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【全編無料】衣南かのん『夜の給食やさん(前編)』

今月はゲスト作家として衣南かのんさんが登場!
おいしくてバランスの良い食卓が少し息苦しく感じる理緒。それには理由があって……

 ランチタイムを迎えた社内は、ほとんどの人間が出払ってしんと静まり返っている。集中するには、絶好のタイミング。落ち着くわ、とひとりごちて、佐々波理緒は一人、残されたデスクでぐっと思い切り伸びをした。
 バキバキ、とい鳴る肩やら背骨やらに小さくため息をつきながら、開きっぱなしのパソコン画面に向き直る。身体の凝りを感じても、まぁそんなものか、と流せるようになったのはいつからだったか。いつも通っている整体では、毎回呆れられる。もっと早く来てくださいよ、と言われるたびに、だってそんな時間もったいないんだもの、と心の中でこっそり思っているのは内緒だ。
 そもそも、凝っているのが通常状態、ということに慣れすぎて、整体に行ったあとのあのふわふわとした身体の軽さは時々落ち着かなかったりもする。
 時刻は十二時四十五分。そろそろ、ランチに行った同僚たちが戻り始めてくるかもしれない。少し面倒くさいなぁと思いながら、理緒は鞄の中から朝のうちに買っておいたコンビニ袋から、小さな箱を取り出した。
 ブロックタイプのバランス栄養食は、理緒のランチの定番だ。時々大豆を原料にしたものにしたり、グラノーラタイプのものにしたり、と気分によって変えているが、基本的にベースは変わらない。ぱっと開けて、さっと食べられるもの。それから、タンブラーに淹れてきたコーヒー。
 コーヒーにだけは少しこだわりがあるので、それだけは毎朝時間をかけている。最近購入した電動ミルは思った以上に便利で、毎回淹れる度に豆を挽いているのでタンブラーに入れたものでも香りが広がるのが嬉しい。この香りが、理緒にとってはランチタイムの癒やしなのだ。
「あー! 先輩、まーたそんなもの食べて! だからランチ行きましょうって言ったのに!」
 騒がしく入ってきたのは、理緒の二つ下の後輩にあたる福江蓮子だ。ふくちゃん、とみんなに呼ばれている彼女は、決して太っているわけではないけれど、名前の通りふくふくとしている。
 そうしてその見た目にそぐわず……と言ってしまうと失礼なのかもしれないけれど、食べることが大好きだった。
「栄養補助食品はあくまで補助なんですからね! 基本になる栄養とってなきゃ、意味ないんですよ」
「いやぁ……だってほら、片手で食べられるでしょ? この企画、今日中に仕上げちゃいたいし」
「またそんなこと言ってる……もう、うち別にブラックじゃないんですから、休憩はちゃんと休憩しましょうよ」
 理緒のデスクに置かれた空き箱を見て蓮子は眉をひそめる。少し童顔な可愛らしい見た目をしているので、そんな表情をしてもちっとも迫力はないのだけど、理緒は彼女のそんな顔があまり、得意ではなかった。
「今日のランチ、新しいお店開拓してみたんですけど、すっごい当たりだったんですよ。カフェっぽいんですけどそこそこボリュームもあって。……ほら、これ。おいしそうじゃないですか?」
 そう言いながら、蓮子がスマホの画面をこちらに向ける。そこにはいかにもSNSに映えそうな、おしゃれな、それでいて見るからに栄養バランスがとれた雰囲気のランチが映っていた。
 メインはハヤシライス。その傍らに豆のサラダが添えられている。スープは、コーンとキャベツだろうか。彩りもいい野菜スープだ。それから、小さな器に入ったフルーツポンチ。
 たしかにオシャレではあるけれど、それでいて女性だけでなく、男性も満足できそうなボリューム感とバランスだ。
「Lunch Roomってお店なんですけど、最近できたのかなー。ノーチェックだったの悔しいくらいですよ、ほんと! ランチは日替わりらしいんですけど、ちょっと面白くて……」
 やや興奮した様子の蓮子の言葉を遮るように、昼休憩の終了を告げるチャイムが鳴った。そのタイミングに、少し、ほっとする。
 真面目な蓮子はそこで話を止めて、今度一緒に行きましょうね、とだけ言って自分のデスクへと戻っていった。
 嵐が去ったような気分で、理緒も再びパソコンに向き直る。悪い子じゃないのはわかっているのだ。明るくて、気さくで、可愛らしくて。だけどどうしても、理緒は彼女が得意じゃなかった。
 自分より年下の彼女にこんなことを思うのもおかしいけれど……どことなく、実家の母を思い出すから、かもしれない。

 専業主婦だった理緒の母は、とにかく家族においしいごはんを作ること、それを食べさせること、に人生をかけているような人だった。
 ごはんよー、と呼ばれてリビングに行けば、いつもテーブルにあふれんばかりの料理が並んでいる。湯気を立てているあつあつの唐揚げに、一緒に揚げたのだろうフライドポテト。グリーンレタスとわかめにじゃことトマトを使ったサラダには当然のように自家製の和風ドレッシングがかかっていた。それから、きのこをたっぷり使った具だくさんの味噌汁。箸休めになるようなほうれん草とにんじんの胡麻和え……。
 元々栄養士だったという母の作る料理は、まるで給食のそれのように栄養バランスも整っていた。
「まごはやさしい、って言ってね。一日に摂るといい食品のことなんだけど……」
 そんなうんちくも何度も語られたので、理緒の中にもすっかり染み付いてしまっている。
 おいしくて、バランスがよくて、ボリュームもあって。そんな食事を、三つ上の兄も父も毎日喜んで食べていたけれど、理緒はいつも、どこか息苦しかった。
 なんだか食卓に、責められているような気持ちになってしまうのだ。たくさん食べなさい、おいしく食べなさい、バランスよく食べなさい……
 そんな料理を毎日食べていた弊害は、日常生活にも及んでいた。
 たとえば給食。小学校から中学校まで、平日は毎日食べなければいけないその味に、理緒は結局最後まで馴染めなかった。みんながおいしい、と言っていても、そう思えない。広い教室の中で、給食の時間はいつも、なんだか一人になってしいまったような気がしていた。お家のごはんよりおいしい、と笑う同級生たちの輪の中に、入っていけなくて。
 お弁当を持っていく高校生になると、今度はそのお弁当の鮮やかさで注目を浴びることになった。理緒のお弁当、いつもおいしそう。お母さんすごいね。そんな友達の言葉に感じたのも、嬉しさよりも息苦しさだった。つくづく、親不孝な娘だと思う。
 極めつけが大学時代。初めての一人暮らしで自炊をするようになってからも、理緒は母の言葉に苦しめられた。
 おいしくて、栄養バランスの整った食事をとらなくちゃ。まともに料理をしたことのない理緒にそれはあまりにも難しかったのに、何がなんでもしなくちゃ、と、そんな思い込みで毎日しんどい思いをしながら料理をする日々だった。母にレシピを聞けば、一のつもりが十くらいで答えが返ってくる。親心だ、とわかっていても、しんどかった。
 呪縛が解けたのは、社会人になってからだ。
 新卒で入社した会社は小さな広告代理店だったけれど毎日忙しく、手をかけた料理をしている暇なんてほとんどなかった。
 残業して帰って、まともな食事もしないで寝る。卵かけごはんとか、そんなものでも食べないよりはましだ、と思って食べることもあれば、本当にほとんど何も食べないこともあった。
 それでも、何とかなったのだ。
 あぁ、なぁんだ。これでもいいんだ。
 そう思った瞬間、長年ずっしりと理緒の中にあった重たいものが消えていったような気がした。
 相変わらず母の味に慣れているせいでコンビニ弁当や半端な外食は苦手だけど、それでもなんとかなっている。今の世の中、便利だから栄養を摂るだけならサプリでもなんでも方法はある。
 好きなときに、好きなように、好きなものを食べる。
 その自由を、理緒はようやく手に入れた。
 それはとても嬉しいことであったはずなのに……あんな風に食事を楽しんでいる蓮子のような子を見ると、なぜか、胸の中がほんのりと重たくなる。
 自分が、何か寂しい人生を生きているような気がしてしまって。

(……そろそろ帰ろうかな)
 週の半ばは、残業している人間も少ない。人気の少なくなった社内に一人になると、さすがに帰ろうかという気持ちになってくる。日中は静かでいいと思うけれど、遅い時間に一人、というのはちょっと落ち着かないのだ。
 帰り支度をして会社を出ると、ぐぅ、とお腹が鳴ったような気がした。
「……そっか、昼あれだけだった」
 普段なら途中で軽くお菓子をつまむこともあるのだけど、今日は会議や打ち合わせが続いてしまってそんな暇もなかった。
 かと言って、材料を買って帰って作る、なんて気力もわかない。
(どうしよっかなぁ……コンビニ……は、ちょっとなぁ……)
 めっきり冷え込んでしまったせいで、今日はなんだか、温かいものが食べたい気分だった。こういうとき蓮子だったら、ぱっとどこかのお店を思いつくのかもしれないけれど、生憎理緒にはそんな風に思いつく場所もない。
 どうしようかなぁと思いながらとりあえず駅に向かって歩いていると、小さな灯りが見えた。
 足元に、普段だったら見落としてしまいそうな小さな立て看板。そこには、手書き風のやわらかな文字で『Lunch Room』、と書かれていた。
(Lunch Roomって、たしか昼にふくちゃんが行ったっていう……)
 新しい店を開拓するのは、得意じゃない。そもそもが味の好みが激しいし、外食は味が濃くて食べた後に後悔することも多い。
 だけどなんとなく、その文字に惹かれた。
 よし、と決意して、目の前の扉を開く。
 中はそんなに広くなくて、席数もそれほど多くない。テーブルが五つに、カウンターが四席。そのカウンターの向こうで、おそらく理緒と同じくらいの女性が顔を上げた。
 ふわふわとした茶色い髪をお団子にまとめたその人は、理緒を見て驚いたように目を丸くする。
「あら……?」
「あの、すみません、看板を見て……」
「……やだっ! 看板、しまうの忘れちゃってた!?」
 その言葉に、嫌な予感がした。そう言えば、店内には理緒以外の客がいない。
「ごめんなさい、今日はもう閉店で……」
「あ……そうなんですね」
 時計を見れば、もう十時。チェーン店や居酒屋ならともかく、閉まっている店があってもおかしくない時間だ。
「すみません、それじゃまた……」
 食べられない、と思うと、途端に空腹は加速する。仕方ないから家に残っていたはずのカップラーメンでも食べようか、と考えながら背を向けると、ちょっと待って、と声がかかった。
「もしよかったら、食べていきません?」
「え、でも……」
「私のミスですから。それに、せっかく来てくれたお客さまをそのまま帰すのも残念だもの。今日の分の材料、もうあまりないから、私が食べようと思っていたまかないみたいなものになっちゃうんですけど……」
 いつもの理緒なら、当然断っていた。
 だけど今日はあまりにもお腹が空いていたし、それに……
 昼に妙なことを思い出したせいだろうか。なんとなく、人の作ったごはんが食べたかった。


(続)

後編は7月22日公開予定です。

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