれた子たちの間で話題になれば、祭りの後もリピーターになる可能性もある。そしたら……
 と、未来の話を考えかけて我に返る。次の冬を迎える頃には、私の休職期間は終わっているのだ。そうすれば、この代理店長という任も解かれる。
「結貴さん、よかったら友達の練習見に来ない?」
「え?」
「もうだいぶ形になってるんだけどさ、本番前に一般の人の意見も聞きたいって話があって。一時間もあれば大学行って、観て、商店街に戻ってこれると思うんだけど!」
 時計を確認すると、和泉さんに伝えた帰宅時間まで余裕が少しありそうだった。多少遅れても、たい焼き屋にとって今は繁忙期ではないのでおそらく大丈夫だとも思うが……
「大した意見は言えないかもしれないけど、それでもいいなら……」
「よし、決定! 早速、出発!」
 真昼くんに腕を掴まれ、ぐいぐいと引っ張られる。急に住宅街へと入り込んだかと思うと、ジグザグと道を引っ張られ、気付いたら大学の門前へとやってきていた。
 橘樹大学芸術学部のキャンパスは、まだあちらこちらに学生たちが残っていた。サークル活動中なのか、友達とおしゃべりを楽しんでいるのか、とにかく和気藹々としている。
 学校という以前は日常だったものが、すでに自分の中で非日常へと変わっていることにふと思い至った。そうなると、感慨深く辺りを眺めてしまう。
 どこか緩くて、でも何かに熱中する青い勢いが詰まった空気感。だらりとあてもなく紡がれ続ける友人との会話。
 すべてが新鮮で、ここにいる自分の異物感に縮こまってしまう。だが、大学と言う雑多な空気感のせいか、私を気に留める人もいなかった。隣を堂々と歩く真昼くんがいるせいかもしれない。
 そんな彼に引っ付くようにして辿りついたのは、とある教室だった。どうやらここを稽古場として借りているようで、端に長机たちが寄せられている。巨大なホワイトボードの前は、何やら舞台のセットなのか、岩のようなオブジェたちが組まれていた。
「これも出し物に使う道具なの?」
「そうそう、この辺は俺も作るの手伝ったんだ」
「でも、誰もいないみたいだけど……」
 教室を見回しても私と真昼くんしかいない。真昼くんにステージ前の椅子を勧められ、並ぶように座ると何やら教室の扉の前でそわそわとした気配を感じる。
「自己紹介とかは後! まずは見てもらいましょう!」
「えっ、前情報とか何もなしに?」
「じゃ、お願いしまーす!」
 私の戸惑いを振り切るように真昼くんは扉の向こうへと声をかけた。同時にスマホで曲を流し始めると、その曲に合わせるように扉が開く。
 扉の隙間からは、空中を泳ぐように棒で操られた黒い龍が現れた。龍に怯えるように舞台端へと走りこんできた初老の男に扮した役者が、演説でも始めるように客席へと向かい合う。
「『千年以上前、この土地には龍神がおったそうな。その龍は水を司り、川を氾濫させては困る村人を見て笑う。そんな、どうしようもない乱暴者であった』」
 出し物というのはどうやら神話か何かを元にした演劇のようだ。龍の作りは凝っていて、演じる人たちも声が朗々と響いて聞き取りやすい。
 初老の彼は語り部なのか、彼の語りに合わせ黒子に操作される龍はぐるぐると宙で暴れる。ふらついて倒れた語り部に寄り添うように、ひとりの女性が現れた。
「『私が生贄となりましょう。さすれば、かの龍神も怒りを鎮めるはずです』」
「『待ちなさい、みすず!』」
 みすず?
 その名前は聞き覚えがあった。確か、以前和泉さんが倒れた時、熱に浮かされながら呟いた名前ではなかっただろうか。
 龍神と、みすず……偶然とは思えない組み合わせに、その黒い龍をじっと見つめてしまう。
 一瞬、自身の思考に耽っている間に物語は進んでしまっていた。龍は自分の元へ来たみすずさんに対し、生贄などいらないと突っぱねる。しかし、徐々にみすずさんの優しさに触れ、生贄ではなく友人として、やがて恋人として閉ざしていた心を許し始めた。
 彼女と寄り添うため、龍神は美しい装束を纏った人の形へと姿を変える。若い男の姿を取った彼からは、それまでの暴虐が鳴りを潜め、ふたりの間を穏やかな時間が流れていく……
 ただ、それも一瞬のこと。
 人と神の寿命はあまりにも違いすぎた。
「『こんな気持ちだけ俺に遺して逝ってしまうのか! みすず!』」
 龍神役の鬼気迫った演技に、びりびりと肌が震えた。力なく布団に横たわるみすずさんの慈愛に満ちた表情と、そんな彼女に向ける龍神の切なげな表情に鼻の奥がツンと染みる。
「『私は十分、あなたに愛してもらえた。だから次は、私の大好きだった村を守ってあげて』」
「『みすず……俺にはお前だけだ、村なんて関係ない……!』」
「『お願い、ね……』」
 死に際のみすずさんの言葉はどこまで龍神に届いたのだろう。彼女の亡骸を抱えながら叫んだ彼の咆哮により、次の瞬間には龍の姿へと戻っていた。
 そのまま村へと飛び立っていった彼は、みすずさんを失った悲しみという激情をぶつけるように、川の水を巻き上げて暴れ始める。
 そこへ、地を震わすような雷鳴と共に雷神が舞い降り、龍神と対峙した。
「『愛するものを亡くした悲しみは理解しましょう。しかし、これ以上の狼藉は許しません!』」
 雷神が巨大な矛をひと振りすると、龍神の抵抗も空しく、身体は三つに裂けてしまう。断末魔の叫び声と共に、龍神は地へと落ちていった。
 再び平穏が戻った村で、語り部は静かに語り始める。
「『裂けた身体は巨大な石となり、その石をご神体として、龍神の怒りを鎮めようと三つの社が建てられました。そのひとつが、このたちばな商店街にある神社です』」
 この地にいた龍神と、みすずさん。そして以前、和泉さんが宇迦さんと冗談混じりに話していた、雷神さまと喧嘩して三つ裂きにされた話。
 どれも和泉さんにまつわることが、この劇の中で語られていた。
 これはきっと、和泉さんの話だ。
「『しかし、今では街の発展と共に取り壊されてなくなってしまい……』」
「なくなってない……!」
 咄嗟にそんな言葉と共に立ち上がっていた。
 和泉さんの社は無くなってなんかいない。
 そんな感情が先走って、思考よりも何よりも先に言葉が出てしまった。語り部の彼は虚を突かれたのかそのまま固まってしまう。止まってしまった舞台上では、役者さんたちが不安げな顔を私に向けていた。
「あ、ご、ごめんなさい……!」
「あはは! もう、結貴さん感情移入しすぎー! それだけ劇の完成度が高かったってことだよね?」
 フォローするかのように、真昼くんが大きな口を開けて笑う。そんな彼の明るさが伝わったのか、少しずつ役者さんたちがほっとしたように表情を緩めていった。
「ほ、本当にごめんなさい! 舞台の途中だったのに……」
「いえ、もうほぼラストだったので。それだけ真剣に見てもらえてたなんて、嬉しいです。むしろ、当日の方が屋外ですし、今みたいな突然の声援にも応えられるような心構えは必要かもしれませんね」
 みすずさん役の女の子が、劇中の彼女と同じか、それ以上におっとりと優しい声音で教えてくれる。彼女につられるように役者さんたちがうんうん、と頷き合って舞台から降りてきた。
 そんな彼らと私の間に真昼くんが割って入る。
「こちらは、たちばな商店街のたい焼き屋で働いてる結貴さん! で、今演じてたのは地域伝承研究部という何ともニッチなサークルの面々です!」
「ニッチは余計だろ」
 龍神役の子が苦笑しながら真昼くんの脇を小突く。改めて人数を確認すれば、真昼くんを含めても五人しかいない。
「こんな少ない人数でできてる劇とは思いませんでした、すごいですね」
「真昼がいろいろと人数少なくても派手に見せる工夫とか考えてくれて、あとは各個人でギリギリ頑張ってます。例えば、龍神役の羽鳥くんなんてこうすると……」
 みすずさん役の子がくすくすと笑いながら、龍神役の彼の衣装をぺらりと捲る。すると、一瞬でその姿は龍を棒で操っていた黒子へと姿を変えた。
「えっ、あの黒子と龍神って一人でやってたんですか!?」
「まぁ……部員がこの四人しかいないので。真昼にも頼み込んで裏方をやってもらってる状況でして」
 羽鳥くんと呼ばれた彼は、舞台上ではピンと伸ばしていた長身を小さく丸めて呟く。そんな彼の背を、隣から雷神役だった女の子がバシンッと叩いた。
「ほら、また姿勢悪くなってる! そういうの舞台でも出ちゃうんだから、しっかりしてよ、龍神さま」
「うぅ……猪川さん、スパルタ……」
「あれ、もしかして……猪川さんって雷神さまだけじゃなくて、途中のモブ役とか全部やってました?」
 私が尋ねると猪川さんはにこっと可愛らしい笑みを浮かべた。
「はい。雷神役は最後の大立ち回りだけなので、それ以外の場面ではアンサンブルとして出てます」
「すごい! 見てる時は雰囲気が違いすぎて同じ人だと思いませんでした!」
「猪川さんはこの中で唯一の演劇学科の学生なので、私たちもおんぶにだっこって感じで演技指導も全部、彼女にしてもらってます」
 申し訳なさそうに囁くみすずさん役の彼女は、やはり素から劇の中のみすずさんに似ていた。おっとりとしているけど、瞳に宿る光は芯の強さを感じさせる。
「卯野ちゃんも、最初に比べたらすごい上手くなったよ! まさにみすずさんって感じ!」
 みすずさん役の彼女は卯野さんというらしい。褒められて恥ずかし気に顔を俯ける彼女を微笑ましく見ていると、ずいっと語り部役の彼が私に詰め寄った。
「それで、どうでしょう? 俺たちの舞台は世に出せるものでしょうか?」
「えっ……」
「ちょっと、急に近いよ、牛尾!」
 真昼くんに押し留められ、牛尾くんは小さく咳払いした。まだ白髪のウィッグを被っているせいで目はよく見えないが、ものすごく真剣な眼差しを向けられている気がする。
 世に出していいか、なんて言い回しで聞かれると思わず、つい言葉に迷ってしまう。
「えっと……素人意見ですが、お話も分かりやすくて、迫力もあって面白かったと思います!」
「そ、そうですか……っ!」
 私の言葉を聞いた瞬間、牛尾くんはその場にしゃがみこむ。
「えっ、どうしたの!?」
「あぁ、気にしないでください。牛尾が企画から脚本まで全部やってるので、ようやく身内以外に褒められてほっとしたんですよ」
 羽鳥くんがポンポンと牛尾くんの肩を叩くと、ずびっと鼻をすする音まで聞こえてきてしまった。
 何かに向けて全力を傾けてきたからこその感情の昂り。純粋な心の欠片を見せつけられ、その熱さが胸に染みていく。
 祭りまでまだ時間があることを思うと、彼らはきっと今以上の舞台を商店街で見せてくれるだろう。それはもしや、和泉さんへの信仰と何か繋がるのだろうか。
「地域伝承研究部、と聞いたんですけど、どうしてこの龍神さまの話をしようと思ったんですか?」
 素朴な疑問を口にすると、ばっと牛尾くんが顔を上げる。
「実は俺、龍神さまを見たことがあるんです!」
「えっ!?」


続きは、11月18日(木)に公開予定です!

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