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【全文無料】ふくだりょうこ「SDGsへの向き合い方」

文芸誌「Sugomori」9月では「SDGsへの向き合い方」について考えてました。今回の書き手はふくだりょうこさんです。

SDGsって最近よく聞きますけど、結局なんじゃらホイ、というのが最初の印象だった。

SDGs=Sustainable Development Goals

Sustainableなら聞いたことがあった。
「サスティナブル」という単語を初めて聞いたのは去年の秋だった。フィランドではサスティナブルに生活することが当たり前なんだよ、という話にシンプルに「へえ~」(反応が子ども)と思った覚えがある。
そのときに紹介された映画『365日のシンプルライフ』が印象的だった。

フィンランド人の若者が、失恋をきっかけに、自分の持ちモノすべてをリセットして行なった365日の“ 実験”生活。監督・脚本・主演を務めたペトリ・ルーッカイネンの実体験から生まれた「とにかくやってみよう!」のアイディアが、映画という形になった。
――『365日のシンプルライフ』公式サイトより

で、SDGsというのは「持続可能な開発目標」の略称。2015年9月に開かれたサミットで決められた国際社会共通の目標で、具体的には「17の目標」と「169の具体目標」があるんだそうだ(このあたり、お恥ずかしながらうっすらとしか知らなかった)。
「貧困をなくそう」「飢餓をゼロに」「つくる責任つかう責任」「海の豊かさを守ろう」etc.
確かにこの17の目標が達成できたら世界は住みやすくなるだろうなあ、と思う。
「ジェンダー平等を実現しよう」とか、「人や国の不平等をなくそう」とか、ひとりひとりが心がけたらすぐに実現できるものなんじゃないか? と考えるけど、人によって平等の意識は違う。小さなコミュニティでも不平等はあるし、無意識にうちに作ってしまっている。「差別はしないけど区別はする」という人にずっと不満を持っていたけれど、「区別をしたあとにどうするの?」ともっと積極的に聞いていくべきだったのかもしれない、と反省する。

もし、世界に自分ひとりしかいなくて、便利なものは何もなくて、これから少しずつ、生活を組み立てていく権利をもらえたとしたらどうするだろう。死んでしまうという手もあるのだけれど、誰かと出会って、何かを作っていく権利があるのだとしたら。
初めて会った自分以外の人とは丁寧に付き合おうとするだろうし、初めて手に入れた道具は大切に使おうとするんじゃないか。壊れたら修復しようと努力をするんじゃないか。でも、それは自分をすり減らすためじゃなくて、自分に優しくするための行動なんじゃないか、とも思ったり。

こういうときに人に優しく、自分に優しく、思いやりを忘れずに、というところに帰結してしまう自分の単純な思考回路にがっかりする。けれど、やっぱり自分にできる最初の一歩はそんな小さなものじゃないかな。

宝物は、ひとり占めしたら結局は幸せになれないのと一緒なのかもしれない。

※参考サイト

ふくだりょうこさんの作品はコチラから▽


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