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【小説】誠樹ナオ「第一王女は婚活で真実の愛を見つけたい」第5話

2回目の公子とのお見合いは、途中で私が我慢しきれなくなって、アスランのアドバイスや侍女たちの努力を裏切る結果となってしまった。
怒られるのを覚悟して面会中に起きたことを洗いざらい話すと、今までになくアスランの表情が柔らかくなる。
「まだ2回目なのに、よく頑張りましたね」
「え……?」
よく頑張った……って、今そう言ったの?

ポカンとしていると、テレーズが椅子をすすめてアスランが正面に席を取る。
「私のアドバイスを素直に聞いてくださったんですね。こんなにすぐに実践に移せるなんて、なかなかできることではありません」
「で、でも……」
私は自分の身形に目を落とした。
「結局、こんな無理なこと……私できないわよ。こういう風じゃないと男の人に好きになってもらえないなら、私なんて根本的にダメじゃない」
「そんなことはありません」

その声の響きには、何の迷いも揺れもない。
「何も、自分を押し殺して型にはめろと言っているわけではないですよ。第一王女として恥じないように自分を見せてきたこと、ましてや実際に政務を担ってきたのは立派なことです」
「アスラン……」
「レティシア様には、レティシア様のいいところがたくさんあります。ただ、これまで一人で頑張りすぎて、人への甘え方がわからなくなっているのでは」
甘える……なんてことは、これまでの私の人生の中で考えたことがない。

件の公子に言われたことを思い出す。
「守ってあげる」と言われて殊更に腹が立ったのは、これまでの私の頑張りを否定されたからなのかもしれない。
「相手の方にも、これまで頑張ってこられた人生があるんです。少しだけ心を開いて……相手を受け入れたり、理解し合ったりするのは素敵なことだと思いませんか?」
「相手を受け入れて、理解し合う……」

「いつものドレスや化粧だってお似合いです。ただ、初対面だと少し攻撃的に見えますよね」
「よく言われるわ」
「ドレスのラインだけ生かして、今日のような柔らかい色味にするだけでも、印象はずいぶん変わると思います」
そういえばいつも自分がしたいスタイルを貫くだけで、周囲にどんな印象を与えるか、その場に合っているかを考えなかったのは、反省するところではあった。テレーズの結婚式の時のように。

「レティシア様らしく、初対面の方に威圧感がないように心がければいいだけですよ。それなら、居心地悪くはないでしょう?」
「うん……」
アスランの一つ一つの言葉が、ひび割れていた私の心に薬のように沁みていった。

この人となら、もうちょっと頑張れるかも……

ちょっと褒められたくらいで現金に立ち直る自分が、なんだか急に恥ずかしくなる。照れくささをごまかすように、私はそさくさと立ち上がった。
「じゃあ、次の紹介もよろしくね。今日は疲れたし、もう主城に戻るわ!」
「あ、レティシア様」
勢い良く振り返ると、アスランにぐいっと腕を引かれる。
にわかに近くなる2人の距離に、一気に鼓動が速くなった。
「何…?」
「離宮の門扉で今少しお待ち下さい」
「え……?」
「すぐに行きますから。……では、後ほど」
言うが早いが、アスランは部屋を出て行ってしまう。
待っていて……って、なんで?

──

わけがわからないまま、アプローチを通って離宮の入り口へ出る。
待っていろと言われたからには少しかかるのだろうと、のんびり周囲の植栽を見回しながら歩いていると、遠目に庭師が丁寧に手入れをしてくれているのが見えた。
アストゥリア王国とは少し雰囲気の違う異国風の設えは、お母様の母国を模しているせいか私にとっても心安らぐものだった。もっとも、私は実際に行ったことはないのだけれど。

お母様は、かつては領土争いで頻繁に戦が起きていたという隣国トゥワイルの出身だ。お父様の地道な外交交渉で両国の関係を改善した証として、アウストゥリアの正妃となった。
とは言っても、元は敵国。
カルロ王とソフィア妃は政略結婚そのもので、仲の悪さを公然と見せることはなかったものの、仮面夫婦だと一部では有名だったという。

お母様が亡くなってあまり訪れる人もいない離宮を、お父様は相変わらずきちんと維持しているらしい。
「何よ……だったら生きてる間に、もう少し仲良くしてればよかったのに」
離宮に来ると、懐かしいような切ないような複雑な気分になる。

感傷に浸りながらそぞろ歩いていると、遠くから馬の蹄の音が近づいてくる。
「え、馬?」
アプローチを進んで門扉に出ると、夕陽の中に影が浮かび上がり、見る見る大きくなって私の前に止まった。艶々とした漆黒の毛並みを操っているのはアスランだ。
「どうぞ、乗って下さい。主城までお送りします」
馬から降りると、アスランは鞍と鎧の位置を整えている。
「馬で行くほど離れていないわよ?」
「歩けばそこそこありますよ。お疲れなんでしょう?……よろしければ」
それでもその手を取るのを躊躇っていると、アスランは少し悲しそうに目を伏せた。
「もちろん、私の馬など乗りたくないと言うのであれば……」
「そんなことはないわよ!」
反射的に否定すると、アスランはククッとおかしそうに喉を鳴らした。

はっ、しまった──別にそんな慌てて否定することはなかったのに。

「では、どうぞ」
それ以上は強いて断ることもできなくて、いつの間にか馬上に引き上げられていた。
「何なのよ、もう、余計なお世話なんだから……」
続けてアスランが私の背後にひらりと乗り込み、手綱を取るとゆっくり黒毛の馬を歩かせる。バツが悪くて口の中でモゴモゴとつぶやくと、アスランは耳元で呟いた。
「余計なお世話とは、ご挨拶ですね」
背中越しに、大して気を悪くした様子もない声が聞こえてくる。

「レティシア様、靴擦れしているでしょう?」
思いもかけない指摘に、びっくりして振り返った。
「気づいていたの?」
アスランの前を歩いたのは、ほんの一瞬なのに。
「さすがにそれくらいは」
ふんわりとしたラインのドレスは背が低く見える気がして、いつもより踵の高い靴を履いていたせいか、足に小さな痛みが走っていた。でも、そんなの自分でも気にならないくらいなのに。
「身なりも振る舞いも、いつも以上に気を遣われたのですね」
「……侍女たちが頑張ってくれたからね」
「でも、それでレティシア様がお御足を痛めたら、テレーズ殿も他の皆も心配しますよ。きちんと養生なさってください」
「そうするわ」

どれほどアスランが私に気を配っているのかと思うと、政務官の務めだとわかっていても胸が高鳴った。
「……ありがとう」
「いいえ、どういたしまして」
ゆっくりと馬を進めるアスランの端正な横顔を、チラッと肩越しに見上げる。
夕陽に浮かび上がるその表情は、なんだかいつもより頼もしく、優しく見えるような気がした。

──

アスランに送ってもらい、私は主城の私室に帰ってきた。
「まあ、靴擦れですって」
既に伝令が届いていたのか、テレーズや侍女たちが手当ての準備をして出迎えてくれていた。
「アスラン様、ありがとうございました」
「いいえ、くれぐれもお大事に」
特別愛想を振りまくこともないけれど、如才なく一礼をしてさっさと去っていく。

手当を終えて一心地つき、窓の外を眺めていると、アスランにかけてもらった言葉が胸に浮かんできた。

『レティシア様には、レティシア様のいいところがたくさんあります。ただ、これまで一人で頑張りすぎて、人への甘え方がわからなくなっているのでは』

手当てしてもらっても、鈍い小さな痛みがまだ足に残っている。
「甘える……か」
殿方に媚を売るような真似をした結果を情けなく思っていたのに……ちゃんと自分のことを見ていてくれる人がいるだけで、こんなにも心持ちが違うものだろうか。

靴擦れも努力の証だと思うと、少しは許せる気がする。

けれど、そもそもアスランはどういうつもりで私の結婚に関する一切を担っているんだろう。
政務として担当しているからにはこの結婚は国事であって、条件が整って世継ぎを設けられればそれでいいはずだ。その割には、個人の気持ちをやけに尊重して、私自身に寄り添ってくれているような気がする。
「まさかね」
一政務官がそこまで肩入れして、純粋な気持ちで加担しているだなんて考えられない。それにあの情報通のテレーズが、アスランに関してはなんの目ぼしい情報も手に入れられないなんて不自然だ。

あれかこれかと考えても、アスランの真意がしっくりこない。それだけに彼のことをぐるぐると考えてしまう自分に気づくと、どうにも居心地が悪くなった。

──

そして翌朝。
ものすごく久しぶりに、お父様と直接話す機会が訪れた。
「初等教育については、予算を投入しよう。その上で、高等教育はもう少し職業的な専門性に力を入れることとしよう」
「ありがとうございます」
先に必要な政務の話を終えると、お父様はしげしげと私の姿を上から下まで見回した。

「少し雰囲気が変わったか?」
「そうかもしれませんわね」
「似ているな」
お母様に、ということなのかしら。
仮面夫婦だったという割に、お父様がお母様の話をする声音には優しさが滲む。

「あいつを抜擢したかいはあったということなのかな」
「あいつって、アスランのことですわね?」
お父様が小さく頷く。その呼び方に、ただの一政務官に向けたものとは思えない親しさがこもっていた。
「あの者は、その……どういった出自ですの?」
「どういったとは?セレナ家の次男坊だが」
発する声に、慎重に言葉を選んでいる気配がする。
「これまで社交の場で、噂になることがなかったなあと思いまして」
「母親の身分が低いのでな」
「そうなんですの」
「父親のセレナ公爵は、さして取り立てるつもりはなかったのだよ。その才が惜しいと、声をかけたのは私だ」
「お父様直々のお声がかりでしたの」
「ああ、それまで公の場に姿を現したことはないはずだ」

それならば、テレーズが知らなくても無理はないかもしれない。でも、お父様はどこでその才能に目をつけたのだろう。
「それも初等教育の賜物だな」
「お父様……生徒の成績や実績に目を通されていますの?」
「当たり前だろう」
忙しいはずなのに、やはり国の教育には並ならぬ思い入れがあるのだろう。そう思うと、自身が担当している政務が、より誇らしく感じられる。

「そろそろ宮廷で、女たちの口の端にのぼっているようだな」
「そうでしょうね」
あれだけ容姿に恵まれ、仕事もできそうな妙齢の男子。しかも、国王のお声係で取り立てられた公爵家の次男坊。母親が庶出で身分は今少し物足りないだろうけど、それを補って余りある存在感はあるだろう。
「そろそろ周りが放ってはおくまいな。本人は、実績を積むまでは社交場には出席するつもりはないそうだが」
「そう、ですの」
なぜかホッとしている自分がいる。

……ん?私、なんでホッとしているの?
別にアスランが社交場に出ようが出まいが、知ったことじゃないじゃない。

「そうかもしれませんわね」
「其方の縁談が進んで目処がつけば、あれの処遇も考えてやらねばならぬ」
「……随分と目をかけていらっしゃいますのね」
「まあ、そうかもしれんな」

何となく面白くないものを感じて、私は席を立った。
「では、私はこれで失礼いたしますわ」
「ん、其方も励めよ」
「そういたします」

私の婚活が進んで、縁談がまとまればアスランは出世して、きっと社交界でも話題の人になって……

そんなことを考えている自分に、ハッとする。
別に、そんなことどうだっていいじゃない。

そう思いながら執務室を下がろうとすると、お父様が眉間に寄せた皺を指でほぐしている姿が背後にちらりと見えた。
お父様……何か政務でお悩みなのかしら。

続きの間で待っていたのは、軍事と外務を担う政務官たちだ。
もしかして、何か政情が不安なのかしら。

政務を担っているとはいうけれど、そういった情報は私の元には入ってこない。

第一王女ではあるけれど、疎外感や無力感を感じるのはこういう時に他ならなかった。

次回第6話は7月号掲載予定です!

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