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誠樹ナオ 『保護犬を家族に迎えたり預かったりして暮らしています2』(後編)

前編はこちら

何かを調べるみたいにしつこく嗅ぎ回るシュクレにつられたのか、マティもうろうろして挙げ句の果てに電柱にマーキングしてしまった。
「あらら、マティは呑気だねえ」
ユウちゃんが苦笑してペットボトルのお水をかける。

昨日はさらっとしか見なかった、警察の看板が目に入った。2日前の夜、バイクが通行人の男性を轢いて逃げてしまったらしい。目撃情報が少ないため、なんでもいいから知っていることを連絡してほしいというような内容だった。

「ねえ、2日前って……ブランも事故にあった日だよね」
私が言うと、ユウちゃんがハッと気づいたように顔を上げた。
「お散歩教室の前の日に運ばれてきたって言ってたっけ。ワンちゃんが交通事故に遭うのって、そんなに多いのかなあ」
「おんなじ犯人だったりして」
「まさかあ、だって東町と南町だよ?」
「そうなんだけどさ……あれ」

シュクレがしきりと嗅ぎ回るせいで、ふと、お供え物に違和感を感じる。
「昨日あった紙パック、なくなってない?」
「あ、本当だ!」
今あるお花とビール缶の他に、昨日は小さな紙パックがあったのに。

「ねえ……ユウちゃん。あれって、子犬用のミルクだった気がするんだけど」
「子犬用のミルク?」
「シュクレがうちに来たばっかりの頃、あげたことがあるんだ。昨日見た時、実は似てるなーって思ってたの」
「だから、シュクレはこんなに反応してるの?」
昨日も今日も、シュクレはしきりに電柱の影をかぎ回って離れようとしない。

「でも、昨日あったお供物がなんで今日はなくなってるの。しかも、片っぽだけ」
「分かんないよ、そんなこと」
ユウちゃんと顔を見合わせるとますます辺りが暗くなって来る。無言で佇んでいると、どこからか声が飛んできた。

「面白い話ね」
「あ──」
昨日の女の人!
「今の話、詳しく聞かせてもらえない?」
カツカツと響くヒールの音に、シュクレがウーっと小さく唸り出した。

「美芙由、逃げよう」
シュクレに一度目をやって、ユウちゃんが私の耳元に口を寄せる。
「え?」
「絶対この人、交通事故と関係あるよ。このタイミングで現れるなんておかしいって」
「うん……」
「ひとまず逃げて、当麻先生に相談しよう」
「分かった」
「せーの」

女の人の呼びかけを無視して。私たちは別々の方向に走り出す。
「待ちなさい!」
声が追いかけてきたけど、私たちはそれぞれの犬を連れて無我夢中で走り出した。
でも、この時の私もユウちゃんも、まだ気がついていなかったんだ。本当はこの時、あの女の人以外にも私たちを別の影が追いかけていたことに──

──

次の日の放課後は、またまたユウちゃんと一緒にチラシを持って南町に出かけていた。昨日の今日で行くのはちょっと不安だったけど、ブランに飼い主さんがいるなら早く見つけてあげたい。それに、ユウちゃんが一緒だし。当麻先生に昨日の出来事と一緒に、南町に行くことを伝えるメッセージを入れて学校を出た。

ブランの事故があった場所を聞こうと交番を訪れると、私たちの話を聞いたおまわりさんが不思議そうに首を傾げる。
「3日前、南町周辺で交通事故?」
「このチラシの犬が轢かれちゃったみたいなんですけど、ご存知ないですか?」
「ここ1週間は交通事故の届出なんてないけどねえ」
「え?」
ユウちゃんと思わず顔を見合わせる。

「もちろん当事者同士で示談する場合もあるにはあるけど、それでも普通は警察になんの話も聞こえてこないってことはないと思うんだけどな」
どういうことだろう、意味が分からない。

ユウちゃんと顔を見合わせていると、交番の前を年配の女性が通りかかった。
「あら、その子。もうケガは良くなったの?」
私が連れているシュクレを見て、その女性が足を止める。
「この子を知ってるんですか?」
もしかしたら、この女性が知っているのはシュクレではなくブランかもしれない。直感的にそう思いながらも交番を出た。

「3日前に南町公園近くの歩道橋の下に捨てられてた子でしょ?」
「捨てられてた?」
話が全然見えなくて、私たちはますます顔を見合わせる。
「あら、違うの?」
「捨てられてたって、確かにこの写真の子ですか?」
「私はちらっとしか見てないけど……多分、この子だと思うわよ。あなたが連れてる子とは違うの?」

「似てるけど、別の子なんです」
あら、と女性がバツが悪そうに笑う。
「そうよねえ、あんなにケガしてたのに、この子はなんともないもんねえ」
「捨てられてたって、どういう状態だったんですか?」

女性が困ったように頬に手を当てた。
「目立たない茂みの中に置き去りにされてたらしいわよ」
「茂みの中に……」
それはブランを隠そうとした行動のように思える。

「近所の人が見つけて近くの動物病院に電話したんだけど、通報した人が治療費を払うなら治療を引き受けるって言われて困ってたの。それで私が保護犬のボランティアをしている知り合いがいたから、電話してあげたのよ」
その知人は、ちょっと遠いけど、愛育病院なら助けてくれるかもと伝えてくれたらしい。

「それで連絡先を聞いて電話してみたら、普段はレスキューっていうの?ワンちゃんを運搬しているってスタッフさんが迎えにきてくれたの」
「ああ……じゃ、やっぱり、それがブランだったんだと思います。その歩道橋の近くで交通事故があったんですか?」
「交通事故?」
さっきのお巡りさんと同じように、女性の方も首を傾げる。

「あのワンちゃんがケガしたのって、交通事故だったの?」
「違うんですか?」
「事故が起きたとは聞いてないわよ?私はただ、目立たない茂みの中にケガした犬が捨てられてるって聞いただけ」
やっぱり不可解な話に、私とユウちゃんは思わず顔を見合わせた。

──

当麻先生に送ったメッセージに『迎えに行くから南町で待っていろ』と返信が来ていたけど、レスキューセンターに電話したら他のトレーニングのお客さんにまだ捕まっているらしい。連絡が来たらその時の居場所を伝えればいいよねってことで、私とユウちゃんは東町に向けて歩き出していた。

「えーっと、どういうことなんだろう」
帰る道々、ユウちゃんがこんがらがった頭を整理するように言葉を吐き出していた。
「ブランは車に轢かれたはずなのに、南町で捨てられてて、その南町には事故がなくって──」
「ねえ、ユウちゃん」
しばらくシュクレを見てて、ふと、思いついたことがあった。

「やっぱりブランが事故にあったのって、東町の住宅街なんじゃない?」
「でも、南町で見つかったって……」
「だから、ケガしたブランを誰かが南町に運んだんだよ」
あの住宅街には、犬用のミルクが供えられていた。でも、今日になって持ち去った人がいる。ブランは南町で見つかった。でも、そこで交通事故は起きていない。

「あそこが現場だって知られたくなかった誰かが、ミルクを持ち去ったんじゃないかな」
「えええ、東町の住宅街で交通事故があったのなんて、看板が立つくらいなんだから誰がどう見たってわかるじゃん。なのに、ミルクを持ち去ってなんの意味があるんだよ?」

「だから、犬が轢かれたってことを隠したかったんじゃない?」
「いやいやいや」
ユウちゃんが首を横に振る。
「事故を隠したいなら分かるけど、犬が轢かれたことを隠してなんになるのよ?重い罪にもならないのにさ」
「うーん……それは分かんないけど」

話に夢中になりながら、シュクレに引っ張られるように歩き続ける。日が落ちかけて暗くなる中、私たちは人気のない路地に差しかかっていた。目の前に、ふと、さらに影が落ちたのに気付いて立ち止まる。
「その犬……生きてたのか」
「え?」
顔を上げると、目が血走った男の人が立ちはだかっていた。

「あんな遠くまで運んだはずなのに、なんでここにいるんだよ!?」
今にも掴みかかってこようとする男に、背筋にゾッと寒気走る。もしかしてこの人が──轢き逃げの犯人!?
「美芙由、逃げて!!」
ユウちゃんには目もくれず、男は真っ直ぐに私に向かってきた。

足がその場に張り付いたように動かない。喉もカラカラで、悲鳴ひとつ出そうになかった。シュクレが私を庇うように立ちはだかると、男に向かって甲高い吠え声を上げる。
「当麻先生……」
シュクレの声に我に帰って、私はなんとか言葉を絞り出した。
「当麻先生、助けて!!」
街頭の光に、きらりとナイフの刃が煌めいた。その時──

「ハスミ、そいつだ!捕まえろ!!」
「任せて!」
男が慌てて逃げようとするけど、別の通りの角から現れたハスミさんがすぐに追いついた。あっという間に男の二の腕に手をかけ、自分の倍くらいの体重がありそうな男を華麗に投げ飛ばす。
「大丈夫か!?」
呆気に取られて座り込む私の元に、当麻先生が駆けつけた。駆けつけた勢いのまま、私を抱きしめる。
「当麻先生……」
「それを渡しといてよかった」
シュクレのリードの手元で、当麻先生がくれた青い光がそっと揺れていた。

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